中山道、鵜沼宿

中山道鵜沼宿の脇本陣は、宿駅制度が廃止された明治時代以降もその姿をとどめていたが、明治24年(1891年)の濃尾震災で倒壊する。

平成22年5月より公開されている当脇本陣は江戸時代末期の鵜沼宿各家の間取りを描いたという「鵜沼宿家並絵図」をもとに、脇本陣の外観や内装、意匠などを参考としながら、脇本陣を務めた坂井家の建物の姿を現代に復元したものである。脇本陣を務めた坂井家は、本陣であった桜井家の西隣にあたる。

坂井家は、幕末の安政年間(1854年から1860年)に脇本陣を東町の野口家に引き渡し、一般的な旅籠として営業しながら明治維新を迎えた。

俳聖松尾芭蕉は貞享年間(1684年から1688年)に3度にわたり鵜沼宿を訪れ.   脇本陣坂井家に滞在したと伝えられる。 坂井家でふぐ汁と菊花酒の歓待を受け、主人からの求めに応じて即興で句を詠み、その句を自らが刻んだと伝えられる珪化木の句碑が展示されている。

「ふく志るも 喰へは喰せよ きく乃酒」

秋のささやき・・・鵜沼宿

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