モロッコ、シャウエン ( Chaouen )

モロッコのシャウエンは、 リーフ地方の山中にあり、タンジェとテトゥアンから内陸に入ったところに位置する人気の観光地である。

フェズからは、バスで約4時間ほどのところ、近くには、アフリカで最も深い洞窟の一つであるKef Toghobeit Caveがある。

シャウエンの町では、実際に壁を青く塗っている光景に何度か出会う。
海辺の街かと思いきや、でも、ここはサハラ砂漠のあるモロッコ。

もともとは白い街だったらしいが、青く塗るのは虫よけの意味があるとか、また、涼しげに見えるからという説もある。

シャウエンは小さい町なので、のんびり散歩するのが楽しい。
また、モロッコはネコが多い国で、青い町にネコがいるという光景は、街歩きが楽しくなりそうで、フォトジェニックな街でもあるようだ。

シャウエンのメディナ(旧市街)の広場あたりには、牛肉とプルーンのタジンが絶品のレストラン「アラジン」がある。

1471年、ポルトガルの侵略と戦うための小さな要塞として建造された街で、多くのモリスコとユダヤ人が、スペインによるレコンキスタの後ここに定住した。

1920年、スペインによりスペイン領モロッコとして占領されたが、1956年、モロッコ独立により、モロッコの都市となる。

この都市の名の由来は、ヤギの2つの「つの」のように見えるという街から見える2つの山の頂きによる。

シャウエンでは、ウールの衣服、毛織物など、モロッコの他の場所で手に入れることのできない現地の手工芸品が数多く売られている。
当地原産のヤギのチーズも観光客には人気がある。

大垣市、守屋多々志美術館

岐阜県大垣市出身の日本画家、守屋多々志 (1912年(大正元年)8月10日 – 2003年(平成15年)12月22日)。

日本美術院において、昭和から平成にかけて活躍し、戦争従軍時、イタリア留学時を除いてほぼ毎年の出品。

作風は歴史と古典への深い教養に根ざした「歴史画」で、武者絵を中心に背景に金泥を使うなど豪壮な作品も見受けられる。

イタリア留学以前は日本古来の大和絵を意識した構成、筆遣いで描き、留学後しばらくは洋画を意識した重厚なマチエールで描き、以後も絵具を厚塗りした作品を多く描く。

名古屋広小路通りの今昔

名古屋のメインストリートとも言える広小路、その名称は、1660年(万治3年)の「万治の大火」を教訓にして、道幅を3間(約5m)から約15間(約27m)に広げた事から付いたという。

今の道幅はこの頃から変わっていないようだ。当時は見世物小屋や茶屋が並び、大道芸人も出て大変賑わった事がうかがい知れる。

「広ぶらHISTORY」という広小路の歴史が書かれた案内板が設けられている。
かつては市電が走り、歩行者で混雑した広小路も、今では地下鉄や地下街の整備により歩行者も減少した。

道路の中央分離帯の照明塔は、昭和40年代に設置され、通称「ねぎぼうず」と呼ばれる。かつては広小路全体に設置されていたが、現在はその一部がシンボルとして残され、照明はLED化されている。

栄交差点から約300m程歩いた所にある「朝日神社」は、1611年(慶長16年)、
清州城から名古屋城に城下町ごと移転した「清州越し」の際に朝日村から移転されてきた。以来、広小路神明宮として親しまれ、広小路に面して立つ透垣は、向かい側にあった尾張藩牢屋の「不浄除け」として建てられたと言われる。

2009年まで三菱東京UFJ銀行貨幣資料館として利用されていた鉄骨鉄筋コンクリート造・5階建のビルは、1926年(大正15年)に建てられた名古屋銀行本店(東海銀行の前身の一つである、現在の名古屋銀行(旧・名古屋相互銀行)とは別会社)であるが、名古屋市都市景観重要建築物に指定されている。

伏見交差点の東、三井住友銀行伏見支店は1935年(昭和10年)に三井銀行名古屋支店として建てられた新古典主義の銀行建築で、花崗岩でできた外観は荘厳な感じがする。都市景観重要建築物に指定されている。

道路を隔て西側には、現在、経営上の問題から建て替え中の「御園座」がある。1896年(明治28年)に設立された名古屋劇場株式会社の劇場で「芸どころ名古屋」の象徴的存在と言える。
「御園」の名前は古く、1611年(慶長16年)の「清州越し」の際、清洲城下の「御簾野町」が移転した後に、初代藩主・徳川義直公の命により表記を改めたと伝えられる。

エジプト、聖カタリナ修道院

聖カタリナ修道院(Saint Catherine’s Monastery)は、エジプト、シナイ山の麓にある峡谷の河口に位置し、現在も継続して機能するキリスト教正教会の世界最古の修道院である。

6世紀の蝋画法による聖ペトロのイコンを収蔵し、ユネスコの世界遺産に登録されている。

800年ごろは、エジプトはムスリムの国であったが、修道院が所有するムハンマド本人により署名されたものとされる文書によると・・・
修道院がある種の政治的亡命施設として容認されるようになった後にムハンマドが敵から身を守るためこの修道院に身を隠し、修道院領内にファーティマ朝のモスクが立てられた。

こうした理由もあり、修道院は長年に渡り、一帯のイスラム教支配下でも生き延びることができた。しかしこのモスクは、正しくメッカの方角を向いていないため現在では使用されていない。

栗林公園 (香川県高松市)

香川県営の都市公園、栗林公園は、国の特別名勝にも指定される歴史公園、回遊式大名庭園である。

2009年3月16日発売の『ミシュラン観光ガイド』で、「わざわざ訪れる価値のある場所」として最高評価3つ星に選定された。

ソメイヨシノを中心に約330本の桜があり、県下屈指の花見どころでもあり「桜と松」の調和が美しいことでも有名である。

桜の種類も多く、ソメイヨシノ、ヒガンザクラ、ヤマザクラや、春と秋の2回花をつける十月桜などがある。

栗林公園は、16世紀後半、元亀天正の頃、当地の豪族佐藤氏によって築庭されたのに始まる。

寛永年間、1625年頃に、当時の讃岐国領主・生駒高俊公によって南湖一帯が造園され、現在の公園の原型が形作られた。

その後、生駒氏の転封に伴い入封した初代高松藩主・松平頼重公(水戸光圀公の兄君)に引き継がれ、さらに100年以上経た延享2年(1745年)、5代頼恭公の時に、園内六十景命名をもって完成。

以来歴代藩主が修築を重ね、明治維新に至るまでの228年間、松平家11代の下屋敷として使用された。

明治4年、1871年に高松藩が廃せられ、新政府の所有となり、明治6年1月公布された「公園に関する太政官布告」に基づき、明治8年(1875年)3月16日に県立公園として一般に公開されるようになる。

昭和28年3月には、文化財保護法による「特別名勝」に指定され今日に至る。

サンクトペテルブルク(ロシア)

1703年、ピョートル大帝によりロシアの近代化の窓口として、ネヴァ川河口の泥沼地に莫大な費用をかけて人工的に作られたレーニングラード州の州都で、5月下旬から7月中旬には太陽の沈まない白夜がある町でもある。

バレエや文学が盛んな芸術都市として知られ、エカテリーナ2世によってエルミタージュ美術館が建てられるなど芸術都市としての礎が築かれた。

19世紀には天才と謳われた詩人・プーシキンや、『罪と罰』のドストエフスキーなどもこの都市を拠点に活動しロシア文学が花開いた。

ペトロハヴロフスク要塞、エカテリーナ宮殿など歴史を刻む多くの建築物が周辺の歴史地区と共に世界遺産に登録されている。

札幌市時計台

1878年(明治11年)、札幌農学校敷地内に演武場(武芸練習場・屋内体育館)として建設され、1906年(明治39年)に移設されるまで、現在の位置よりおよそ130m北東に位置した。

札幌市の歴史的建造物であり、国の重要文化財に指定されて、正式名称は「旧札幌農学校演武場」と称され、通称として「札幌時計台」単に「時計台」と呼ばれることも多い。

非公式キャラクターとして「時計大臣」があり、さっぽろテレビ塔の非公式キャラクター「テレビ父さん」の仲間である。

現在は鐘の音も高層ビルに阻まれ、時計台周辺でしか聞こえない。

周囲をビルに囲まれているため、その景観などの理由により「日本三大がっかりスポット」と称されることもあるという。

エドワード・ジョン・ポインター

サー・エドワード・ジョン・ポインター(Sir Edward John Poynter, 1st Baronet, KB, 1836年3月20日 – 1919年7月26日)は、英国の画家、素描家、装飾デザイナー、博物館事務官として知られる初代准男爵である。

準男爵、バロネット(baronet)はイギリスの世襲称号の一つで、男爵(baron)の下、ナイト(knight)の上に位置し、世襲称号の中では最下位で貴族ではなく平民である。敬称はサー(Sir)であるが、ナイトと区別するため、名前の後に「Bart.」もしくは「Bt.」を付ける。

ポインターはいくつもの公職に就いた。
ロンドン大学の初代美術講座教授(任期:1871年 – 1875年)
ナショナル・アート・トレーニング・スクール校長(1875年 – 1881年)
ナショナル・ギャラリーのディレクター(1894年 – 1904年。この間にテート・ギャラリーが新設された)
1876年に、ロイヤル・アカデミー会員

1896年に、ロイヤル・アカデミーの総裁、騎士号も贈られた
1902年には準男爵を授爵した。

『Israel in Egypt(エジプトのイスラエル人)』(1867年。彼の出世作)
『Visit of the Queen of Sheba(シバの女王の訪問)』(1871年 – 1875年)
『King Solomon(ソロモン王)』(1890年)
歴史を題材とした大作群で名が広く知られるようになる。

愛知県美術館には、「世界の若かりし頃」(1891年)が収蔵されている。

覚王山春祭

「覚王」とは、釈迦の別名で、「日泰」とは、日本とタイ王国を表す。

千種区にある超宗派の寺院、覚王山日泰寺はタイ王国から寄贈された仏舎利を安置するために創建され、どの宗派にも属さない日本で唯一の超宗派の寺院である。

仏舎利は、本堂のある境内からやや離れた「奉安塔」の中に安置され、境内には仏舎利を日本に寄贈したラーマ5世の像がある。

その「日泰寺」で知られる覚王山には、昔ながらの懐かしい風情がある。
昔ながらのみたらし屋さん、定食屋さん、エスニックショップ、紅茶、中国茶の専門店、炭屋、お洒落な雑貨屋、ギャラリーなど個性的なお店が軒を連ねる。

また、毎年恒例となった「覚王山春祭、夏祭」では、参道ミュージアムなどイベントが盛りだくさん。

2015年、覚王山春祭のステージ

4月11日(土)

10:00~ マラカトゥ・デモクラチコ・ナゴヤ(ブラジリアン パーカッション)
Cigdem Tinker Belly(ベリーダンス)

11:00~ タナ・カミオ(弾き語り)

12:00~ 川本マサフミ(弾き語り)

13:00~ Flying Doctor(Okiraku Q.ミュージック)

14:00~ Smash(pops)

15:00~ コンフント・ドメスティコ(サルサ)

16:00~ 俵町権佐衛門一家(コテコテブルースバンド)

17:00~ LOVE AFRICA(西アフリカ音楽&ダンス)

4月12日(日)

10:00~ ザンドラ コーポラ (砂漠と都会が育んだ奇跡の歌)

11:00~ このあの楽団(J-シュール)

12:00~ パンソニード(スティールパン カリビアンミュージック)

13:00~ Mixed juice(英語で子供の歌)
サントラ5(jug band)

14:00~ ティエラブランカ(フォルクローレ)

15:00~ 打雅奴(和太鼓)

16:00~ アリじごく(アイリッシュ音楽)

17:00~ まりも(GOKIGEN ミュージック)

スリランカ、佛歯寺・仏歯寺(Temple of the Tooth Relic)

スリランカのキャンディに、ダラダー・マーリガーワ寺院(Dalada Maligava)、通称、佛歯寺・仏歯寺(Temple of the Tooth Relic )がある。

『大涅槃経』(Mahaparinibbana Sutta)によると、釈迦の死後、歯は遺骨と同様にインド各地に分割された。

『チューラワンサ』(Culavamsa,小史。第37章)の記載によると、スリランカのスリー・メーガワンナ王(301-328)の治世第9年に、カリンガ(東インドのオリッサ)からブラーマンの女性が右の犬歯を持ってきたとされ、ダンマチャッカ(法輪堂)で祀ったという。

スリランカでは仏歯が王権の正統性の証しとされ、王都が移動するとともに仏歯も移動して「仏歯の安置所」で祀られてきて、現在は最後のウダ・ラタ王国の旧王都のキャンディに安置される。

毎年、シンハラ暦のエサラ月(新暦7-8月)には満月の日を最終日で頂点とする3週間にわたるキャンディ・エサラ・ペラヘラ祭が開催される。

行列(ペラヘラ)が主体の祭で、七日ずつ、デーワーレ・ペラヘラ、クンバル・ペラヘラ、ランドーリ・ペラヘラに分かれて、巡行の範囲が次第に広がっていく。

クンバル・ペラヘラ以降は、仏歯を載せた象を先頭にして、旧王国を守護する神々(ナータ、ヴィシュヌ、カタラガマ、パッティニ)のご神体(ランアーユダ、剣)をのせた象が、キャンディの市内を行列して巡行する。

かつての王国の権威の支配秩序を再確認するだけでなく、佛歯は雨をもたらすとされ、新たな農耕期の始まりにあたっての豊作祈願という農耕儀礼の意味合いもある。

仏歯寺と旧王都は「聖地キャンディ」として、世界遺産に登録されている。