ナイロビ近郊、貴族の館ホテル「ジラフマナー」

ナイロビ郊外にあるジラフセンターでは、キリンの餌付けを体験することができる。ここで飼育されているキリンはウガンダキリン、別名ロスチャイルドキリンと言い、ひざから下が白いのが特徴。

キリンの迫力、かわいらしさ、直接エサをあたえた時のざらざらした舌の感触など体験できる。このジラフセンターと同じ敷地の片隅に、蔦の絡まる瀟洒な貴族の館のようなホテル、貴族の館ジラフマナーがある。

イギリスのマナーハウスをおもわせる全6室の豪華なホテル。貴族宅にでもお邪魔しているような気分で「一度は泊まってみたい世界の豪華ホテル」として紹介される。

ダイニングルームでは、食事中にスタッフがキリンの名前を呼ぶと、キリンたちはホテルにやってきて、窓から首をニョキッと突っ込んで餌をねだり一緒にお食事。手の平で、直に餌をやったり触ったり、記念撮影したりと貴重な体験が出来る。

スイスのアデルボーデンにある ザ・カンブリアン(The Cambrian)

ベルンから約1時間の山間の村アーデルボーデンに位置する。華やかなリゾートホテルが多い中で、落ち着いたスイスらしい暮らしを体験できる。アルプスの山々の勇姿はモダンでシンプルなインテリアにもよく映え、美しい山並みの絶景を堪能できる。

コンテンポラリーな容貌、磨き抜かれたウッドフローリング、特注の家具インテリアは洗練されお洒落でシックだが、決して気取ってはいない。眺めのよいバルコニーがほぼ全室に付く贅沢なホテル。基本的にはスキーリゾートで、スキー用の設備の他、プール、小さいながらもお洒落なスパ、イタリアンレストランなど併設されている。

台湾の京都 台南

長い歴史と伝統を誇る台湾の京都といわれる古都・台南の街中に、日本統治時代に建てられた民家をリフォームした茶屋、「衛屋茶事」がある。和室や庭園などを備え、日本人に懐かしさを感じさせる空間で、抹茶や和菓子を味わうことができる。

台南は歴史ある文化伝統の発祥地で、街を歩くだけでも古跡の中を歩いているようで面白いものが多く有り、細い路地でも思わず立ち止まってしまうこともありそうだ。

また台南はB級グルメの詰まった魅力の街でもある。

台湾の小吃は台南が発祥の地で、種類も多く食べ歩きにももってこいの街。しかも、1日ではおさまらないので台南の小吃を食べ尽くそうと思ったら数日間の余裕を持って出かける必要がある。小吃(シャオチー)は、店や屋台で食べる中華の一品料理で、「小」は軽い、「吃」は食べるという意味になり、日本語に直訳すれば「軽食」「スナック」になる。だが、中華文化圏のニュアンスはかなり異なり、麺類や、餃子・焼売・饅頭などの包子(パオズ)、粽や餅から、肉料理、炒飯や魯肉飯など、どんぶり料理までを含む一品料理である。もちろん杏仁豆腐などの甘いものも含まれる。漢文化圏の都市部では、このような料理を供する小さな店や屋台が多数あり、外食する文化が高度に発達した。

レイキャビクから東に96km、ホテル ランガ (Hotel Ranga)

アイスランドのホテルの中で、ホテルのコンセプト、雰囲気、サービスなど総合的に勘案して一番お勧めなホテルが「ホテル・ランガ」と言われる。アイスランド南部、ヘットラと呼ばれるエリアにあり、レイキャビクから東に96kmほどに位置し、草原の中にポツンと建っているロッジ風の建物で、周囲には高い建物は皆無であのでオーロラの観賞に適している。

ランガの外観は、絵に描いたような木造ロッジで、隣を流れる川で釣りを楽しむことができる。

ランガのスイートルームは、趣向を凝らした個性的な部屋で、南極だったりアメリカだったり、アフリカ、オーストラリアと1部屋1部屋違うコンセプトで家具や置物が配置されている。

部屋に冷蔵庫は無いが、外に繋がるドアを開ければそこは天然の冷蔵庫。新鮮なオーガニック食材を使う地中海風にアレンジされたアイスランドと北欧の伝統的なグルメ料理を提供している。ホテルから国内で最も活動的な火山であるヘクラ(Hekla) 火山の景色を望める。ヘクラ(Hekla)は、アイスランド語で『頭巾』を意味し、成層火山ヘクラ (Hekla)は、標高1,491m、比高1,000m、周囲約19km。最大の噴火は1766‐68年噴火で、1.3km3の溶岩を流出したという。1845年9月2日に大爆発し、1947‐48年噴火では初期のプリニー式噴火の噴煙柱は27kmに達した。最近では、2000年2月28日に噴火した。

モーリシャス島

アフリカ大陸の近く、マダガスカルの東約900kmに位置する小島で、面積は2040平方kmで沖縄本島の1.5倍の火山島である。年平均気温は24~29度、「インド洋の貴婦人」と呼ばれる比較的平らな島で、最高峰はビトン・ド・ラ・プティト・リビエール・ノアールで標高826メートル。

もともとゴンドワナ大陸の一部だったマスカリン諸島に属し、特殊化した動物が生息する。1505年、ポルトガル人により発見され、1638年にオランダ人が植民を開始するまでは無人島で原住民はいない。

その後、統治国は変遷して、フランスからイギリスに変わり、それに伴ってフランス島からモーリシャス島に名前も変わった。

その後、統治国は変遷して、フランスからイギリスに変わり、それに伴ってフランス島からモーリシャス島に名前も変わった。モーリシャス共和国独立直前の1965年11月、チャゴス諸島の住人約1800人がモーリシャス島へ強制移住させられた。

モーリシャス共和国独立直前の1965年11月、チャゴス諸島の住人約1800人がモーリシャス島へ強制移住させられた。

周囲は珊瑚礁に囲まれ、天然の白浜が続き、「レースに縁取られたようだ」と称される。『トム・ソーヤーの冒険』の著者として知られるマーク・ トゥエインは、「神はモーリシャスを最初に創り、そしてモーリシャスを真似て天国を創った」と言った。

多言語が使われ、例えば、レストランのメニューは英語、オーダーはフランス語、家族同士はクレオール語で話す。街中にはヒンズー教の色鮮やかな寺院やキリスト教の教会があり、18世紀にフランス人によってサトウキビのプランテーションが行なわれたのでサトウキビ畑が島の大部分に青々として広がる。

サトウキビから作られるラム酒も有名である。サトウキビ栽培のモノカルチャー経済から脱却を図って進められたのが繊維産業で、ヨーロッパのブランドの製品の多くがモーリシャスで作られる。買う場所、物を選べば高品質なものを非常に安く買えることもできる。多民族国家を生かした外交で、インド、中国、アフリカ諸国などと租税条約を締結し、タックスヘイブン(租税回避地)でもある。

タイ・チエンマイ

タイ・北部、チエンマイ県の県庁所在地チェンマイ、気候はタイ中央平原部より穏やかで、多数の国立公園がある。県内には多くの山・山脈があり県南部は、チャオプラヤー河の支流のピン川が流れる。

チエンマイ市内から西に位置するインタノン山(標高2,575メートル)はタイ最高峰の山である。チエンマイ県は、1296年以来ラーンナータイ王国の首都であったが、1599年にアユタヤに占領され、その主権を失う。

1782年には、カーウィラ王がラーマ1世によってその主権が再び認められた。しかし、ラーマ5世(チュラーロンコーン)のチャクリー改革の一環で、中央政府のコントロールの下に置かれる。歴史ある街であるため、現在でも多くの寺院や遺跡が存在し、北部の文化・経済の中心、バンコクに次ぐタイ第2の都市とされる。

チエンマイとは、「新しい街」という意味であるが、これはマンラーイ王が都を建設した際すでにチエンラーイ(「マンラーイの街」という意味)があった。これに対し、新たに建設された街を「新しい街」、チエンマイと称したのが名の由来である。

当時、チエンマイ建都の要因として、元の侵攻を避けること、コーク川に面したヨーン地域にアクセスがよいこと、さらに、北上すればマンラーイの母体であったヨーン地域の支配に不便でなかったこと、ピン川の上流で、チャオプラヤー川、タイランド湾に通じ貿易に有利であったことなどがある。

コロラド州南西部 メサ・ヴェルデ国立公園 (Mesa Verde National Park)

プエブロインディアンのアナサジ族の残した断崖をくりぬいた一連の集落遺跡群、スペイン語で、緑の台地という意味で、1906年7月29日に国立公園として制定され、1978年9月6日に世界遺産 (文化遺産) に登録、1987年5月29日にアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定された。

1874年にメサ・ヴェルデ遺跡の存在は知られたが、本格的な考古学的調査は、1888年に当地の牧場主リチャード・ウェザーリルによって「クリフ・パレス」が発見され、調査で108ヶ所に及ぶ断崖をくりぬいた集落を確認してからとなる。1891年、考古学者ジェズ・ウオルター・ヒュークス(J.W.Fewkes)とスウェーデン出身の 地質学者グスタフ・ノルデンショルドにより、初めて本格的な発掘調査がされる。

1世紀ごろ、農耕民であるアナサジ族が住み始めたと推測され、8世紀ころまでバスケット・メーカー文化と呼ばれる独特なかご作りで知られる文化を築いていた。9世紀ころからキヴァという儀式を行う施設を伴う日干し煉瓦の壁によって区画された集落遺跡を築くようになり、プエブロ文化と呼ばれる。

12世紀頃、外敵の襲来に備え本格的な「岩窟住居」を作り、住み始めたと考えられている。同時期の遺跡では、ニュー・メキシコ州北西部、半円形の壮大なプエブロ・ボニート遺跡を中心とするチャコ・キャニオンの遺跡群が知られる。

その他、ユタ、コロラド、アリゾナ、ニュー・メキシコ4州の州境が1点に集まるフォー・コーナーズ周辺に、数多くの遺跡群が見られる。14世紀頃、とつぜん放棄されたと推測されているが、クリフ・パレスといわれる「岩窟住居」の遺跡は200室ほどあり、一番高いところでは、4階建て相当の高さとなり、高級マンションのようでもある。

モロッコ、シャウエン ( Chaouen )

モロッコのシャウエンは、 リーフ地方の山中にあり、タンジェとテトゥアンから内陸に入ったところに位置する人気の観光地である。

フェズからは、バスで約4時間ほどのところ、近くには、アフリカで最も深い洞窟の一つであるKef Toghobeit Caveがある。

シャウエンの町では、実際に壁を青く塗っている光景に何度か出会う。
海辺の街かと思いきや、でも、ここはサハラ砂漠のあるモロッコ。

もともとは白い街だったらしいが、青く塗るのは虫よけの意味があるとか、また、涼しげに見えるからという説もある。

シャウエンは小さい町なので、のんびり散歩するのが楽しい。
また、モロッコはネコが多い国で、青い町にネコがいるという光景は、街歩きが楽しくなりそうで、フォトジェニックな街でもあるようだ。

シャウエンのメディナ(旧市街)の広場あたりには、牛肉とプルーンのタジンが絶品のレストラン「アラジン」がある。

1471年、ポルトガルの侵略と戦うための小さな要塞として建造された街で、多くのモリスコとユダヤ人が、スペインによるレコンキスタの後ここに定住した。

1920年、スペインによりスペイン領モロッコとして占領されたが、1956年、モロッコ独立により、モロッコの都市となる。

この都市の名の由来は、ヤギの2つの「つの」のように見えるという街から見える2つの山の頂きによる。

シャウエンでは、ウールの衣服、毛織物など、モロッコの他の場所で手に入れることのできない現地の手工芸品が数多く売られている。
当地原産のヤギのチーズも観光客には人気がある。

エジプト、聖カタリナ修道院

聖カタリナ修道院(Saint Catherine’s Monastery)は、エジプト、シナイ山の麓にある峡谷の河口に位置し、現在も継続して機能するキリスト教正教会の世界最古の修道院である。

6世紀の蝋画法による聖ペトロのイコンを収蔵し、ユネスコの世界遺産に登録されている。

800年ごろは、エジプトはムスリムの国であったが、修道院が所有するムハンマド本人により署名されたものとされる文書によると・・・
修道院がある種の政治的亡命施設として容認されるようになった後にムハンマドが敵から身を守るためこの修道院に身を隠し、修道院領内にファーティマ朝のモスクが立てられた。

こうした理由もあり、修道院は長年に渡り、一帯のイスラム教支配下でも生き延びることができた。しかしこのモスクは、正しくメッカの方角を向いていないため現在では使用されていない。

サンクトペテルブルク(ロシア)

1703年、ピョートル大帝によりロシアの近代化の窓口として、ネヴァ川河口の泥沼地に莫大な費用をかけて人工的に作られたレーニングラード州の州都で、5月下旬から7月中旬には太陽の沈まない白夜がある町でもある。

バレエや文学が盛んな芸術都市として知られ、エカテリーナ2世によってエルミタージュ美術館が建てられるなど芸術都市としての礎が築かれた。

19世紀には天才と謳われた詩人・プーシキンや、『罪と罰』のドストエフスキーなどもこの都市を拠点に活動しロシア文学が花開いた。

ペトロハヴロフスク要塞、エカテリーナ宮殿など歴史を刻む多くの建築物が周辺の歴史地区と共に世界遺産に登録されている。