京都、哲学の道

琵琶湖疏水分線に沿って永観堂付近にある熊野若王子神社横から始まり、銀閣寺道バス停付近の白川通今出川交差点まで続く哲学の道。

疎水の山側は自然の森で対岸側に桜並木があり、春は桜、秋は紅葉が美しく、日本の道100選にも選ばれている散歩道である。

明治の頃は文人が多く住み「文人の道」と称され、その後、哲学者・西田幾多郎や田辺元らが散策したため「哲学の道」という名前で親しまれるようになる。

法然院近くには、西田が詠んだ歌「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」の石碑がある。茅葺で数奇屋造りの鄙びた山門の法然院の境内には、名水として有名な「善気水」が湧き出している。法然院の正式名は「善気山法然院萬無教寺」で、内藤湖南、河上肇、谷崎潤一郎、九鬼周造など、著名な学者や文人の墓が数多く存在する。

清水寺縁起絵巻

東京国立博物館には、室町時代・永正年間に土佐光信により描かれたと伝えられる紙本著色清水寺縁起が収蔵され、重要文化財に指定されている。

京都・清水寺の創建と本尊千手観音にかかわる縁起を、観音三十三応化身にちなんで、3巻33段にまとめた絵巻。

上巻

僧賢心(のちの延鎮)の発心、坂上田村麻呂との清水寺創建から、田村麻呂の蝦夷討伐までが描かれる。蝦夷の大軍に対した田村麻呂の前に、清水観音の両脇侍が老人、老僧に姿を変えて現れ、援護するなどの霊験が語られる。

中巻

再び押し寄せる蝦夷の軍勢を火雷、霹靂などが追い払い、田村麻呂が凱旋し、清水寺の再建と弘仁2年(811)の彼の死までを描く。激しく荒れる海原の上空で稲妻を走らせる雷神の段は、本絵巻の名場面として知られている。

下巻

本尊千手観音のさまざまな奇瑞霊験譚が描かれる。上中巻にみるような蝦夷との合戦場面はほかに類例がなく、16世紀はじめころにおいて畿内の人間がイメージした「蝦夷」の姿を伝える記録としても重要である。

クレタ島

古代ミノア文明が栄えた土地でクノッソス宮殿をはじめ、多くの遺跡がある。温暖な気候、自然景観から地中海の代表的な観光地であり、首府のイラクリオンは16世紀の城壁に囲まれたた港町。

先史時代の住民が住居として使用していた自然洞窟と人口洞窟は、険しい山道を15分くらい登ると、神秘的な感じのディクティオン洞窟に辿り着く。この辺りにはゼウスが生まれたという伝説の場所でもある。

スライドショーのストーリー

イラクリオン市街→ディクティオン洞窟→レシムノンのホテルIonia Suites

キクラデス諸島、サントリーニ島(Santorini)

キクラデス諸島(英語: Cyclades)はエーゲ海の中部に点在するギリシア領の島々で、キクラデスという語は、英語の「Cycle」と同根で、神聖な島とされるデロス島を「囲んでいる」ことによる。

キクラデス諸島のサントリーニ島は、クレタ島の北方120km、エーゲ海の真ん中に位置し、かつて「フィラ島 Thira/Fira」と呼ばれた。

大爆発を起こした火山が形成したカルデラ地形の一部で、三日月型をした右半分の島はティラと呼ばれ、サントリーニ・カルデラ内では現在も活発な火山活動がある。

この地には紀元前3000年頃、キクラデス文明が栄えた。島の南端付近にある古代遺跡のアクロティーリ遺跡 (Acroteri-Santorini Island)はエーゲ海で最も保存状態が良い先史時代の遺跡とされている。この火山が大爆発を起こしたのは「突然」の出来事ではなく、大爆発までに住民が避難する時間があったようで、財物を持ち出す余裕があったようである。

スライドショーのストーリーは
島内散策と、カルデラとエーゲ海のパノラマを望めるMegalochoriの村のアルティ スイーツ (Alti Suites)ホテルまで

大久野島(広島県)

広島県竹原市忠海町から沖合い3キロメートルにある、瀬戸内海、芸予諸島の1つの大久野島の周囲は4.3キロメートルほど。近年では多数のウサギが生息することでも知られウサギ島とも呼ばれる。

かつて、日本帝国軍の毒ガス製造基地で、731部隊に並ぶ秘密部隊の516部隊が存在したようだ。

その516部隊が扱った毒ガス兵器の製造地だった。軍事上の機密で当時の地図から消され、「地図から消された島」、「毒ガス島」などと呼ばれ、第一次世界大戦以降の化学兵器製造の実態を今に伝えている島でもある。

ドデカネス諸島 のパトモス島 (Patmos)

ドデカネス諸島(英語: Dodecanese)はエーゲ海南東部に点在するギリシア領の島々である。ドデカニサは「12の島」を意味するが、主要12島のほか約150の小島が含まれる。

聖ヨハネ騎士団ゆかりのロドス島、ヒポクラテスの出生地であるコス島、使徒ヨハネが『ヨハネの黙示録』を記したとされるパトモス島があることで知られる。

パトモス島は「エーゲ海の聖地」と呼ばれ、多くの巡礼者が訪れる。ヨハネが啓示を受けたとされる洞窟も残る。

ホーラ丘の上に建つ聖ヨハネ修道院は、11世紀初頭に建造されたもので、「神学者聖ヨハネ修道院と黙示録の洞窟を含むパトモス島の歴史地区 (ホーラ)」としてユネスコの世界遺産に登録されている。

夜はライトアップされ神秘的な雰囲気も漂う。かつてローマ帝国の流刑地とされた島で、西暦95年には使徒ヨハネがこの島に流され「ヨハネの黙示録」を執筆したとキリスト教では伝統的に受け止められてきている。その後、人の住まわぬ土地となっていたが、1080年、東ローマ帝国から正教会に島が下賜され、1088年、丘の上にあったアルテミスの神殿は神学者聖ヨハネ修道院に建て替えられた。1138年、修道院の城壁の回りに住民が住むことを許可され、これがホーラの始まりとなる。ホーラは外敵の侵入に備えて要塞化されていった。1207年にはヴェネツィアの支配を受け、1537年にはオスマン帝国の領土となり、トルコの支配は1912年まで続いた。

ハウステンボス

オランダの街並みを再現したテーマパーク・ハウステンボスは佐世保市の町名にもなっていて「佐世保市ハウステンボス町1-1」。佐世保市針尾島の早岐瀬戸に接する部分に位置し、総開発面積は152ヘクタール(46万1干坪)、現在の東京ディズニーリゾートとほぼ同規模。

ハウステンボス敷地の大部分は江戸時代に干拓された水田地跡で、太平洋戦争時に軍に接収され、短期間、広島県江田島の海軍兵学校分校が置かれた。大戦終結後には厚生省佐世保引揚援護局が置かれ、上陸した引揚者は休息救護されその後故郷への帰宅の途についた処。

その後、長崎県に払い下げられ針尾工業団地として造成を行うも、工業用水供給の問題などから企業誘致が進まず手つかずのまま。大村湾西岸でテーマパーク運営で成功していた長崎オランダ村を発展的に大規模に拡大した施設を設置する。完成後、商号変更を行い現在のハウステンボス(ハウステンボス株式会社)に至る。

ハウステンボス自体の入場者は、1996年度には380万人を記録したが、2001年度の入場者は292万人まで減少した。2003年には初期投資の負債2,289億円を解消できず、会社更生法の適用を申請して破綻に追い込まれ改正会社更生法の第1号適用となる。

野村プリンシパル・ファイナンスをスポンサーとする更生計画案が認可され一時的に近隣諸国からの来場者が増えたが、2008年の世界金融不況の影響を受け経営状態が悪化。野村プリンシパル・ファイナンスは2010年3月をもって支援から手を引くことになる。

2010年4月からはエイチ・アイ・エス(H.I.S.)により新たな経営再建が開始される。H.I.Sの傘下に入っての事業再建を始めて初の決算で「開業以来初の営業黒字に転換しました」と公表された。

大津 石山寺 瀬田の唐橋

石山寺は滋賀県大津市石山寺1丁目にある東寺真言宗の寺で本尊は如意輪観音。開基は良弁で京都の清水寺や奈良県の長谷寺と並ぶ有数の観音霊場で、西国三十三所観音霊場第13番札所。

『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』などの文学作品にも登場し、『源氏物語』の作者紫式部は石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承がある。歌川広重の「近江八景」の「石山秋月」でも知られる。

また、「近江八景」では「瀬多夕照」として往時の唐橋が描かれている。瀬田の唐橋は滋賀県大津市瀬田の瀬田川にかかる橋で全長260m、勢多の唐橋、瀬田の長橋とも言われ、宇治橋、山崎橋とならんで日本三古橋の一つとされてきた。瀬田川にかかる唯一の橋であった瀬田の唐橋は、当時京都防衛上の重要地であったことから、古来より「唐橋を制する者は天下を制す」と言われた。

宗長(室町時代の連歌師)の歌で「もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋」急がば回れの語源とされている。当時、京都へ向かうには、矢橋から琵琶湖を横断する海路の方が瀬田の唐橋経由の陸路よりも近くて速いのだが、比叡山から吹き下ろされる突風(比叡おろし)により危険な航路だったため、このような歌が歌われた。松尾芭蕉も旅の途上にてこの橋を詠む。五月雨に隠れぬものや瀬田の橋。橋桁の忍は月の名残り哉

大塚国際美術館 (The Otsuka Museum of Art)

陶板複製画を中心とした博物館である大塚国際美術館は徳島県鳴門市の鳴門公園内にある。大塚製薬グループの創業75周年事業として1998年(平成10年)に開設され、運営は一般財団法人大塚美術財団で、とくしま88景に選定されている。

国立新美術館(2007年(平成19年)開館、47,960m²)に次ぐ美術館(延床面積29,412m²)で、面積では日本第2位の美術館建築である。大塚グループの企業、大塚オーミ陶業株式会社が開発した特殊技術により、世界中の名画を陶器の板に原寸で焼き付けて再現された作品が展示される。陶板複製画は、風水害や火災などの災害、光による色彩の退行に非常に強いため約2,000年以上そのままの色と形で残るので、文化財の記録保存のあり方に大いに貢献すると期待されている。

大塚国際美術館では写真撮影が可能で、直接作品に手を触れられる。また、今となっては現存しない作品(修復前の、レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』・戦火で失われたゴッホの『ひまわり』)や戦災等で各地に分散されている作品(エル・グレコの大祭壇衝立)を復元するなどの試みも行われている。板を組み合わせることで大型化にも対応できるので、ミケランジェロの『最後の審判』もオリジナルの展示環境全体を再現したシスティーナ・ホールに展示されている。

鑑賞ルートは、地下3F~地上2Fまで約4km、主な展示作品は世界25ヶ国・190余の美術館が所蔵する西洋名画1,000余点をオリジナルと同じ大きさに複製し展示している 。

B3F
システィーナ・ホール、スクロヴェーニ礼拝堂、フェルメールの部屋、聖マルタン聖堂壁画、聖ニコラオス・オルファノス聖堂、聖テオドール聖堂、貝殻ヴィーナスの家、エル・グレコの部屋、ポンペイの「秘儀の間」など

B2F
モネの大睡蓮、バロック系統展示(レンブラント「夜警」など)、ルネサンス系統展示(ダ・ヴィンチ「モナリザ」「最後の晩餐」(修復前と修復後)・ボッティチェッリ「ヴィーナスの誕生」など)

B1F
ゴヤの家、バロック系統展示、近代系統展示(ゴッホ「ひまわり」・エドヴァルド・ムンク「叫び」・ウジェーヌ・ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」・ジャン=フランソワ・ミレー「落穂拾い」など)

1F
現代系統展示(パブロ・ピカソ「ゲルニカ」など)

2F
現代系統展示
これらの陶板複製画約1,000余点は、ピカソの子息や各国の美術館館長、館員が来日し検品を行っている。

公式HPで詳細な展示作品リストが公開されている。

カサ・ビセンス(バルセロナ)

アントニ・ガウディが初期に手がけた重要な建築物の1つで、バルセロナのグラシア地区に現存している。レンガやタイル工場の社長であったマヌエル・ビセンスとその家族の住居として建設され、外観はムデハル様式の影響を受けている。

ムデハル様式 はアラビア語で残留者を意味する「ムダッジャン」に由来し、レコンキスタの後、残留イスラム教徒の建築様式とキリスト教建築様式が融合したスペインの建築様式で、特徴は建物の壁面に幾何学文様の装飾を施している。

マヌエル・ビセンスは1895年に死去、1899年にはアントニオ・ジョベル医師の手に渡る、この人物は2013年現在の所有者の祖父。改修および増築を経て、1969年にスペインの歴史芸術モニュメントに認定、2005年にはユネスコの世界遺産に登録。2007年10月に2700万ユーロで売りに出され、2014年3月27日、モラバンクがカサ・ビセンスを購入し、2016年の一般公開に向けて準備を進めている。