ハウステンボス

オランダの街並みを再現したテーマパーク・ハウステンボスは佐世保市の町名にもなっていて「佐世保市ハウステンボス町1-1」。佐世保市針尾島の早岐瀬戸に接する部分に位置し、総開発面積は152ヘクタール(46万1干坪)、現在の東京ディズニーリゾートとほぼ同規模。

ハウステンボス敷地の大部分は江戸時代に干拓された水田地跡で、太平洋戦争時に軍に接収され、短期間、広島県江田島の海軍兵学校分校が置かれた。大戦終結後には厚生省佐世保引揚援護局が置かれ、上陸した引揚者は休息救護されその後故郷への帰宅の途についた処。

その後、長崎県に払い下げられ針尾工業団地として造成を行うも、工業用水供給の問題などから企業誘致が進まず手つかずのまま。大村湾西岸でテーマパーク運営で成功していた長崎オランダ村を発展的に大規模に拡大した施設を設置する。完成後、商号変更を行い現在のハウステンボス(ハウステンボス株式会社)に至る。

ハウステンボス自体の入場者は、1996年度には380万人を記録したが、2001年度の入場者は292万人まで減少した。2003年には初期投資の負債2,289億円を解消できず、会社更生法の適用を申請して破綻に追い込まれ改正会社更生法の第1号適用となる。

野村プリンシパル・ファイナンスをスポンサーとする更生計画案が認可され一時的に近隣諸国からの来場者が増えたが、2008年の世界金融不況の影響を受け経営状態が悪化。野村プリンシパル・ファイナンスは2010年3月をもって支援から手を引くことになる。

2010年4月からはエイチ・アイ・エス(H.I.S.)により新たな経営再建が開始される。H.I.Sの傘下に入っての事業再建を始めて初の決算で「開業以来初の営業黒字に転換しました」と公表された。

大津 石山寺 瀬田の唐橋

石山寺は滋賀県大津市石山寺1丁目にある東寺真言宗の寺で本尊は如意輪観音。開基は良弁で京都の清水寺や奈良県の長谷寺と並ぶ有数の観音霊場で、西国三十三所観音霊場第13番札所。

『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』などの文学作品にも登場し、『源氏物語』の作者紫式部は石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承がある。歌川広重の「近江八景」の「石山秋月」でも知られる。

また、「近江八景」では「瀬多夕照」として往時の唐橋が描かれている。瀬田の唐橋は滋賀県大津市瀬田の瀬田川にかかる橋で全長260m、勢多の唐橋、瀬田の長橋とも言われ、宇治橋、山崎橋とならんで日本三古橋の一つとされてきた。瀬田川にかかる唯一の橋であった瀬田の唐橋は、当時京都防衛上の重要地であったことから、古来より「唐橋を制する者は天下を制す」と言われた。

宗長(室町時代の連歌師)の歌で「もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋」急がば回れの語源とされている。当時、京都へ向かうには、矢橋から琵琶湖を横断する海路の方が瀬田の唐橋経由の陸路よりも近くて速いのだが、比叡山から吹き下ろされる突風(比叡おろし)により危険な航路だったため、このような歌が歌われた。松尾芭蕉も旅の途上にてこの橋を詠む。五月雨に隠れぬものや瀬田の橋。橋桁の忍は月の名残り哉

大塚国際美術館 (The Otsuka Museum of Art)

陶板複製画を中心とした博物館である大塚国際美術館は徳島県鳴門市の鳴門公園内にある。大塚製薬グループの創業75周年事業として1998年(平成10年)に開設され、運営は一般財団法人大塚美術財団で、とくしま88景に選定されている。

国立新美術館(2007年(平成19年)開館、47,960m²)に次ぐ美術館(延床面積29,412m²)で、面積では日本第2位の美術館建築である。大塚グループの企業、大塚オーミ陶業株式会社が開発した特殊技術により、世界中の名画を陶器の板に原寸で焼き付けて再現された作品が展示される。陶板複製画は、風水害や火災などの災害、光による色彩の退行に非常に強いため約2,000年以上そのままの色と形で残るので、文化財の記録保存のあり方に大いに貢献すると期待されている。

大塚国際美術館では写真撮影が可能で、直接作品に手を触れられる。また、今となっては現存しない作品(修復前の、レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』・戦火で失われたゴッホの『ひまわり』)や戦災等で各地に分散されている作品(エル・グレコの大祭壇衝立)を復元するなどの試みも行われている。板を組み合わせることで大型化にも対応できるので、ミケランジェロの『最後の審判』もオリジナルの展示環境全体を再現したシスティーナ・ホールに展示されている。

鑑賞ルートは、地下3F~地上2Fまで約4km、主な展示作品は世界25ヶ国・190余の美術館が所蔵する西洋名画1,000余点をオリジナルと同じ大きさに複製し展示している 。

B3F
システィーナ・ホール、スクロヴェーニ礼拝堂、フェルメールの部屋、聖マルタン聖堂壁画、聖ニコラオス・オルファノス聖堂、聖テオドール聖堂、貝殻ヴィーナスの家、エル・グレコの部屋、ポンペイの「秘儀の間」など

B2F
モネの大睡蓮、バロック系統展示(レンブラント「夜警」など)、ルネサンス系統展示(ダ・ヴィンチ「モナリザ」「最後の晩餐」(修復前と修復後)・ボッティチェッリ「ヴィーナスの誕生」など)

B1F
ゴヤの家、バロック系統展示、近代系統展示(ゴッホ「ひまわり」・エドヴァルド・ムンク「叫び」・ウジェーヌ・ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」・ジャン=フランソワ・ミレー「落穂拾い」など)

1F
現代系統展示(パブロ・ピカソ「ゲルニカ」など)

2F
現代系統展示
これらの陶板複製画約1,000余点は、ピカソの子息や各国の美術館館長、館員が来日し検品を行っている。

公式HPで詳細な展示作品リストが公開されている。

長良川、芭蕉、十八楼ノ記

このあたり目に見ゆるものは皆涼しばせを 貞亨五仲夏 『笈の小文』の旅の帰路、油商賀島善右衛門の別邸に招かれた折、この邸に「十八楼」と命名し、その謂れを書いて与えた一文が『十八楼の記』である。

賀島善右衛門は岐阜の油商人で岐阜蕉門の一人、俳号は鴎歩。

芭蕉、十八楼ノ記 (貞亨5年6月8日:45歳)

美濃の国長良川にのぞんで水楼あり。あるじを賀島氏といふ。稲葉山うしろに高く、乱山西にかさなりて、近からず遠からず。田中の寺は杉のひとむらに隠れ、岸にそふ民家は竹の囲みの緑も深し。さらし布ところどころに引きはへて、右に渡し舟うかぶ。里人の行きかひしげく、漁村軒をならべて、網をひき釣をたるるおのがさまざまも、ただこの楼をもてなすに似たり。暮れがたき夏の日も忘るるばかり、入日の影も月にかはりて、波にむすぼるるかがり火の影もやや近く、高欄のもとに鵜飼するなど、まことに目ざましき見ものなりけらし。かの瀟湘の八つの眺め、西湖の十のさかひも、涼風一味のうちに思ひこめたり。もしこの楼に名を言はむとならば、「十八楼」とも言はまほしや。夏の夕、川風にうたれ長良川の岸辺に立つ高殿で鵜飼漁を眺める風流を詠み川に面して立つ高殿である水楼の命名を「十八楼」とした。老舗旅館、十八楼は、松尾芭蕉の「十八楼の記」に由来し、江戸時代末期、1860年(万延元年)地域再興のため旅館「山本屋」が「十八楼」と改名したものである。株式会社 十八楼岐阜市湊町10番地万延元年 1860年創業

縮景園 (広島)

縮景園は、広島藩主浅野長晟(ながあきら)が、元和(げんな)6年(1620)から別邸の庭園として築成されたもので、作庭者は茶人として知られる家老の上田宗箇である。

園の名称は、幾多の景勝を聚め縮めて表現したことによるが、中国杭州の西湖を模して縮景したとも伝えられている。 園の中央に濯纓池(たくえいち)を掘って大小10余の島を浮かべ、周囲に山を築き、渓谷、橋、茶室、四阿(あずまや)などが巧妙に配置され、それをつなぐ園路によって回遊できるようになっている。

この種の庭園は、回遊式庭園と称され、室町時代にその萌芽(ほうが)がみられ、江戸時代初期に最盛期を迎えた形式で諸大名の大庭園の多くはこれに属する。池の中央にかけられた跨虹橋(ここうきょう)は、七代藩主重晟(しげあきら)が京都の名工に二度も築きなおさせたものといわれ、東京小石川後楽園の円月橋や京都修学院離宮の 千歳橋にも似た大胆奇抜な手法が駆使されている。

清風館は庭園のほぼ中央にあり、庭園にふさわしい数寄屋造りで、屋根はこけら葺きである。西側は優雅な書院造りの様式をそなえており、東側には花頭窓を設け跨虹橋を臨んでいる。

昭和15年(1940)浅野家から広島県に寄付され、同年7月12日国の名勝に指定された。 昭和20年(1945)原爆によって壊滅状態になったが、県教育委員会は、戦災前の景観に復すべく整備をすすめ、清風館、明月亭などの亭館も復元した。

元和5年(1619) 浅野長晟(安芸一円・備後8郡42万6千石)広島入城
元和6年(1620) 藩主長晟、家老の上田宗箇をして作庭に着手
宝暦8年(1758) 広島大火災により亭館・樹木等焼失したものがあり、その後復旧。
天明3年(1783) 同8年(1788) 藩主重晟、京都の庭師清水七郎右衛門を招いて改修
文化元年(1804) 重晟、頼春水・梅園太嶺・岡岷山らに園内名勝三十四景の名称を付けさせる
文化3年(1806) 頼春水に「縮景園記」、加藤定斎に「縮景園之和歌」の執筆を命じる
文化4年(1807) 頼春水「題縮景園詩五首」を詠ず。 牛田清水谷から導水装置をつくる
明治27年(1894) 大本営副営指定、明治天皇御来園
大正2年(1913) 園内に観古館設置
昭和15年(1940) 広島県に寄贈、国の名勝に指定
昭和20年(1945) 原子爆弾により亭館・樹木等すべて焼失
昭和24年(1949) 園の復旧開始
昭和25年(1950) 植栽に着手
昭和26年(1951) 復旧につとめながら開園
昭和39年(1964) 清風館を復元
昭和43年(1968) 悠々亭、看花榻復元
昭和44年(1969) 夕照庵、超然居復元
昭和49年(1974) 明月亭復元
昭和51年(1976) 管理棟完成

余市蒸溜所 NIKKA WHISKY

ニッカウヰスキーの北海道工場・余市蒸溜所は、日本のウイスキーの父と呼ばれる創業者・竹鶴政孝がウイスキーづくりの第一歩として選んだ場所である。

余市蒸溜所の隣地にはウイスキーとは別のもうひとつの浪漫、余市町で生まれ育った宇宙飛行士の毛利衛さんのメッセージや、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の活動を紹介する余市宇宙記念館がある。

ウイスキーは蒸留酒の一つで、大麦、ライ麦、トウモロコシなどの穀物を麦芽の酵素で糖化し発酵させ蒸留したもの、「穀類からつくられた蒸溜酒を、木の樽で貯蔵したもの」である。

その名称の由来は、ゲール語の uisce beatha(ウィシュケ・ベァハ)で「命の水」を意味する。日本語ではウィスキーまたはウヰスキー、ウ井スキーとも表記される。現在、世界の様々な国でウイスキーがつくられているが、なかでも、スコットランドとアイルランド、バーボンで知られるアメリカ、その隣の国カナダ、日本の5カ国が、質量ともに世界のウイスキーをリードする。

ガーデンミュージアム比叡

2014年4月に開園したガーデンミュージアム比叡は、標高840mの比叡山頂に位置し、眼下にびわ湖、京都を望む絶景が広がる。

約1.7haの園内は、フランス人デザイナーが設計した庭園美術館で、フランス印象派の画家たちの描いた南フランスの丘陵地がイメージされている。

モネ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ等印象派の画家の作品が、原寸大の陶板として忠実に再現され、太鼓橋のかかる睡蓮の池、ローズガーデンと、1500種10万株の草花が咲き競い、山頂の清涼な空気と陽光の中で堪能できる。営業時間:10時~17時30分(夏期~21時、土日祝9時30分~)休業:12月1日~3月19日所在地: 〒520-0016  京都府京都市左京区修学院尺羅ヶ谷四明ヶ嶽4比叡山頂

五島列島

長崎港から西に100kmに位置する大小あわせ140あまりの島々が連なる五島列島。自然海浜や海蝕崖、火山景観などと複雑で変化に富んだ地形で、ほぼ全域が西海国立公園に指定されている。

島々には多くのカトリック教会が点在し「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として世界遺産登録を目指す取組みも進められている。かつて、東シナ海で操業する漁船団の先端基地として栄え、いまも漁業が島の重要な産業である。

キリシタン文化を色濃く残す五島列島の中心、福江島。福江地区は五島氏の城下町で石田城跡など史跡も多く、長崎県立五島高等学校は福江藩の居城であった石田城の本丸跡にある。コバルトブルーの中に建つ白亜の灯台、大瀬崎灯台は日本の灯台50選の1つで、五島列島を代表する観光の名所。

五島列島の各地から奇岩怪石をもちより聖母マリア像を安置して霊泉地とした井持浦ルルド。

江上天主堂は世界遺産候補の教会群のひとつで、白と水色を基調とした木造のこじんまりとした作りのロマネスク様式。外部も室内も簡素で、すっきりした構造は日本に定着した木造の様式的教会建築の定型的な姿である。国指定重要文化財、世界遺産暫定リストに登録されている。

南松浦郡、新上五島町の頭ヶ島天主堂は、花にあふれすがすがしい気持ちにもなれる。石を丹念に積み上げた外観は重厚感に溢れ、西日本で唯一、全国的にも極めて珍しい石造りの教会で、堂内は天井や壁面などに花柄の装飾が施される。

新上五島町の青砂ケ浦天主堂のステンドグラスや祭壇は、煉瓦造教会堂の初期の重層屋根構造であり、離島を中心に多数建築された煉瓦造教会堂の構造、意匠の起点とも言われる。小値賀町にある野首天主堂は、江戸時代中期キリシタンへの弾圧から逃れた信者達が造った教会であった。その後、信者がいなくなり荒廃していたが自然学塾村のシンボルとして整備されよみがえった。

今も当時の信者たちの想いが残され、不思議な気配ただよう赤煉瓦造りの教会はパワースポットとしての魅力もありそうだ。若松島南端、奥行52m・幅5mのキリシタン洞窟は、厳しい弾圧から逃れるためキリシタン信徒が隠れ棲んでいたが、やがて発見され処罰された遺跡で、洞窟の入口にはキリスト像がある。

長島リゾート

1966年3月にオープンした大型アミューズメントパーク、ナガシマスパーランド(Nagashima Spa Land)は、長島観光開発株式会社の運営する遊園地で三重県桑名市長島町浦安にある。ナガシマリゾートの中核施設で、東京ディズニーランドに次ぐ国内二番目の敷地面積をもつ。運営する施設の年間集客人数は1413万人に上る。

1963年(昭和38年)12月 – 資本金3億円で会社設立。

1964年(昭和39年)11月 – グランスパー長島温泉の営業を開始。12月 – ホテルナガシマの営業を開始。

1966年(昭和41年)3月 – ホテルナガシマ和風別館、ナガシマスパーランドの営業を開始。

1970年(昭和45年)3月 – ホテル水郷の営業を開始。

1978年(昭和53年)7月 – ナガシマスパーランド内にてジャンボ海水プールの営業を開始。10月 – 屋内アイススケート場の営業を開始。

1988年(昭和63年)7月 – ホテル花水木の営業を開始。

1991年(平成3年)1月 – ホテル水郷をガーデンホテルオリーブに改称。7月 – ナガシマカントリークラブの営業を開始。

1993年(平成5年)2月 – 花水木別館の営業を開始。

1997年(平成9年)7月 – 関サービスエリアの営業を開始。

1998年(平成10年)7月 – なばなの里の営業を開始。

2001年(平成13年)10月 – 本社を新社屋に移転。

2002年(平成14年)3月 – 湾岸長島パーキングエリア、ジャズドリーム長島(運営はららぽーとマネジメント)の営業を開始。8月 – 湯あみの島、ホテルナガシマの営業を開始。

迎賓館赤坂離宮

ネオ・バロック様式の西洋風宮殿建築、迎賓館赤坂離宮は1909年東宮御所として建設される。設計は日本近代建築の父と呼ばれたジョサイア・コンドルの弟子、建築家の片山東熊、2009年に国宝に指定される。ドアには菊の紋章、桐の紋様が施され、正面屋根には鳳凰や甲冑なども装飾される。中央階段の床はイタリア産大理石で、その上に赤絨毯が敷きつめられる。階段の左右の壁面はフランス産の大理石が鏡張りされ、2階大ホール正面の左右の壁面には小磯良平画伯による大油絵が飾られる。

彩鸞の間 大理石で造られた暖炉の両脇に「鸞らん=鳳凰」と呼ばれる架空の鳥をデザインした金色の浮彫りがある。白い天井と壁は金箔が施された石膏の浮彫りで装飾され、10枚の鏡が部屋を広く見せている。条約・協定の調印式や国・公賓とのテレビ・インタビュー等に使用される。

花鳥の間 天井に描かれた36枚の絵、欄間に張られたゴブラン織、壁面には花や鳥が描かれてた30枚の七宝が飾られる。腰壁は茶褐色のシオジ材の板張り、壁の中断は七宝で装飾される。下絵は日本画家の渡辺省亭が描き、明治期の七宝焼きの天才・涛川惣助が焼いた。主に国・公賓主催の公式晩餐会に使用され、最大約130名の席が設けられている。

朝日の間 天井に「朝日を背にした女神が香車を走らせている姿」の絵が描かれる。周囲の16本の円柱はノルウェー産の大理石で、壁に京都西陣の金華山織の美術織物が張られる。床は紫色を基調とした47種類の糸を使い分けて桜花を織り出した緞通が敷かれている。公賓のサロンとして表敬訪問や首脳会議等で利用される。

羽衣の間 謡曲の「羽衣」の景趣を描いた大絵画が天井に描かれる。3基のシャンデリアは赤坂離宮で最も豪華で、重さ800kg、高さ3m。正面の中二階はオーケストラボックスがあり、かつて舞踏会場として設計されたことが偲ばれる。レセプション、会議等で使用されるほか、晩餐会の招待客に食前酒や食後酒が供されるところでもある。花壇や松がありイオニア式の柱が特徴的な本館南面の主庭は、正面とは違う和やかさを感じる景観である。