三河湾国定公園 日間賀島


日間賀島(ひまかじま)
三河湾に浮かぶ離島。行政上は愛知県知多郡南知多町に属し、全域が三河湾国定公園に含まれる。2015年(平成27年)の国勢調査における人口は607世帯1,896人だった。「タコとフグの島」という観光PRを行なっている。篠島や佐久島と合わせて「三河湾三島」または「愛知三島」などと呼ばれる。

海岸線長
6.6km
最高標高
30.2m

知多半島・渥美半島まで10km以内と距離的に近く、また本土との生活交流が活発なため、国土交通省による離島分類では内海本土近接型離島にあたる。

日間賀島の周囲には西港の正面にある鼠島や角石(角石島)などの属島があり、下瀬(下瀬島)は干潮時のみ現れる。角石と下瀬は師崎からの航路付近にあるため、島上に灯台が設置されている。日間賀島の北東部にも無数の浅瀬があり、佐久島との中間付近佐久島との中間付近にある大磯にはやはり灯台が設置されている。

南岸は150m沖合で水深10m、東岸は350m沖合で水深10mなのに対して北岸は浅く、1,000m沖合で水深20mである。篠島との中間付近には面積0.03km2の築見島があるが、築見島は一般に篠島の属島とされている。

東岸の里中と西岸の西浜の二つの集落があり、里中は中と小戸地に、西浜は新居と寺下と浪太に分かれている。日間賀島は全体がなだらかな丘陵地を形成しており、島のほぼ中央に30.2mの最高標高地点がある。

面積は0.77km2であり、皇居の約半分である。日間賀島の森林面積は4%に過ぎず、面積の31%が森林の佐久島、面積の24%が森林の篠島と比べて森林に乏しい。篠島とは違って比較的広い耕地があり、1960年代から1970年代(昭和40年代後半から昭和50年代前半)にかけてオリーブ、フキ、ウメなどの栽培がなされたが、これらは定着していない。現在は三河湾三島に農業経営体は存在しない。

人口

江戸時代に描かれた『日間賀古図』には、西里に120戸余り、東里に150戸余りが描かれた。江戸時代後期にまとめられた『尾州徇行記』による人口は938人だったが、1891年(明治24年)には1,311人、1930年(昭和5年)には1,951人と、1世紀余りの間に人口が2倍以上に増加した[1]。その後も人口は増え続け、1955年(昭和30年)の国勢調査では過去最高値の2,788人を記録した。

しかしそこから減少に転じ、1960年(昭和35年)の調査では2,728人、1970年(昭和45年)の調査では2,622人、1980年(昭和55年)の調査では2,576人、1990年(平成2年)の調査では2,397人、2000年(平成12年)の調査では2,221人、2010年(平成22年)の調査では2,051人と、年々減少幅を拡大させている。世帯数は1975年(昭和50年)の調査で初めて600世帯を突破し、1990年調査の658世帯をピークとしながらも、2010年(平成22年)の調査でも630世帯を維持している[1]。2010年調査での高齢者人口比率は29.4%である。

2000年(平成12年)の国勢調査による人口密度は2,882人/km2であり、2位の池島(長崎県、2,641人/km2)、3位の篠島(2,192人/km2)などを上回って日本の離島中最高だった。明治・大正・昭和にかけて篠島より人口が少なかったが、戦後には篠島の人口減少が著しく、1990年の国勢調査では日間賀島2,397人、篠島2,352人となり、2世紀以上ぶりに篠島の人口を上回った。

古代から近世

東港近くの日間賀神社境内には7世紀から8世紀にかけての古墳が14基あり、北地古墳群と呼ばれている。日間賀島全体では35基の古墳があり、石錘・釣針・直刀・須恵器などが出土している。古くから渥美半島の福江(現田原市)との交流が活発で婚姻などが行われ、言語にも三河地方の文化の影響がみられる。

奈良時代の文献には三河国幡豆郡比莫島という文字がみえ、平城京にサメやクロダイが調進されていた。

江戸時代は尾張国知多郡に属する尾張藩領であり、篠島とともに千賀氏が支配した。『寛文郷帳』『天保郷帳』における村高は50石であり、『旧高旧領』『寛文覚書』では93石余だった。江戸時代もやはり漁業が中心であり、コノワタを名産とした。元禄4年(1691年)の『知多郡船勢』では日間賀島を121艘(2512石)としており、知多郡内で最も船数の多い地域だった。

近代から現代

1876年(明治9年)には本土の師崎村や篠島村と合併して鴻崎村となったが、1881年(明治14年)に再び三村に分離して単独で日間賀島村となった。明治中期以後には漁業に加えて養蚕業が盛んとなった。1889年(明治22年)に町村制が施行されると、知多郡日間賀島村として村制を敷いた。

江戸時代までの漁業は三河湾内に限られていたが、明治時代以降には外海に飛び出して延縄漁を行なうようになり、大正初期以降には漁船の動力船化が進んだ。1951年(昭和26年)時点でも漁船の1/3は無動力船だったが、1965年(昭和40年)には無動力船の割合は5%程度まで減少した。

1957年(昭和32年)には離島振興法の第7次指定地域となり、篠島・佐久島とともに「愛知三島」という指定地域名が付けられた。1961年(昭和36年)6月1日、内海町・豊浜町・師崎町・篠島村・日間賀島村の本土3町と離島2村が合併して南知多町となった。1958年(昭和33年)4月には三河湾国定公園に指定され、1991年(平成3年)には三河湾地域リゾート整備構想の重点整備地区に指定されている。

平成の大合併の際には南知多町・美浜町の任意合併協議会が設置されたが、南セントレア市という新市名候補に両町の住民が拒否反応を示して合併自体が不成立となった。2011年(平成23年)9月から12月にかけて、「あいちの離島80日間チャレンジ」という離島観光振興キャンペーンが行なわれた。日間賀島には27歳の女性アマチュア歌手が80日間滞在し、日間賀島のテーマソングを制作するなどの活動を行なった。2012年(平成24年)10月には佐久島に滞在したイラストレーターによって各島のゆるキャラがデザインされ、特産のタコをモチーフにした「たこみちゃん」がお披露目された。

名古屋大須商店街 文珠小路

2本の小道で昭和へタイムスリップ。
気をつけないと見過ごしてしまうなほどひっそり存在する「文珠小路(もんじゅこうじ)」。
わずか約50mのレトロな2本の小路には、秘密にしたい隠れ家的なおいしいグルメが待ってる。
かわいい雑貨屋さんもあるから、ショッピングも一緒に楽しむこともできる。
大須商店街の2本の小路「文珠小路」には素敵なお店が満載

アンティークな雰囲気で、おいしいワインとビールを【WINE CAFE LUCE】
店主とのトークも楽しい、そばとお酒を堪能する【お蕎麦とお酒 DEN】
ジャズが流れるレトロ空間で、ワインとコーヒーを味わう【WINE CAFE LUCE】
中世ヨーロッパのイメージが漂うアンティークな空間で、おいしいワインを気軽に嗜むことができる【WINE CAFE LUCE】。
半地下と中2階に席を設けて、当時の造りを生かしたレトロなイメージがあふれる店内には、ヴィンテージのスピーカーからは軽快なジャズが流れ、昼夜問わずムード満点。
独特の造りの店内は、隠れ家的な雰囲気も

長良川、揖斐川の河口界隈周遊

長良川河口堰

三重県の長良川の河口部に治水と利水を目的に作られた堰(河口堰)。

長良川に初めて造られた堰であり、この河口堰ができるまでは、長良川は本州で唯一の本流に堰のない大きな川だった。

元は工業用水を溜めるために計画されたが、計画が30年以上紆余曲折するうちに重工業がさして水を必要としなくなったため、洪水防止に名目を変更して建設が進められた。

その建設に当たり、利水や治水の観点から建設を望む声がある一方[要出典]、長良川の生態系や漁業などへの悪影響などが懸念され、漁協や自然保護団体、日本全国のカヌーイストらなどによって激しい反対運動が起き、建設の是非をめぐる論争が発生した。

本来の目的を失ったにも関わらず計画を中止しない建設省の強硬な態度は、建設省と土建屋の癒着があったからという意見もある。

この論争は、単なる「開発」か「環境」かという論点をこえて、誰がこの問題の「当事者」たりうるのかという、税金を使う公共事業のあり方、河川管理や産業振興、環境保護のあり方についての論点を提起することにもなった。

目的:治水(塩水の遡上を防止することにより、長良川の浚渫を可能にし洪水を安全に流下させる)、水道用水、工業用水

形式:可動堰
堤頂長:661m
堰高:8.2m
建設費:約1,500億円
事業者:水資源機構ダム事業部
本体施工業者:大成建設・鹿島建設・五洋建設共同企業体
着工 / 竣工:1968年(昭和43年) / 1994年(平成6年)
所在地:三重県桑名市長島町

桑名七里の渡し公園

木曽三川にまつわる史跡と桑名を代表する建築とをつなぐ場所に整備された、川と街に一体となった歴史公園で、地域の歴史にちなんだ意匠を随所に取り込んでいます。 周辺史跡を巡る道中や日々の散歩時に、流れるせせらぎに耳を傾け、芝生広場でゆっくりとくつろげます。

近隣には、鹿鳴館の設計で有名なイギリス人建築家ジョサイア・コンドル設計による洋館と池泉回遊式庭園を持つ、国の重要文化財の「六華苑」、春と秋に一般公開される美しい庭園「諸戸氏庭園」、

東海道五十三次で知られる桑名宿の渡船場「七里の渡し跡」等があります。 今後、揖斐川右岸地区と七里の渡し地区の整備を予定しており、現在は住吉地区が開園しています。

なばなの里

三重県桑名市長島町駒江にある植物園である。長島観光開発株式会社の運営するナガシマリゾートの一施設である。
里内には8店舗のレストランがあり(長島地ビール園、ベーカリーレストラン「マルセイユ」、イタリアンレストラン「麦」、とんかつ「かつ○」、中国料理「桃仙」、日本料理「翡翠」、「カフェ・ラ・テラス」、麺料理「芭蕉庵」)、他にもベーカリーショップ10・2・5(テンツーファイブ)や、売店の「村の市」では特産品や地ビール、お土産などを購入できる。また長島温泉を利用した日帰り温泉施設「里の湯」がある。さらには東海地方最大級の「花市場」が隣接してあり、東海地元の野菜や季節のお花が買うことができる。

園の名前は当地の特産品である「なばな」に由来する。

オアシス21

オアシス21
愛知県名古屋市東区東桜一丁目に所在する
公園やバスターミナルなどの公共施設と商業施設との複合施設
2002年(平成14年)10月11日に正式オープン

公園施設の管理・運営は第三セクターの栄公園振興株式会社が行う
都市公園としては「久屋大通公園」の一部
公募によりオアシス21の愛称がつけられた

東側に隣接するNHK名古屋放送センタービルと愛知芸術文化センター
南側に錦通が通り、西側に久屋大通が通る
錦通と久屋大通の交差点の北東に位置する

建設前は、NHK名古屋放送会館と愛知県文化会館があった
東に隣接する栄公園と敷地を入れ替える形で名古屋市が整備
栄公園にはNHK名古屋放送局と愛知芸術文化センターが建設された

整備構想については、1980年代から具体化してきた
まずは、1982年の愛知県文化会館の再整備構想
1984年のNHK名古屋放送会館の立て替え構想などがあり
1985年6月には愛知県と名古屋市、NHKの3者による「栄公園地区の総合的な整備に関する覚書」が締結されるに至った

これは、名古屋市が栄公園地区の整備計画を策定し
愛知県は文化会館の整備、NHKが放送会館の整備を
それぞれ協力しながら推進していく方針の確認であった

当初の計画には
栄地区のバスターミナルをすべて集約した施設を地下2階に設置する構想もあった
が、最終的には久屋大通公園の栄バスターミナルを残したほか
施設を半地下構造とすることにより事業費を圧縮した

整備完了までの暫定的な利用として、駐車場やさまざまなイベントに利用された
そのなかでも、1997年3月2日から1998年12月27日までの間、劇団四季による名古屋ミュージカル劇場が設置されたこともある
これは、座席数約1130の劇場であり、「オペラ座の怪人」と「美女と野獣」の公演を行った

また、事業費圧縮の方策として、事業の提案競技方式が採用されることとなった
また、名古屋市都市整備公社が建設し、名古屋市が分割払いによりこれを取得するという建設代行方式が検討された

1997年2月15日、最優秀案として大林組の案が採用されることとなった

マスコットキャラクターとして、恐竜をモチーフとした「いやしす」が設定されている

当施設では、日本生命、レオパレス21、寿がきや、ダイハツ・キャストなど多くのテレビCMの撮影に使われた実績がある

外国人観光客に人気の高いスポットであり、「夏のフォトジェニック観光スポット」として国内では北海道・洞爺湖に次ぐ2位に選ばれたことがある
また、コスプレイベントやハロウィンの日には多くの若者が集まる

弥富野鳥園

「野鳥の保護、調査、観察等を通じて、野鳥の保護思想の普及啓発を図る」ことを目的として、渡り鳥など野鳥が多く見られる鍋田干拓地の一角に造成され、1975年(昭和50年)5月に開園した。

約36ヘクタールの園地の内、約33ヘクタールを保護地(通常は一般来園者立入禁止)として草原や林、池や水路などを設けると共に約3ヘクタールを小公園として整備し、観察施設を兼ねた本館を置いている。

本館は鉄筋コンクリート3階建てで、2階にはパネルや写真を展示する展示室と剥製を陳列する資料室があり、3階には6台の双眼望遠鏡を備えた展望室を設置している。

また、探鳥会をはじめとする各種のイベント(公式サイトを参照)を開催しており、土・日・祝日には日本野鳥の会の観察指導員が来園して野鳥観察のアドバイスなどを行なっている。

園地内では開園以降200種を越える野鳥が観察されているほか、野性化したヌートリアが確認されている。

ヌートリアとは?

ヌートリアは、ネズミ目ヌートリア科ヌートリア属の動物で、南アメリカが原産です。見た目はネズミですが、頭胴長が(しっぽを除いた頭からお尻までの長さ)40 – 60 cm、体重が5 – 9 kgほどもあるので、かなり目立つ生き物です。生後5・6ヶ月頃には性成熟し、年二回、平均5頭の子供を生みます。かなり繁殖力の高い生き物です。寒さには、それほど強くないといわれており、冬期に河川が凍結するような地域では生存できません。冬期には、長い尻尾が凍ることによって弱ったり、流産することが知られています。

金シャチけいばNAGOYA

名古屋競馬場は、2022年4月、愛知県弥富市へ移転した

名古屋競馬場(なごやけいばじょう/英: Nagoya Racecourse)は、愛知県弥富市駒野町1番地にある地方競馬の競馬場である。キャッチフレーズは「金シャチけいばNAGOYA」(きんシャチけいばなごや)。かつては名古屋市港区にあったが、2022年4月に愛知県弥富市へ移転した。

通称・愛称土古競馬場
金シャチけいばNAGOYA
所在地愛知県弥富市駒野町1番地
座標北緯35度03分09秒 東経136度47分05秒
起工1948年1月
開場
1949年6月(名古屋市)
2022年3月22日(弥富市) 
閉場
2022年3月11日(名古屋市)
所有者愛知県競馬組合
管理・運用者愛知県競馬組合
収容能力約2000人
コース周回右回り馬場ダート(1周1,180m)

旧名古屋競馬場

所在地の旧名から愛称として古土競馬場(どんこけいばじょう)とも呼ばれていた。かつては障害競走が行われていて内馬場には1コーナーから3コーナーに向かうたすき状の障害コースの名残が見られ、3コーナーからの襷の入り口付近に生垣障害が残っていた。

1周1100 m・幅員23m・右回りダートコース

直線距離194 m(第4コーナーから決勝線まで)※ 現存する競馬場の中で日本一短い直線であった。

距離設定 [m]: 800, 1300, 1400, 1600, 1800, 1900, 2500(かつては2400 mも存在した)

2500 mは名古屋グランプリのみで使用した。

1300 mは2011年11月17日を最後に使用しなかった。

最大出走頭数(フルゲート): 12頭

コースの形状から外枠の出走馬が人気薄でも来ることがある。そのため以前から枠番連勝複式(枠複)の7-8はよく[独自研究?]売れていた。

新名古屋競馬場

1周1180 m・幅員30m・右回りダートコース

直線距離300m(第4コーナーから決勝線まで240m)西日本地区の地方競馬では最長距離である。

第2コーナーから向正面と第3、4コーナー中間に若干の高低差

第3コーナー入口から第4コーナー出口にかけてスパイラルカーブが存在

距離設定 [m]: 900, 920, 1500, 1700, 2000, 2100

最大出走頭数(フルゲート): 12頭

スタンド棟

新名古屋競馬場のスタンド棟は延べ床面積5400平方メートル[7]。インターネットによる馬券購入の増加により、観覧席は屋内屋外あわせて574席で旧競馬場の約10分の1となった。

パドック

旧名古屋競馬場は奥行19m、幅44.5mに対し、新名古屋競馬場は奥行22m、幅48mと拡張された。また馬体重の表示は以前は手動でパネルをはめていたが、新名古屋競馬場では電光掲示板に変更された。

入場料

名古屋競馬場開催時は100円(場外のみ発売時は無料)。

硬貨を直接自動改札機に投入する方式である。

通常、15時20分以降は無料で入場できる。

かつて行われていたファンサービス編集

毎週火曜日は「レディースデー」のため、女性は入場料が無料だった。

名古屋競馬場オフィシャルサイトから無料入場券(クーポン券)をプリントアウトしたもの、または携帯電話・スマートフォンで無料入場券の画面を有人の入場門で提示すると無料で入場できた。

バス、地下鉄、ドニチエコキップでGet!

名古屋市交通局の「バス・地下鉄全線一日乗車券」または「ドニチエコきっぷ」を有人の入場門で提示すると無料で入場できた。

移転後の跡地利用編集

現在の名古屋競馬場跡地は場外馬券売場などに活用される[。2022年2月に中部電力を中心とするグループと愛知県・名古屋市が跡地開発について基本協定を締結している[。2022年3月18日以降は元の競馬場施設の一部を「サンアール名古屋」の名称とし場外馬券売場として営業を続けるが、南東区画の一部施設を利用して新規に場外馬券売場を設ける計画がある。元の競馬場敷地の大部分は、一旦2026年アジア競技大会の選手村として使われた後、2028年を目処に複合商業施設・マンション・教育施設などを持つエリアとしてオープンさせる予定。

中川運河再生計画


岡谷鋼機、中川運河の倉庫
中川運河沿いに、昭和初期の黒色の三角屋根が連なったデザインを再現した自社倉庫「中川配送センター」では、配管や鉄骨などの建築資材を保管する。倉庫の延べ床面積は約2860平方メートルで、2020年1月から稼働した。倉庫は1934年から使用していたが、老朽化のため取り壊し、建て替え工事を進めた。耐震性を強め、運河沿いであることから、浸水に備えて土地をかさ上げした。夜はライトアップをし、観光資源としても活用する。

岡谷鋼機、中川運河の倉庫
中川運河沿いに、昭和初期の黒色の三角屋根が連なったデザインを再現した自社倉庫「中川配送センター」では、配管や鉄骨などの建築資材を保管する。倉庫の延べ床面積は約2860平方メートルで、2020年1月から稼働した。倉庫は1934年から使用していたが、老朽化のため取り壊し、建て替え工事を進めた。耐震性を強め、運河沿いであることから、浸水に備えて土地をかさ上げした。夜はライトアップをし、観光資源としても活用する。

『VERMICULAR RESTAURANT THE FOUNDRY(バーミキュラレストラン ザ ファウンダリー)』
すべての料理にバーミキュラを使用し、季節ごとの食材そのものの味わいを活かした料理で、モーニング・ランチ・ディナーに至るまで一日中楽しめる。吹き抜けが特徴的な広大な空間には74席が設置され、木のぬくもりにあふれるモダンな雰囲気の中、個室も用意されている。
テラス席では、水鳥も飛び交う中川運河の眺望とともに食事を楽しむことも出来る。
モーニング(8時〜10時30分)の時間帯のおすすめメニュー
『イチゴとマスカルポーネのタルティーヌ』
『こだわり卵の目玉焼きをのせたラタトゥイユのタルティーヌ』
『こだわりキノコのダッチパンケーキ』
ランチタイム(11時〜14時30分)
ライスポットで炊いたレモンライスに自家製スパイスを効かせた無水カレーがついた『豚すね肉とカリフラワーのスパイスカレー』が一押し。
他にもビーフシチューや魚料理、肉料理のランチも提供。
すべてにライスポットで炊いたご飯もしくはポットメイドブレッドがついてきます。
ディナー(17時30分〜22時)
アラカルト料理がメイン。
店内の薪窯で調理した『愛知鴨の薪火のロースト』
鍋ごと提供される『バーミキュラで無水調理した季節野菜』
デザートには『バーミキュラで作った栗のクリームブリュレ』など幅広いメニューを提供。
さらに『苺とリュバーブのマティーニ』などのオリジナルカクテルもある。

猿投山

猿投山

晴れた日に名古屋市の北東に望まれ、豊田市と瀬戸市の境にある猿投山は、木曽山脈の南端に位置する黒雲母花崗岩の山で、愛知高原国定公園に含まれる。
山腹には国の天然記念物に指定されている球状花崗岩があり、断面が菊の花のように美しい紋様を見せることから菊石とも呼ばれている。また、花崗岩が風化した「さば土」は陶土に適している。

山名の由来は景行天皇が伊勢行幸の折、かわいがっていた猿のいたずらに業を煮やし、海に捨ててしまった。その猿が住むようになったことによるという。古くから信仰の山として登られ、山麓に三河国三ノ宮の猿投神社があるほか、原生林に覆われた中腹には東ノ宮と西ノ宮がある。登山道は東海自然歩道が猿投神社から山頂を経由して瀬戸市側の雲興寺へ通じている。

猿投神社

奈良時代に仲哀天皇の勅願で創建された由緒正しい神社で、今では県の重要無形文化財・棒の手の奉納の舞台として知られ、春から夏にかけては周囲を緑包まれ、境内は情緒抜群で舞台建築も見応えがある。

県の無形民俗文化財に指定されている「棒の手」の奉納で有名な、猿投まつりの舞台となるのが、猿投神社で、猿投山の麓に本社があり、猿投山の山頂に、奥の院の西宮と東宮がある。

猿投神社の主祭神は、大碓命(おおうすのみこと)で、古墳時代の皇族の一人、小碓命(おうすのみこと=日本武尊)の双子の兄にあたる。
大碓命はこの地の開拓に尽くしていましたが、猿投山で毒ヘビのために亡くなったとされていて、西宮の後に墓所がある。

また、猿投神社では古くから左鎌を奉納して祈願する風習があるが、御祭神・大碓命が左利きであったことから、左鎌を用いて開拓されたことを慕ったことが起こりではないかと伝わる。

猿投まつり(10月第2日曜とその前日の土曜)
毎年10月の第2土曜に試楽祭、翌日曜に本楽祭が執り行われ、試楽祭では、幻想的な神輿渡御と、力強い棒の手の奉納などが、本楽祭では、棒の手や巫女舞などの奉納が行われる。

名古屋西部 水郷めぐり

あおなみ線

ささしまライブ駅
駅周辺には異文化体験ができる「JICA中部」や東海地区最大のライブホールである「Zepp名古屋」、総合エンターテイメント施設として「マーケットスクエアささしま」がある。駅南側地区は愛知大学があり、さまざまな都市機能の複合的な集積が予定されている。

名古屋競馬場前駅
地名をとって通称「ドンコ(土古)」の競馬場として親しまれる名古屋競馬場は、文字通りあおなみ線名古屋競馬場前駅と目と鼻の先。スタンドの歓声が聞こえてきそうな位置にある。
あおなみ線の往復きっぷで観覧席への招待も。

百曲街道
江戸初期、尾張藩主・徳川義直の命により、堀川と庄内川の間の海岸線約4平方キロメートルを干拓し、熱田新田が開かれた。慶安2年(1649)、熱田新田の干拓が行われた後、この新田の北側に自然にできた道路で、中川区尾頭橋から港区正徳橋まで続き、くねくね曲がっていることから、「百曲街道」と呼ばれるようになった。江戸末期から明治期には、名古屋の城下町と西南部をつなぐ産業道路の役割を果たした。

あおなみ線

ささしまライブ駅
駅周辺には異文化体験ができる「JICA中部」や東海地区最大のライブホールである「Zepp名古屋」、総合エンターテイメント施設として「マーケットスクエアささしま」がある。駅南側地区は愛知大学があり、さまざまな都市機能の複合的な集積が予定されている。

名古屋競馬場前駅
地名をとって通称「ドンコ(土古)」の競馬場として親しまれる名古屋競馬場は、文字通りあおなみ線名古屋競馬場前駅と目と鼻の先。スタンドの歓声が聞こえてきそうな位置にある。
あおなみ線の往復きっぷで観覧席への招待も。

百曲街道
江戸初期、尾張藩主・徳川義直の命により、堀川と庄内川の間の海岸線約4平方キロメートルを干拓し、熱田新田が開かれた。慶安2年(1649)、熱田新田の干拓が行われた後、この新田の北側に自然にできた道路で、中川区尾頭橋から港区正徳橋まで続き、くねくね曲がっていることから、「百曲街道」と呼ばれるようになった。江戸末期から明治期には、名古屋の城下町と西南部をつなぐ産業道路の役割を果たした。

東海通
名古屋市道東海橋線につけられた愛称で、名古屋市の南部をほぼ東西に横切るように走る路線であり、西は蟹江町との境にあたる河合小橋交差点から、千年交差点・野並交差点などを経由しながら、東は豊明市との境に近い徳重交差点までを結ぶ。
古くからの街道である東海道とは一字違いで読みも似ており、名古屋市南部を東西に横切るという特徴も似ていることから混同されやすいが別物である。
東海通と東海道(国道1号)は、名古屋市南区にある千竃通1丁目交差点で交差しており、江戸時代のルートである旧東海道とは同区の呼続小学校前交差点で交差している。

名古屋市港区の大音寺
お寺だけでなく寺カフェ“一輪いちりん”というもうひとつの顔がある。
一輪という店名の由来は「皆さんがここで集まれる場所であってほしい」という願いが込められ、ひとつの輪=一輪と名付けられた。
名付け親は代表を務める大音寺若坊守の西川さやかさん。西川さんは調理師学校を卒業した後、フランスで料理を学び、帰国後はお料理教室を開いた。
西川さんの心の中には、「お寺の仏事にしかお斎場などを活用しないのではせっかく建物を新しくしてももったいない」という気持ちがあったそうです。
そこで出来るだけ活用できる方法を考えた末、毎日カフェを開けば、気軽にお寺に寄ってもらうことが出来るのではという思いからカフェを開く決心をされた。

戸田川緑地
名古屋市中川区と港区にまたがる都市公園。
平成元年(1989年)に開園、名前が示す様に戸田川中流の両岸2.5kmに渡って広がる。公園は南地区・中央地区・北地区に分かれており、計画面積は59.6ヘクタール(陸地面積40.1ヘクタール)となっているが、未完成の部分も多く、現在も工事が進められている。

蟹江川排水機場
蟹江川は上流域で大江用水につながっており、一宮市を除く流域内の地盤は、地下水の汲み上げで沈下していることから、河床は比較的高く、これらの地域では降った雨水はポンプにより排水を行っている。
蟹江川は下流部で日光川に合流するが、日光川本川の水位が高いため、常に自然流下で日光川に排水するには、蟹江川の堤防を現在より2メートル程度上げる必要があった。
そのため、新たに両側に堤防の用地が必要になるが、この川の両岸とも人家が密集しており、用地取得には住民への影響や長期間の日数を要することなどが懸念されるため、堤防の高さをそのままにし、蟹江川の水を排水機で日光川に排水する計画とした。
蟹江川排水機場は、昭和53年に排水能力毎秒40立方メートルを持つ施設を完成し、その後、平成5年に、流域の都市化等による流出量の増加に対処するため、ポンプ1台を増設し、毎秒52立方メートルの排水能力となった。
日光川から蟹江川への逆流防止、及び蟹江川の水位調節を目的として、排水機場に隣接して水門を設置している。 

飛島村
その面積のほとんどが開墾された土地で、1693年に大宝新田、1801年に飛島新田、1879年に政成新田が開拓された。
飛島村開拓の歴史の中でも飛島新田は767ヘクタールと規模が大きく、大変困難をきわめた開拓だった。この新田は、当時、熱田奉行兼船奉行であった津金文左衛門が尾張藩主の命を受けて開墾されたもので、現在も飛島村開拓の恩人として、元松神明社に銅像としてその姿を留め、飛島の地を見守り続けている。
東は日光川の中央を境とし、蟹江町・名古屋市港区に、西は筏川の中央を境とし、北は弥富市に隣接し、南は伊勢湾の最北部に面している。
全体の面積は約22.42km2と小さな村だが、北部は農村地帯、南部は臨海工業地帯となっており、昔ながらの、田園風景と名古屋港を中心とした貿易の拠点としての機能が共存している。
農村地帯では、水稲・麦・露地野菜・温室野菜・花卉等の栽培が盛んに行われ、また、一部では金魚の養殖も行われている。
臨海工業地帯には、輸送関連会社・倉庫会社・木材関連事業所・鉄鋼関連事業所・火力発電所などが立地し、名古屋港の物流の重要な地域となっている。

南知多豊浜 貝殻公園 見晴らし広場

南知多豊浜「日和山・貝殻公園」は、県外、時には、海外からも訪問者が来るという知多半島の珍スポット。

この貝殻公園は、日和山の頂上にあり、標高は、諸説あるが69メートル程度と低い。 登山道は、津波が来た時の避難場所に使うため治山され、綺麗に舗装されている。 登っていくと徐々に貝殻公園らしくなってくる。「白山神社」の鳥居は貝殻が並んで埋められ、近くでみると、ややゾッとするような感じも。粒々の集合体に恐怖を感じるトライポフォビア、というものなのか。

トライポフォビア
小さな穴や斑点などの集合体に対する恐怖症のことで、ギリシャ語のtrypo+ギリシャ語のphobiaを掛け合わせた造語として、2005年に命名された用語、日本語では、集合体恐怖症と通称されることもある。症状などは個人差がある。

砲台、船、休憩場所のテーブルやベンチ全て貝殻づくし。
砲台には、「若人よ 明治につづけ?ど根性」、と・・・? 「河和営業所」と貝で書かれた柱もあるが、何かの営業所?だったのか。

この公園は、約26年をかけておじいさんと息子さんの2人で作られたそうで、謎な物があったり、珍スポットとして有名だったようだ。今は、ずいぶん荒れて、あまり人が来た気配がなさそう、でも、造形物には製作者の信念が感じ取られる。このまま朽ち果てていくのは、もったいない、途中までは津波対策で綺麗になっているので、この公園も綺麗に復活し、いつか、船の見晴台から海を眺めてみたいところだ。