台湾の京都 台南

長い歴史と伝統を誇る台湾の京都といわれる古都・台南の街中に、日本統治時代に建てられた民家をリフォームした茶屋、「衛屋茶事」がある。和室や庭園などを備え、日本人に懐かしさを感じさせる空間で、抹茶や和菓子を味わうことができる。

台南は歴史ある文化伝統の発祥地で、街を歩くだけでも古跡の中を歩いているようで面白いものが多く有り、細い路地でも思わず立ち止まってしまうこともありそうだ。

また台南はB級グルメの詰まった魅力の街でもある。

台湾の小吃は台南が発祥の地で、種類も多く食べ歩きにももってこいの街。しかも、1日ではおさまらないので台南の小吃を食べ尽くそうと思ったら数日間の余裕を持って出かける必要がある。小吃(シャオチー)は、店や屋台で食べる中華の一品料理で、「小」は軽い、「吃」は食べるという意味になり、日本語に直訳すれば「軽食」「スナック」になる。だが、中華文化圏のニュアンスはかなり異なり、麺類や、餃子・焼売・饅頭などの包子(パオズ)、粽や餅から、肉料理、炒飯や魯肉飯など、どんぶり料理までを含む一品料理である。もちろん杏仁豆腐などの甘いものも含まれる。漢文化圏の都市部では、このような料理を供する小さな店や屋台が多数あり、外食する文化が高度に発達した。

レイキャビクから東に96km、ホテル ランガ (Hotel Ranga)

アイスランドのホテルの中で、ホテルのコンセプト、雰囲気、サービスなど総合的に勘案して一番お勧めなホテルが「ホテル・ランガ」と言われる。アイスランド南部、ヘットラと呼ばれるエリアにあり、レイキャビクから東に96kmほどに位置し、草原の中にポツンと建っているロッジ風の建物で、周囲には高い建物は皆無であのでオーロラの観賞に適している。

ランガの外観は、絵に描いたような木造ロッジで、隣を流れる川で釣りを楽しむことができる。

ランガのスイートルームは、趣向を凝らした個性的な部屋で、南極だったりアメリカだったり、アフリカ、オーストラリアと1部屋1部屋違うコンセプトで家具や置物が配置されている。

部屋に冷蔵庫は無いが、外に繋がるドアを開ければそこは天然の冷蔵庫。新鮮なオーガニック食材を使う地中海風にアレンジされたアイスランドと北欧の伝統的なグルメ料理を提供している。ホテルから国内で最も活動的な火山であるヘクラ(Hekla) 火山の景色を望める。ヘクラ(Hekla)は、アイスランド語で『頭巾』を意味し、成層火山ヘクラ (Hekla)は、標高1,491m、比高1,000m、周囲約19km。最大の噴火は1766‐68年噴火で、1.3km3の溶岩を流出したという。1845年9月2日に大爆発し、1947‐48年噴火では初期のプリニー式噴火の噴煙柱は27kmに達した。最近では、2000年2月28日に噴火した。

ソープカービング (Soap Carving)

カービング (Carving) は所謂彫刻で、発祥はタイのスコータイ王朝の時代の儀式で、王様のための宮廷料理を飾るため果物に装飾的な彫刻を施したのが始まりといわれ、700年の歴史があり、タイでは伝統的な文化の一つである。彫る素材・対象によって名称は異なる。

フルーツ・カービング
素材はスイカ、メロン、パイナップル、オレンジ、パパイヤなど、比較的皮が厚く加工しやすい硬さのものが中心。

ベジタブル・カービング
野菜を対象にしたカービングで、見た目の美しさを強調する。
素材はきゅうり、かぶ、大根などで、ハロウィンのジャックランタンのかぼちゃもベジタブル・カービングの一種。

ソープ・カービング
石鹸を素材にしたカービング。
1本の専用ナイフを使い、美しい模様を作りだす。
女性に人気があり「やってみたい習い事」の上位にランキングされ、贈り物、インテリアなどとして楽しめる。

モーリシャス島

アフリカ大陸の近く、マダガスカルの東約900kmに位置する小島で、面積は2040平方kmで沖縄本島の1.5倍の火山島である。年平均気温は24~29度、「インド洋の貴婦人」と呼ばれる比較的平らな島で、最高峰はビトン・ド・ラ・プティト・リビエール・ノアールで標高826メートル。

もともとゴンドワナ大陸の一部だったマスカリン諸島に属し、特殊化した動物が生息する。1505年、ポルトガル人により発見され、1638年にオランダ人が植民を開始するまでは無人島で原住民はいない。

その後、統治国は変遷して、フランスからイギリスに変わり、それに伴ってフランス島からモーリシャス島に名前も変わった。

その後、統治国は変遷して、フランスからイギリスに変わり、それに伴ってフランス島からモーリシャス島に名前も変わった。モーリシャス共和国独立直前の1965年11月、チャゴス諸島の住人約1800人がモーリシャス島へ強制移住させられた。

モーリシャス共和国独立直前の1965年11月、チャゴス諸島の住人約1800人がモーリシャス島へ強制移住させられた。

周囲は珊瑚礁に囲まれ、天然の白浜が続き、「レースに縁取られたようだ」と称される。『トム・ソーヤーの冒険』の著者として知られるマーク・ トゥエインは、「神はモーリシャスを最初に創り、そしてモーリシャスを真似て天国を創った」と言った。

多言語が使われ、例えば、レストランのメニューは英語、オーダーはフランス語、家族同士はクレオール語で話す。街中にはヒンズー教の色鮮やかな寺院やキリスト教の教会があり、18世紀にフランス人によってサトウキビのプランテーションが行なわれたのでサトウキビ畑が島の大部分に青々として広がる。

サトウキビから作られるラム酒も有名である。サトウキビ栽培のモノカルチャー経済から脱却を図って進められたのが繊維産業で、ヨーロッパのブランドの製品の多くがモーリシャスで作られる。買う場所、物を選べば高品質なものを非常に安く買えることもできる。多民族国家を生かした外交で、インド、中国、アフリカ諸国などと租税条約を締結し、タックスヘイブン(租税回避地)でもある。

長島リゾート

1966年3月にオープンした大型アミューズメントパーク、ナガシマスパーランド(Nagashima Spa Land)は、長島観光開発株式会社の運営する遊園地で三重県桑名市長島町浦安にある。ナガシマリゾートの中核施設で、東京ディズニーランドに次ぐ国内二番目の敷地面積をもつ。運営する施設の年間集客人数は1413万人に上る。

1963年(昭和38年)12月 – 資本金3億円で会社設立。

1964年(昭和39年)11月 – グランスパー長島温泉の営業を開始。12月 – ホテルナガシマの営業を開始。

1966年(昭和41年)3月 – ホテルナガシマ和風別館、ナガシマスパーランドの営業を開始。

1970年(昭和45年)3月 – ホテル水郷の営業を開始。

1978年(昭和53年)7月 – ナガシマスパーランド内にてジャンボ海水プールの営業を開始。10月 – 屋内アイススケート場の営業を開始。

1988年(昭和63年)7月 – ホテル花水木の営業を開始。

1991年(平成3年)1月 – ホテル水郷をガーデンホテルオリーブに改称。7月 – ナガシマカントリークラブの営業を開始。

1993年(平成5年)2月 – 花水木別館の営業を開始。

1997年(平成9年)7月 – 関サービスエリアの営業を開始。

1998年(平成10年)7月 – なばなの里の営業を開始。

2001年(平成13年)10月 – 本社を新社屋に移転。

2002年(平成14年)3月 – 湾岸長島パーキングエリア、ジャズドリーム長島(運営はららぽーとマネジメント)の営業を開始。8月 – 湯あみの島、ホテルナガシマの営業を開始。

タイ・チエンマイ

タイ・北部、チエンマイ県の県庁所在地チェンマイ、気候はタイ中央平原部より穏やかで、多数の国立公園がある。県内には多くの山・山脈があり県南部は、チャオプラヤー河の支流のピン川が流れる。

チエンマイ市内から西に位置するインタノン山(標高2,575メートル)はタイ最高峰の山である。チエンマイ県は、1296年以来ラーンナータイ王国の首都であったが、1599年にアユタヤに占領され、その主権を失う。

1782年には、カーウィラ王がラーマ1世によってその主権が再び認められた。しかし、ラーマ5世(チュラーロンコーン)のチャクリー改革の一環で、中央政府のコントロールの下に置かれる。歴史ある街であるため、現在でも多くの寺院や遺跡が存在し、北部の文化・経済の中心、バンコクに次ぐタイ第2の都市とされる。

チエンマイとは、「新しい街」という意味であるが、これはマンラーイ王が都を建設した際すでにチエンラーイ(「マンラーイの街」という意味)があった。これに対し、新たに建設された街を「新しい街」、チエンマイと称したのが名の由来である。

当時、チエンマイ建都の要因として、元の侵攻を避けること、コーク川に面したヨーン地域にアクセスがよいこと、さらに、北上すればマンラーイの母体であったヨーン地域の支配に不便でなかったこと、ピン川の上流で、チャオプラヤー川、タイランド湾に通じ貿易に有利であったことなどがある。

コロラド州南西部 メサ・ヴェルデ国立公園 (Mesa Verde National Park)

プエブロインディアンのアナサジ族の残した断崖をくりぬいた一連の集落遺跡群、スペイン語で、緑の台地という意味で、1906年7月29日に国立公園として制定され、1978年9月6日に世界遺産 (文化遺産) に登録、1987年5月29日にアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定された。

1874年にメサ・ヴェルデ遺跡の存在は知られたが、本格的な考古学的調査は、1888年に当地の牧場主リチャード・ウェザーリルによって「クリフ・パレス」が発見され、調査で108ヶ所に及ぶ断崖をくりぬいた集落を確認してからとなる。1891年、考古学者ジェズ・ウオルター・ヒュークス(J.W.Fewkes)とスウェーデン出身の 地質学者グスタフ・ノルデンショルドにより、初めて本格的な発掘調査がされる。

1世紀ごろ、農耕民であるアナサジ族が住み始めたと推測され、8世紀ころまでバスケット・メーカー文化と呼ばれる独特なかご作りで知られる文化を築いていた。9世紀ころからキヴァという儀式を行う施設を伴う日干し煉瓦の壁によって区画された集落遺跡を築くようになり、プエブロ文化と呼ばれる。

12世紀頃、外敵の襲来に備え本格的な「岩窟住居」を作り、住み始めたと考えられている。同時期の遺跡では、ニュー・メキシコ州北西部、半円形の壮大なプエブロ・ボニート遺跡を中心とするチャコ・キャニオンの遺跡群が知られる。

その他、ユタ、コロラド、アリゾナ、ニュー・メキシコ4州の州境が1点に集まるフォー・コーナーズ周辺に、数多くの遺跡群が見られる。14世紀頃、とつぜん放棄されたと推測されているが、クリフ・パレスといわれる「岩窟住居」の遺跡は200室ほどあり、一番高いところでは、4階建て相当の高さとなり、高級マンションのようでもある。

迎賓館赤坂離宮

ネオ・バロック様式の西洋風宮殿建築、迎賓館赤坂離宮は1909年東宮御所として建設される。設計は日本近代建築の父と呼ばれたジョサイア・コンドルの弟子、建築家の片山東熊、2009年に国宝に指定される。ドアには菊の紋章、桐の紋様が施され、正面屋根には鳳凰や甲冑なども装飾される。中央階段の床はイタリア産大理石で、その上に赤絨毯が敷きつめられる。階段の左右の壁面はフランス産の大理石が鏡張りされ、2階大ホール正面の左右の壁面には小磯良平画伯による大油絵が飾られる。

彩鸞の間 大理石で造られた暖炉の両脇に「鸞らん=鳳凰」と呼ばれる架空の鳥をデザインした金色の浮彫りがある。白い天井と壁は金箔が施された石膏の浮彫りで装飾され、10枚の鏡が部屋を広く見せている。条約・協定の調印式や国・公賓とのテレビ・インタビュー等に使用される。

花鳥の間 天井に描かれた36枚の絵、欄間に張られたゴブラン織、壁面には花や鳥が描かれてた30枚の七宝が飾られる。腰壁は茶褐色のシオジ材の板張り、壁の中断は七宝で装飾される。下絵は日本画家の渡辺省亭が描き、明治期の七宝焼きの天才・涛川惣助が焼いた。主に国・公賓主催の公式晩餐会に使用され、最大約130名の席が設けられている。

朝日の間 天井に「朝日を背にした女神が香車を走らせている姿」の絵が描かれる。周囲の16本の円柱はノルウェー産の大理石で、壁に京都西陣の金華山織の美術織物が張られる。床は紫色を基調とした47種類の糸を使い分けて桜花を織り出した緞通が敷かれている。公賓のサロンとして表敬訪問や首脳会議等で利用される。

羽衣の間 謡曲の「羽衣」の景趣を描いた大絵画が天井に描かれる。3基のシャンデリアは赤坂離宮で最も豪華で、重さ800kg、高さ3m。正面の中二階はオーケストラボックスがあり、かつて舞踏会場として設計されたことが偲ばれる。レセプション、会議等で使用されるほか、晩餐会の招待客に食前酒や食後酒が供されるところでもある。花壇や松がありイオニア式の柱が特徴的な本館南面の主庭は、正面とは違う和やかさを感じる景観である。