平成の大仏開眼式 八事山興正寺

2014年9月8日、名古屋市昭和区の八事山興正寺で、、「入仏開眼式」が行われた。

1年半かけて造られた「平成大仏・釈迦牟尼しゃかむに大仏」は、高さ約7・1メートル、重さ約7トンの銅製。

開山した1686年から守り伝わる掛け軸に描かれた仏を再現し、国家安穏を願う象徴として制作され、開眼式は、6日から始まった入仏式の最後の儀式にあたる。

平成大仏は、建設中の牟尼殿が完成する2016年まで、五重塔前に安置される。

ベットでタバコを吸わないで・・・平成の大仏開眼式 八事山興正寺

岡崎城、岡崎公園

岡崎城、岡崎公園 岡崎宿の最大の特徴は27曲がりと称される曲折の多さで、これは1590年に岡崎城主となった田中吉政が岡崎の郊外を通っていた東海道を城下町の中心を通るように10年かけて変更したとき、城の防衛上の理由によるものである。

岡崎城は岡崎公園内にあり別の呼び名では竜ヶ城とも言われ、岡崎公園内は日本の歴史公園100選、さくらの名所100選、日本の都市公園100選に選ばれている。

康生元年(1455年)、三河の守護代の西郷弾正左衛門稠頼が建て、これを大永四年(1524年)、松平清康が(家康の祖父)が攻め落とし、以降松平家の居城となる。

家康は天文十一年(1542年)岡崎城で生まれ、桶狭間の戦いの後家康は増築 に約10年の歳月を費やした。

徳川幕府を開いてからは、徳川家譜代大名たちが住み、天守閣は元和三年(1617年)本多康紀のときに建てられたが、明治6年に破壊された。

大樹寺と岡崎城を結ぶ約3キロの直線は歴史的眺望(ビスタライン)と呼ばれ眺望を遮らないように建物等が配慮されて、直線上に建つことなくその眺望が守られてきた。 天守閣からは岡崎中心部を見渡すことができる。

哀愁のコルドバ・・・岡崎城、岡崎公園

中山道、鵜沼宿

中山道鵜沼宿の脇本陣は、宿駅制度が廃止された明治時代以降もその姿をとどめていたが、明治24年(1891年)の濃尾震災で倒壊する。

平成22年5月より公開されている当脇本陣は江戸時代末期の鵜沼宿各家の間取りを描いたという「鵜沼宿家並絵図」をもとに、脇本陣の外観や内装、意匠などを参考としながら、脇本陣を務めた坂井家の建物の姿を現代に復元したものである。脇本陣を務めた坂井家は、本陣であった桜井家の西隣にあたる。

坂井家は、幕末の安政年間(1854年から1860年)に脇本陣を東町の野口家に引き渡し、一般的な旅籠として営業しながら明治維新を迎えた。

俳聖松尾芭蕉は貞享年間(1684年から1688年)に3度にわたり鵜沼宿を訪れ.   脇本陣坂井家に滞在したと伝えられる。 坂井家でふぐ汁と菊花酒の歓待を受け、主人からの求めに応じて即興で句を詠み、その句を自らが刻んだと伝えられる珪化木の句碑が展示されている。

「ふく志るも 喰へは喰せよ きく乃酒」

秋のささやき・・・鵜沼宿

名古屋市農業センター

名古屋市天白区にある名古屋市の施設で1965年(昭和40年)に開設され、当初は農業・畜産技術の研究指導のほか、家畜や肥料・飼料の改良などを手がけてきた。

近年では農業公園としての側面が強くなっていて、市民を対象とする講習会や体験教室などが催される。

敷地内にはウシやヒツジなどの放牧場、10種類以上のニワトリを展示する鶏舎もあり、名古屋コーチンの雛の最大の生産拠点でもある。

ベゴニアなどを育てる複数の温室、有料で貸し出される市民菜園、花壇や散策路も整備された園内には12品種・700本余の枝垂れ梅が植えられた梅林がある。

白鳥の踊り・・・名古屋市農業センター

八事興正寺

山号 八事山
宗派 真言宗
本尊 大日如来
創建年 1686年(貞享3年)

高野山において弘法大師の五鈷杵を授かった天瑞圓照により1686年(貞享3年)に建立される。

1688年、尾張藩二代目藩主徳川光友の帰依を受け尾張徳川家の祈願寺として繁栄し、「尾張高野」とも称される。

境内は本堂などがある西山普門院と奥之院がある東山遍照院に分かれ全域が興正寺公園として開放されている。

本堂(阿弥陀堂)、総門、能満堂、大日堂、開山堂、不動堂、奥之院

中門 は女人禁制だった東山との境にあった女人門を当地に移築。

東山門は宝永年間に名古屋城から移築された出丸門。

観音堂 は安政4年(1857年)に再建され、本尊聖観音立像(市指定文化財)は秘仏とされる。

興正寺五重塔は東海地区に現存する唯一の木造五重塔で、建造は文化5年(1808年)、国の重要文化財に指定されている。

名古屋市指定文化財として、梨木禽鳥図屏風、唐人物図屏風、木造観音菩薩立像を保有する。

Gold finger・・・興正寺公園

日本最西端の島、与那国島

与那国島の観光資源としてはカジキ釣り、ダイビングがある。

人気のあるダイビング・スポットで、現在「遺跡ポイント」と呼ばれている新川鼻沖の海底で、1986年にダイバーによって海底に巨大な一枚岩が発見された。

周囲数百メートルに及ぶ巨大なもので人工的に切り出したような跡も認められ、人が歩くことができそうな通路状の隙間、階段状の壁、柱が立っていたと思わせる穴など、加工しなければできないかのように思われる形状を備えているという。

道路、石組み、敷石、排水溝などと推定される地形で、巨石の組み合わせが存在するため遺跡とする説もある。

一方、与那国島では焚火跡、石器、土器を含む紀元前2500年-2000年の小規模な居住地の遺跡が発見されてはいるが、その当時の住民には石造記念物を建造する余力はなかったであろうと考え、岩が侵食されてできた自然地形であるとする説もある。

いずれにしても与那国島の重要な観光資源である。

安里屋ユンタ・・・与那国島を一周

長久手古戦場公園

1584年、秀吉と家康の間で行われた戦、小牧・長久手の戦い。
史跡は広範囲にわたるが、その主戦場跡地の公園である。
池田恒興とその長男の元助の戦死の場で大きな塚が造られている。

戦死した将兵に心を痛めた僧侶が屍を集めて塚を築き供養した。
毎年合戦の日に香華がたむけられ法要が営まれたという。

合戦の後、血の付いた愛刀や槍を洗い清めた池という血の池は埋め立てられ、緑も美しい公園に姿を変えた。

さとうきび畑・・・長久手古戦場公園

東谷山、東谷山フルーツパーク

標高198 mの東谷山(とうごくさん)は、名古屋市守山区と瀬戸市との境界に位置した名古屋市最高峰の山で、2010年4月には国の特別天然記念物であるニホンカモシカの生息が確認された。

山頂には延喜式記載の古社である尾張戸神社、また熱田神宮の奥の院として古来より信仰を集めた。

山麓には尾張戸神社古墳・中社古墳・南社古墳・白鳥塚古墳など、東谷山古墳群・上志段味古墳群と総称される尾張地区最大規模の古墳群がある。

南山麓には愛知県森林公園の丘陵地、南西山麓には東谷山フルーツパークがある。東谷山フルーツパークは、果樹を中心とした植物観察や散策、果樹栽培の講習・相談など、多目的な利用がされ、春や秋には各種イベントも行われる。

1980年4月開園で、世界の熱帯果樹温室、果樹園(アンズ、イチジク、ウメ、カキ、キーウィ、クリ、スモモ、ナシ、ビワ、ブドウ、ブルーベリー、モモ、ミカン、リンゴの各園)があり、約1000本のシダレザクラもある。

 
ムーンライトセレナーデ・・・東谷山フルーツパークから瀬戸に

旧本多忠次邸・岡崎東公園

本多 忠勝、(通称を平八郎、本姓は藤原氏)は徳川氏の家臣で、徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられる。
上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主で、忠勝系本多家宗家初代である。

旧岡崎藩主、本多家(忠勝系)の子孫である本多忠次(1896‐1999)が、昭和7年に東京世田谷に建築した住宅を岡崎東公園に移築して復原した。日本の伝統と西洋への憧れの美意識が混在した建物である。当時の最新であった和洋折衷の間取り、オリジナルの家具や照明、ステンドグラス、タイル装飾は日常と非日常の世界を織りなしノスタルジックでもある。

今の東京世田谷は、お洒落な住宅地だが、戦前、この屋敷の完成した昭和7年は、田園風景も残り当時の都会人の間の田園ブームに乗って建てたのか。
この忠次なる人は、卓越したセンスの持ち主のようで、屋敷、家の設計、家具調度の隅々に至るまで本人のデザインという。
イスラム文化の影響も混在するスパニュッシュ様式を基調とし、屋敷と噴水がセットになっている。

岡崎東公園は、面積26.91ヘクタールで、およそナゴヤドーム約5個分の敷地の公園で動物園、花菖蒲園が設置されている。
岡崎市出身の世界的な地理学者志賀重昮ゆかりの釈迦堂、南北亭、三河男児の歌碑や、鋼鉄研究の世界的権威者である本多光太郎の勉強部屋も、この公園内に移築されている。

Adagio de la sonate pathetique L.V.Beethoven・・・旧本多忠次邸・岡崎東公園

「もの派」アーティスト李禹煥、ベルサイユ宮殿で個展

モノ派とは、1960年代後半から70年代にかけて展開された戦後の日本美術における動向につけられた名称で、土や石、木、鉄など「素材」として扱われがちであった未加工のそれらに、ほとんど手を加えず直接的に提示することにより、ことさらその物質性を前面に押し出すという作風である。

李禹煥は、韓国生まれで現在は日本とフランスに住み、欧米を中心に活動している。もの派の代表的な作家である。

2014年ベルサイユ宮殿のゲストアーティストに決定し、展覧会は、2014年6月から11月の開催となる。

800ヘクタールの広大な敷地には、ヴェルサイユ宮殿、トリアノンとマリー・アントワネット王妃の領地があり、木立ち数十体の傑作の彫像もあり屋根のない美術館でもある。常に新たな視点で異なる姿を見せてくれる。
李禹煥氏の彫刻は、豪華絢爛なヴェルサイユ宮殿とその庭で、どのように調和するのか注目が高まる。

Premire mouvement de concerto no.1・・・李禹煥、ベルサイユ宮殿で個展