南知多豊浜 貝殻公園 見晴らし広場

南知多豊浜「日和山・貝殻公園」は、県外、時には、海外からも訪問者が来るという知多半島の珍スポット。

この貝殻公園は、日和山の頂上にあり、標高は、諸説あるが69メートル程度と低い。 登山道は、津波が来た時の避難場所に使うため治山され、綺麗に舗装されている。 登っていくと徐々に貝殻公園らしくなってくる。「白山神社」の鳥居は貝殻が並んで埋められ、近くでみると、ややゾッとするような感じも。粒々の集合体に恐怖を感じるトライポフォビア、というものなのか。

トライポフォビア
小さな穴や斑点などの集合体に対する恐怖症のことで、ギリシャ語のtrypo+ギリシャ語のphobiaを掛け合わせた造語として、2005年に命名された用語、日本語では、集合体恐怖症と通称されることもある。症状などは個人差がある。

砲台、船、休憩場所のテーブルやベンチ全て貝殻づくし。
砲台には、「若人よ 明治につづけ?ど根性」、と・・・? 「河和営業所」と貝で書かれた柱もあるが、何かの営業所?だったのか。

この公園は、約26年をかけておじいさんと息子さんの2人で作られたそうで、謎な物があったり、珍スポットとして有名だったようだ。今は、ずいぶん荒れて、あまり人が来た気配がなさそう、でも、造形物には製作者の信念が感じ取られる。このまま朽ち果てていくのは、もったいない、途中までは津波対策で綺麗になっているので、この公園も綺麗に復活し、いつか、船の見晴台から海を眺めてみたいところだ。

駒大6年ぶりV 東海大2位/全日本大学駅伝

2020年11月1日(日)
熱田神宮西門前〜伊勢神宮内宮宇治橋前(8区間106・8キロ)
午前8時5分に号砲、25チームが日本一を目指し一斉にスタート。
天候は曇り、気温11・3度、湿度67%、北の風1・7メートル。

1区は青学大が湯原慶吾(3年=水戸工)、東海大が佐伯陽生(1年=伊賀白鳳)、駒大が加藤淳(4年=西脇工)。順大は箱根駅伝予選会で日本人1位のスーパールーキー三浦龍司(1年=洛南)

駒大が5時間11分8秒の大会新記録をマークし6年ぶり13度目の優勝を果たした。
2連覇を狙った東海大は2位。
3位は明大。
7区でトップに立った青学大は最終8区で逆転され4位に終わった。

【最終順位】
(1)駒大 5時間11分8秒(大会新)
(2)東海大 +23秒
(3)明大 +1分16秒
(4)青学大 +1分34秒
(5)早大 +1分56秒
(6)東洋大 +2分7秒
(7)帝京大 +3分32秒
(8)順大 +3分35秒
<ここまでシード権>
(9)国学院大 +4分8秒
(10)東京国際大 +5分57秒
(11)中央学院大 +8分17秒
(12)日体大 +8分27秒
(13)山梨学院大 +8分55秒
(14)日大 +9分33秒
(15)立命大 +11分18秒
(16)城西大 +12分21秒
(17)皇学館大 +16分17秒
(18)関学大 +16分27秒
(19)びわこ学院大 +18分27秒
(20)広島経大 +20分55秒
(21)京産大 +21分25秒
(22)信州大 +26分17秒
(23)札幌学院大 +26分48秒
(24)日本文理大 +27分56秒
(25)東北大 +37分30秒

城壁都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔

カスピ海沿岸の都市バクーは、アゼルバイジャン共和国東部にあたるシルヴァン地方の主要都市であり、旧市街である城壁内はイチェリ・シェヘル(アゼルバイジャン語で「内城」の意)と呼ばれる。アゼルバイジャンにおいて国内最初の世界遺産である。

バクーの町は5世紀頃からあったとされるが、その存在が確認されるのは10世紀以降である。もともとペルシア人のゾロアスター教徒の多い街であったが、アラブ人とともにイスラム教が到来し、さらに現在のアゼルバイジャン人の直接の先祖となるテュルク系の遊牧民が侵入した。

1538年までは、土着の王朝シルヴァン朝が首都としていたが、南のアーゼルバーイジャーン地方(現在のイラン領アゼルバイジャン)に興ったサファヴィー朝の支配を受け、さらに1585年にはオスマン帝国によって征服された

17世紀にはサファヴィー朝の支配下に戻るなど、イランとトルコの政権の間で争奪が続き、1806年にはカスピ海西岸を南下してきたロシア帝国によって占領され、ロシア人主導で近代都市が建設された。

さまざまな民族の支配を受けたことにより、バクーはアゼルバイジャン固有の文化はもとより、アラブ、イラン、ロシアなどの影響と文化が共存する独自の景観を持つようになった。

乙女の塔
《Qız Qalası》アゼルバイジャンの首都バクー旧市街(イチェリシャハル)にある塔で、12世紀、城壁の一部として建造された。高さ約30メートル。
望まない結婚を押しつけられた王女が身を投げたという伝説がある。
2000年に「城壁都市バクー、シルバンシャー宮殿、および乙女の塔」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。乙女の望楼。クイズガラスイ。

RAYARD Hisaya-odori Park

名古屋の商業中心地は、名駅エリア(名古屋駅周辺)に移ったという印象が強い。
JR、名鉄、近鉄、地下鉄各線が乗り入れるターミナル駅であり、東海道新幹線の停車駅であるということに加え、将来的にはリニア中央新幹線の開業が予定されているなど、交通利便性の高さが最大の魅力。

しかし、特に地元の人々は、名古屋の中心はやはり栄エリアであるという認識がある。
南北に走る大津通・久屋大通沿いには、古くから老舗百貨店や有数のブランドショップが建ち並び、東西に走る広小路通・錦通・桜通沿いには、高層事務所ビルや金融機関などが集積してきた。このような中、栄エリアの発展を支えてきた施設の多くが老朽化し、建て替え時期をむかえている。

建て替えや再開発の計画が次々と発表され、久屋大通公園の再整備事業や錦三丁目の市有地活用事業も具体化してきた。栄エリア一帯が変貌を遂げようとしている。

庄内川自転車道(サイクリングロード)

庄内川自転車道(サイクリングロード)は、平成7年度から工事が進められ、平成10年3月に完成した。

整備区間は、名古屋市西区の庄内緑地公園より洗堰緑地を経て、同市北区味鋺地区の桜づつみまで

味鋺地区からは名古屋市整備の自転車道があり、ふれあい橋を渡って、水分橋緑地までが連続され、名古屋の市街地の中で長距離のサイクリングが楽しめる。

庄内川ゴルフ倶楽部

名古屋 栄から20分の好アクセス。
昭和34年に開場し愛知県では名古屋ゴルフ倶楽部和合コース、愛知カンツリー倶楽部、森林公園ゴルフ場に続き4番目となる歴史あるコースで、全体的にフラットで妙味のあるレイアウト、豪快なロングホールもあり、川越えや打ち下ろしなど変化に富んでいる。

18ホール パー72 5,740Y
面積 27万m²
コース高低差 フラット
グリーン 高麗 

青大悲寺 名古屋市熱田区

如来教は熱田に生まれた「きの」(法名・媹姾)が、享和2年(1802年)に神懸かりとなって始まった講で、尾張藩士や富裕な商人などに多くの信者が居たとされる。青大悲寺は如来教の本山で尼寺、山号は登和山、山号は「きの」の若い頃の名「とわ」から取られている。寺号の青大悲寺については、青は若く新鮮な力強さを表し、大悲は大きな慈悲の意味であるという。

明確な創建年代は不明だが、天文年間(1532年 – 1555年)に創建された曹洞宗江南寺(現・成福寺)の大門前にあったとされる。弘治2年(1556年)、江南寺が現在地に移り「成福寺」と寺号を改めたことで北山墓地の入口となったが、後に現在地に移転し成福寺末であったが、後に法持寺末となった。「きの」の父親が鉄地蔵を信仰していた縁で、文政12年(1829年)この講に成福寺が所有していた地蔵堂と鋳鉄地蔵1体を譲り受けた。鋳鉄地蔵については、天保14年(1843年)に刊行された尾張藩の官撰地誌『尾張志』において「尾張六地蔵」の一つとして記されている。

弘化3年(1846年)、講を守っていた小寺左兵衛(月中一夢)が法持寺の27世・大達玄中の弟子となって地蔵堂を再興し、玄中を地蔵堂の開山に迎えたことで、法持寺の境外仏堂・鐵地蔵堂となった。この際に媹姾を合わせて祀り、その説を奉じたという。1873年(明治6年)に一旦は廃絶。1876年(明治9年)に一夢の息子である小寺大拙によって再興された。
大拙は曹洞宗の僧侶であったことから寺は再び法持寺末となり、曹洞宗の寺として扱われた。

1945年(昭和20年)12月の宗教法人令施行に伴って法人となって「如来宗」を称するようになり、1952年(昭和27年)7月に宗教法人法に基づいて法持寺との本末関係を解消して、「宗教法人媹姾院」として独立する。1962年(昭和37年)に「如来教」と変更、鐵地蔵堂も「登和山 青大悲寺」と改号した。

鋳鉄地蔵菩薩立像
地蔵堂に安置されている地蔵菩薩立像は、文政12年(1829年)に同寺が所有するようになったもので、観潮寺にある2体と同様にかつて成福寺の地蔵堂に祀られていたものと伝わる。像高160センチ、裾幅42センチで観潮寺の像とほぼ同形だが、こちらのものは沓を履いていることと、裾部分の造型に若干の違いがあり、そこに施された陽鋳名から室町時代初期の作と考えられている。1960年(昭和35年)に愛知県の文化財に指定された。

新美南吉記念館

愛知県半田市にある新美南吉の記念文学館で、開館は1994年(平成6年)6月。1994年(平成6年)6月、新美南吉生誕80周年・没後50周年を記念し童話『ごん狐』の舞台とされる中山の地に開設された。

建物は社団法人愛知建築士会が主催した全国コンペにより選出されたものである。当時としては最多応募数の中から新家吉宏、岡村雅弘、石田純治の3氏が共同受賞し、その斬新的な構成が話題を集めたほか、1994年度には第2回愛知まちなみ建築賞を受賞している。記念館に隣接する童話の森には遊歩道(せせらぎの小径、あじさいの道、花のき広場、兵十橋)などが整備され、散策や自然観察などが楽しめる。館内の展示室には南吉の残した原稿や日記、手紙などの資料と南吉の作品6点のジオラマ模型の展示が行われている。図書室には、南吉の作品や研究書が多く収蔵されているほか、ビデオシアターでは『ごん狐』や『手袋を買いに』などの作品を月替わりで上映している。2010年(平成22年)6月には明仁天皇・美智子皇后夫妻が同館を来訪した。

名古屋城夜会 by 1→10

2019年12月14日(土)~2020年1月13日(月)開催の名古屋城の夜を彩る光と食のイベント「名古屋城夜会 by 1→10」イベント公式サイト。NAGOYA MEETS NEW HISTORY”をコンセプトに、名古屋の過去・現在・未来を示す“歴史絵巻”が巨大絵巻物として出現。