徳川三代将軍家光は、寛永18年(1641)、家康の十七回忌を機に徳川家の祖先である松平家の菩提寺、大樹寺の伽藍の大造営を行った。
この時、「祖父生誕の地を望めるように」との想いから、本堂から三門、総門を通してその真中に岡崎城が望めるように伽藍を配置した。
岡崎城を結ぶ約3キロメートルの歴史的眺望はビスタラインと呼ばれる。
以下はWikipediaから
大樹寺に安置されている江戸幕府歴代将軍の位牌は、それぞれ将軍の臨終時の身長と同じという説がある。
なお、15代将軍慶喜の位牌は大樹寺に置かれていない。これは将軍職を引いた後も存命であったことと、臨終に際し自らを赦免し爵位まで与えた明治天皇に対する恩義から神式で葬られることを遺言したためである。 以下に、各位牌の高さを示す。
家康159・0センチ
秀忠160・0センチ
家光157・0センチ
家綱158・0センチ
綱吉124・0センチ
家宣156・0センチ ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は160センチ前後
家継135・0センチ ※満6歳薨去
吉宗155・5センチ ※身長は六尺(約180センチ)あったとも伝えられる。
家重151・4センチ ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は156センチ前後
家治153・5センチ
家斉156・6センチ
家慶153・5センチ ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は154センチ前後
家定149・9センチ
家茂151・6センチ ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は157センチ前後
当時の平均身長から大きく外れているのは綱吉と家継の位牌であるが、これを根拠に綱吉が低身長症であった、家継が巨人症であった、などの説が存在する。