旧本多忠次邸・岡崎東公園

本多 忠勝、(通称を平八郎、本姓は藤原氏)は徳川氏の家臣で、徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられる。
上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主で、忠勝系本多家宗家初代である。

旧岡崎藩主、本多家(忠勝系)の子孫である本多忠次(1896‐1999)が、昭和7年に東京世田谷に建築した住宅を岡崎東公園に移築して復原した。日本の伝統と西洋への憧れの美意識が混在した建物である。当時の最新であった和洋折衷の間取り、オリジナルの家具や照明、ステンドグラス、タイル装飾は日常と非日常の世界を織りなしノスタルジックでもある。

今の東京世田谷は、お洒落な住宅地だが、戦前、この屋敷の完成した昭和7年は、田園風景も残り当時の都会人の間の田園ブームに乗って建てたのか。
この忠次なる人は、卓越したセンスの持ち主のようで、屋敷、家の設計、家具調度の隅々に至るまで本人のデザインという。
イスラム文化の影響も混在するスパニュッシュ様式を基調とし、屋敷と噴水がセットになっている。

岡崎東公園は、面積26.91ヘクタールで、およそナゴヤドーム約5個分の敷地の公園で動物園、花菖蒲園が設置されている。
岡崎市出身の世界的な地理学者志賀重昮ゆかりの釈迦堂、南北亭、三河男児の歌碑や、鋼鉄研究の世界的権威者である本多光太郎の勉強部屋も、この公園内に移築されている。

Adagio de la sonate pathetique L.V.Beethoven・・・旧本多忠次邸・岡崎東公園

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