釧路湿原

釧路平野に位置する日本最大の湿原で面積は18,290ha、湿原の中を釧路川が大きく蛇行しながら流れる。

湿原の大部分はヨシ、スゲ湿原でミズゴケ湿原も一部あり、食虫植物のモウセンゴケやコタヌキモが生育する。

タンチョウやエゾセンニュウ、ベニマシコなど、多くの鳥類の繁殖地・休息地となっていて、タンチョウは冬には釧路湿原へ戻ってきて越冬する。

日本最大の淡水魚であるイトウやキタサンショウウオなどの希少な動物も多くい自然の残る領域である。

JR釧網本線は一部の区間が湿原内を通るので、列車に乗車したまま湿原の観察ができる。

名古屋駅、タワーズプラザ

名古屋駅構内には、名古屋・驛麺通り、名古屋うまいもん通り、などB級グルメストリートがある。

博多一風堂社長の河原茂美氏がプロデュースした名古屋・驛麺通りでは、博多や札幌、和歌山などのご当地らーめん6店、屋台つけ麺7店舗が集結し、季節限定で販売するらーめんなどにも注目。

「気取らず、気軽に」がコンセプトの、名古屋うまいもん通りは、会社帰り、旅行の合間のちょっとした時間に立ち寄れるお店が揃っている。
名古屋の味「ひつまぶし」、「味噌カツ」の店舗もある。

総合ターミナル駅である名古屋駅の上は、JRセントラルタワーズで百貨店やホテル、レストラン街など様々な機能を結合した「複合立体都市」で、12・13階はタワーズプラザにあるレストランフロアで、和食、洋食、中華など約40の飲食店が並び洗練されたメニューが堪能できる。

荒子観音、荒子に所縁のある戦国武将

尾張四観音のひとつに数えられる荒子観音は、名古屋市中川区荒子町にある天台宗の寺院。

寺伝によれば、天平元年(729年)、泰澄の草創で、天平13年(741年)、泰澄の弟子の僧・自性が堂宇を整えた。

泰澄は加賀(石川県)の白山の開祖とされる伝説的人物であるが、どこまで史実を伝えるものかは定かでない。

正式には「浄海山圓龍(円竜)院観音寺」で、「荒子観音寺」とも称し、「荒子の観音さん」として親しまれている。

本尊は聖観音で、33年に1度開扉されるという秘仏である。

天文5年(1536年)に再建された多宝塔は、名古屋市内に現存する最古の建物で、国の重要文化財に指定されている。

延宝・貞享年間 には円空が数回訪れたと伝わり、山門の仁王像、1,200体を超える木彫仏像、円空仏が残されている。

豊臣政権の五大老の一人、加賀藩主前田利家により、天正4年(1576年)、本堂が再建された。

荒子の土豪の家に生まれた利家は、北陸に所領を与えられるまで、寺の近くに荒子城を構えていたとされ、当寺は前田家の菩提寺でもある。

姫路城を現在残る姿に大規模に修築し姫路宰相と称された池田輝政の祖先は中川区荒子付近である。

系譜をたどると、池田政秀、池田恒利、池田恒興、池田輝政となる。

池田政秀には娘(養徳院)はいたが男子が無かったため、滝川貞勝の次男、恒利を婿養子に迎えた。恒利と養徳院との間に嫡男の恒興が生まれている。

恒利の死去後、池田家は恒興が継ぎ、養徳院は織田信秀の側室となり信長の養育にあたっていたことにより、その後池田家は重用されてゆく。

池田恒興の子の輝政は、美濃池尻城主、同大垣城主、同岐阜城主、三河吉田城主を経て、播磨姫路藩の初代藩主となる。

堀川、白鳥橋から錦橋まで

堀川を北上すると、山王橋付近に松重閘門がある。新幹線から見えるレトロな建物で、名古屋の近代化遺産としても有名である。

中川運河は名古屋港と旧国鉄笹島貨物駅を結ぶために造られた運河で昭和5年(1930)に開通した。
中川運河の水位は堀川より約1メートルほど低いので、船が行き来するためにはその水位を調節する必要があった。

その後、陸上輸送の台頭により水上輸送の需要が次第に減り、昭和51年、閘門の使用が停止され水門内部は埋め立てられ、付近は松重閘門公園として整備された。

平成5年に名古屋市の都市景観重要建築物に指定され、装飾性の強い優れた外観はライトアップされた夜が特に美しい。
閘門の尖塔は高さ約20メートル、2基1組の尖塔には、水門開閉用の釣り合いおもりが収容されている。

松重閘門
名称 中川運河松重閘門(まつしげこうもん)
場所 名古屋市中川区
構造 鉄骨鉄筋コンクリート造、人造石塗り洗出し、一部花崗岩張
設計者 藤井信武(名古屋市建築課)
完成 昭和5年(1930)
閘室サイズ 有効長90.9m×有効巾9.1m
通行時間 最大30分

名古屋市市政資料館

名古屋市東区白壁にある名古屋市の公文書館は、煉瓦造及び鉄筋コンクリート3階建の洋風建築で、煉瓦積みの壁に白い花崗岩の外壁を持ち、屋根小屋組は木造である。

設計は司法省営繕課(工事監督)、山下啓次郎(工事計画総推主任:司法技師)及び金刺森太郎(設計事主任:司法技師)が担当した。

内部中央階段室はステンドグラスの窓や漆喰塗り、マーブル塗りによる仕上げが施された「ネオ・バロック様式」が基調となっている。

この建物は1922年に建設された旧名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎を利用したものであり、1984年5月21日に重要文化財の指定を受けた。

1989年(平成元年)10月、名古屋市市政資料館設置条例の施行により設置された。

日本全国に8つ建設された控訴院の建物のうち現存するのは名古屋と札幌のみである。煉瓦造としては最末期の大規模近代建築であり、現存する控訴院庁舎としては最古のものである。

復原会議室(3階)は この建物の中で最も格調高い部屋で内装を含め国の重要文化財に指定され、約40畳の部屋に一枚織りの絨毯が敷かれている。

シャンデリア、机、椅子などの調度品は当時のものを忠実に再現し、中央階段室 – ステンドグラスは、建築時のもので復元整備され一見の価値がある。

荘厳なステンドグラスを見ることのできる数少ない施設でもあり、ガラス は大正時代からの窓ガラスで、ガラスの博物館とも言われる。

中庭の1・2階部分のレンガは大正当時の名古屋監獄の囚人が焼いたものが残っている。

留置場(1階) は見学可能で、内部に入ることもできる。

名古屋駅新ビル計画の名称及び開業予定

名古屋伏見にある下園公園は名古屋観光ホテルの向かい側、地下鉄伏見駅近くにある。
近くには御園座を有する御園通商店街があり、周りをビルに囲まれた公園である。
大きい公園ではないが、広場もあり水の流れが安らぎを与えてくれる公園である。
日本庭園の手法を取り入れて作られ都会の中の憩いの場でもある。

2014年2月13日、JR東海の社長会見で名古屋駅新ビル計画の名称及び開業予定の発表があり、名称は「JRゲートタワー」に決定された。

竣工は2017年2月で、当初計画より約1年2ヶ月遅れとなる。
遅れる原因としては、地下に「名鉄名古屋本線」が走る超難工事のため基礎工事に手間取ったり、東京オリンピックによる建設需要、東日本大震災の復興需要などで、技能者不足、資材費や人件費の高騰が一因とも言われる。

JRゲートタワーの概要

計画名-名古屋駅新ビル(仮称)他計画の概要

所在地-愛知県名古屋市中村区名駅一丁目1015番15他

階数-地上46階、地下6階

高さ-最高部211.10m

敷地面積-97,191.00㎡(駅施設全体)

建築面積-10,492.78㎡

延床面積-265,337.92㎡(うち名古屋駅新ビル264,903.23㎡)

構造-鉄骨造、一部鉄骨鉄筋コンクリート造

基礎工法-場所打ちコンクリート拡底杭

地震対策-心棒的な役割を担うコアブレースや低層棟外周部及び高層棟コア部への制振部材(オイルダンパー)を配置、屋上に制振装置を配置

用途-オフィス(15階および26~44階)、商業施設(2~13階)、ホテル(約350室:15階および18~24階)、駐車場、バスターミナル(1階)

建築主-東海旅客鉄道(JR東海)、ジェイアールセントラルビル(株)

設計者-名古屋駅新ビル(仮称)実施設計共同企業体(大成建設、日建設計、ジェイアール東海コンサルタンツ)

監理者-名古屋駅新ビル(仮称)実施設計共同企業体、ジェイアール東海コンサツタンツ

施工者-名古屋駅新ビル計画(仮称)新設他工事共同企業体(大成建設、鹿島建設)

着工-2012年09月28日頃
竣工-2017年02月予定

オープン-オフィス入居開始(2016年11月予定)、ジェイアール名古屋タカシマヤ、ホテル開業(2017年4月予定)

オアシス21

オアシス21は、名古屋市東区東桜1丁目、錦通と久屋大通の交差点の北東、NHK名古屋放送局と愛知芸術文化センターに隣接している。公園やバスターミナルなどの公共施設と商業施設との複合施設で、2002年(平成14年)10月11日に正式オープンした。

水の宇宙船(大屋根)
吹き抜けの地下広場の真上にあって、ガラス張りで中央からは水が流れ、銀河の広場に光の波紋を描きだす。

緑の大地(地上公園)
広い芝生、ベンチもあり花壇や樹木が並び、愛知芸術文化センターへの連絡橋がある。

銀河の広場(吹抜公園)
普段は広場であるがイベントも行われ、広場の周りには商業施設が銀河の広場を囲む様に配置されている。

大樹寺 岡崎

徳川三代将軍家光は、寛永18年(1641)、家康の十七回忌を機に徳川家の祖先である松平家の菩提寺、大樹寺の伽藍の大造営を行った。

この時、「祖父生誕の地を望めるように」との想いから、本堂から三門、総門を通してその真中に岡崎城が望めるように伽藍を配置した。

岡崎城を結ぶ約3キロメートルの歴史的眺望はビスタラインと呼ばれる。

以下はWikipediaから

大樹寺に安置されている江戸幕府歴代将軍の位牌は、それぞれ将軍の臨終時の身長と同じという説がある。

なお、15代将軍慶喜の位牌は大樹寺に置かれていない。これは将軍職を引いた後も存命であったことと、臨終に際し自らを赦免し爵位まで与えた明治天皇に対する恩義から神式で葬られることを遺言したためである。 以下に、各位牌の高さを示す。

家康159・0センチ
秀忠160・0センチ
家光157・0センチ
家綱158・0センチ
綱吉124・0センチ
家宣156・0センチ ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は160センチ前後
家継135・0センチ ※満6歳薨去
吉宗155・5センチ ※身長は六尺(約180センチ)あったとも伝えられる。
家重151・4センチ ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は156センチ前後
家治153・5センチ
家斉156・6センチ
家慶153・5センチ ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は154センチ前後
家定149・9センチ
家茂151・6センチ ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は157センチ前後

当時の平均身長から大きく外れているのは綱吉と家継の位牌であるが、これを根拠に綱吉が低身長症であった、家継が巨人症であった、などの説が存在する。

多治見神言修道院

日本で唯一ワインを醸造する修道院で、1930年(昭和5年)ドイツのモール神父により日本の修道士の養成を目的に建てられた修道院である。

中世ヨーロッパを思わせる外観、ステンドグラスや壁画が美しい大聖堂、そして
緑溢れる庭が一般公開されている。

敷地内に広がる畑で育てられている葡萄は、地下室で醸造された後に「修道院ワイン」となる。
設立当時からミサで使うために葡萄栽培をしていて、多治見産のワインとして広く親しまれている。

毎年11月3日は「多治見ワインフェスタ」が開催される。

ラ・コンパルサ・・・多治見神言修道院と多治見の景観

虎渓山 永保寺

永保寺(えいほうじ)は、岐阜県多治見市にある臨済宗南禅寺派の寺院で、山号は虎渓山(こけいざん)、雲水の修行道場である虎渓山専門道場を併設する。

文化3年(1806年)刊の『虎渓山略縁起一人案内』によれば

正和2年(1313年)6月18日に
長瀬山の麓を目指していた夢窓一行が道に迷い
白馬に乗った女性に道を尋ねた所、返事が無かった

そこで夢窓は
「空蝉(うつせみ)の もぬけのからか 事問えど 山路をだにも 教えざりけり」と歌を詠んだ

すると女性は
「教ゆとも 誠の道はよもゆかじ 我をみてだに 迷うその身は」
と返歌して忽然と消え失せ、付近の補陀岩上に一寸八分の観世音菩薩像が出現した

夢窓はこの観世音菩薩像を本尊とし、1314年に水月場(観音堂、国宝)を建立した

観音堂(国宝)

一重裳階(もこし)付き、入母屋造檜皮葺きの仏殿で南北朝時代のもので「水月場」とも称し、本尊の聖観世音菩薩坐像が安置されている

開山堂(国宝)
入母屋造檜皮葺き、南北朝時代のもので永保寺開創の夢窓国師および開山仏徳禅師の頂相が安置されている

この他、国の名勝「永保寺庭園 無際橋」、「永保寺庭園 梵音巌」などがある

塔頭寺院として、保寿院、続芳院、徳林院がある

Dream・・・虎渓山 永保寺