小雨降る径

小雨降る径(Il pleut sur la route)
ヘンリー・ヒンメル(Henry Himmel)作曲
シャンソンであり、タンゴとしても認知
1935年ごろか、それ以前の曲である
ドイツ人のヘンリー・ヒンメルによってタンゴの曲として作曲されたものに、後に、フランス語の歌詞がつけられた。
コンチネンタル・タンゴの代表曲として有名
ティノ・ロッシの歌唱がヒットした
日本でも、シャンソンの曲として、かつタンゴの曲として、歌われている。
1986年度NHK紅白歌合戦の菅原洋一の歌唱曲である。

藤前干潟


 渡り鳥たちの楽園、名古屋港の藤前干潟に「マイクロプラスチック」ごみの問題が浮かび上がっています。
 名古屋港の一画、潮が引きはじめると、藤前干潟が姿をあらわします。年間を通じて、たくさんの種類の渡り鳥がやってくるこの場所は、国の鳥獣保護区に指定されているほか、国際的に重要な湿地に関する条約「ラムサール条約」に登録されています。

「藤前干潟は20数年前にごみ非常事態宣言ということで、市民の皆様と一緒にごみの減量にとりくむきっかけとなった場所です」(名古屋市環境局ごみ減量部 川浦雄介主査)

 今から30年以上前、まだラムサール条約に登録される前の藤前干潟が名古屋市の新たなごみ処理施設の候補地として埋め立てられる計画がありました。

 この動きに、藤前干潟を守ろうと市民らが声をあげ、1999年、藤前干潟の埋立計画は中止に。名古屋市は、ごみの減量化に向けて動き出しごみの分別の徹底が進められたのです。
 

マイクロプラスチックが出来る過程
新たなごみ問題「マイクロプラスチック」
 そんな藤前干潟で、いま新たなごみ問題が…

「この大きな藤前干潟で、問題となっているのが小さなマイクロプラスチックです」(記者)

 マイクロプラスチックとは、5ミリ以下のプラスチックのかけらのことです。

 海や川などに捨てられたプラスチックが流れによって運ばれ、岸に漂着し、紫外線や寒暖差などで劣化。そして打ち寄せる波にさらされ、次第にマイクロプラスチックと呼ばれる小さなかけらとなります。

 藤前干潟にも、このマイクロプラスチックの粒が多く漂着しています。

 なぜ、藤前干潟に…伊勢湾の環境問題を研究している、四日市大学の千葉賢教授に聞きました。

「藤前干潟の周辺には庄内川や新川という大きな河川が流れ込み、名古屋市や岐阜県など大きな都市を流れてきている」「川に色んなプラスチックが流れ込んでいると思う」「それが藤前干潟に漂着してしまっている」「プラスチックが小さくマイクロ化すると小さな生物が体内に取り入れてしまう」(四日市大学 環境情報学部 千葉賢教授)

「動物性プランクトンですと、数十ミクロンから1ミリぐらいのものが多いけど、それよりも小さなマイクロプラスチックがあふれてくると、動物性プランクトンが体に間違えて取り入れてしまう」「食物連鎖でそれよりも大きな動物たちが次々に食べて生態系に影響が出てくる」「そういった点でマイクロプラスチックは特に問題視されている」(千葉教授)

 毒物が付着している恐れがあるため、生き物たちが誤って食べてしまうと危険を及ぼしかねないマイクロプラスチック。いったい、どれくらいの量が藤前干潟に漂着しているのか。
 

マイクロプラスチック
調査に参加した高校生「もっとたくさんあると思うと怖い」
 実態を探るべく、名古屋市が地元の高校生らとともに調査しました。

 砂などをすくってふるいにかけ、残ったごみを集めます。集めたごみを藤前干潟近くの施設に持ち帰り、その中から、マイクロプラスチックを1つ1つピンセットで取り出します。

「多すぎます。半分ぐらいの量だと思っていたら思っていたより多すぎて」「大体2000個弱あります」(参加した高校生)
「少しとっただけでこれだけの量が出るということは、もっとたくさんあるんじゃないかなと思って、ちょっとこわくなりました」(参加した高校生)

 今回の調査で、一番多く見られたのは…

「つぶれるものは全部中にもともと液体肥料が入っていて、カプセルの外側の部分なので全部拾ってください」(市の職員)
 

藤前干潟
専門家「われわれに与えられた新たな課題」
 「マイクロプラスチック」の正体は、「農業肥料のカプセル」です。

「主に稲作で使う肥料の周りのプラスチックのコーティング」「田んぼには水量が増えたときに水を抜くための水路がある」「大雨がふったときに農家のかたは水路をあけて、水を流してそのときに出てきてしまう」(千葉教授)

 水路から河川を経て、マイクロプラスチックは藤前干潟へと流れつきます。

「水田で使って1~2年後に殻だけになったカプセルが出てくるが、海岸に漂着したものを見てみるとほとんど劣化していない」「ペットボトルなどは細かくなって見えなくなるまで400~450年かかるといわれている。簡単には完全にはなくなるということにはならない」(千葉教授)

 調査に参加した高校生たちは…

「プラスチックの使用方法を考えないといけないなと思った」(参加した高校生)
「マイクロプラスチックはよくないと前から思っていたのですが、活動に参加してその気持ちがより強くなった」(参加した高校生)

 私たちの生活から生まれる小さなプラスチックが世界も認めた生き物たちの楽園をおびやかそうとしています。

「われわれに与えられた新たな課題」「単に干潟を守るだけではなく、干潟に漂着する私たちが生活で使ってきたものが干潟の生き物の邪魔をしている」「削減する対策をしなければいけない。ぼくは出来ると思うし、そういう方向に向かうことが必要」(千葉教授)

(11月18日 15:40~放送 メ~テレ『アップ!』より)
 

中川運河再生計画


岡谷鋼機、中川運河の倉庫
中川運河沿いに、昭和初期の黒色の三角屋根が連なったデザインを再現した自社倉庫「中川配送センター」では、配管や鉄骨などの建築資材を保管する。倉庫の延べ床面積は約2860平方メートルで、2020年1月から稼働した。倉庫は1934年から使用していたが、老朽化のため取り壊し、建て替え工事を進めた。耐震性を強め、運河沿いであることから、浸水に備えて土地をかさ上げした。夜はライトアップをし、観光資源としても活用する。

岡谷鋼機、中川運河の倉庫
中川運河沿いに、昭和初期の黒色の三角屋根が連なったデザインを再現した自社倉庫「中川配送センター」では、配管や鉄骨などの建築資材を保管する。倉庫の延べ床面積は約2860平方メートルで、2020年1月から稼働した。倉庫は1934年から使用していたが、老朽化のため取り壊し、建て替え工事を進めた。耐震性を強め、運河沿いであることから、浸水に備えて土地をかさ上げした。夜はライトアップをし、観光資源としても活用する。

『VERMICULAR RESTAURANT THE FOUNDRY(バーミキュラレストラン ザ ファウンダリー)』
すべての料理にバーミキュラを使用し、季節ごとの食材そのものの味わいを活かした料理で、モーニング・ランチ・ディナーに至るまで一日中楽しめる。吹き抜けが特徴的な広大な空間には74席が設置され、木のぬくもりにあふれるモダンな雰囲気の中、個室も用意されている。
テラス席では、水鳥も飛び交う中川運河の眺望とともに食事を楽しむことも出来る。
モーニング(8時〜10時30分)の時間帯のおすすめメニュー
『イチゴとマスカルポーネのタルティーヌ』
『こだわり卵の目玉焼きをのせたラタトゥイユのタルティーヌ』
『こだわりキノコのダッチパンケーキ』
ランチタイム(11時〜14時30分)
ライスポットで炊いたレモンライスに自家製スパイスを効かせた無水カレーがついた『豚すね肉とカリフラワーのスパイスカレー』が一押し。
他にもビーフシチューや魚料理、肉料理のランチも提供。
すべてにライスポットで炊いたご飯もしくはポットメイドブレッドがついてきます。
ディナー(17時30分〜22時)
アラカルト料理がメイン。
店内の薪窯で調理した『愛知鴨の薪火のロースト』
鍋ごと提供される『バーミキュラで無水調理した季節野菜』
デザートには『バーミキュラで作った栗のクリームブリュレ』など幅広いメニューを提供。
さらに『苺とリュバーブのマティーニ』などのオリジナルカクテルもある。

猿投山

猿投山

晴れた日に名古屋市の北東に望まれ、豊田市と瀬戸市の境にある猿投山は、木曽山脈の南端に位置する黒雲母花崗岩の山で、愛知高原国定公園に含まれる。
山腹には国の天然記念物に指定されている球状花崗岩があり、断面が菊の花のように美しい紋様を見せることから菊石とも呼ばれている。また、花崗岩が風化した「さば土」は陶土に適している。

山名の由来は景行天皇が伊勢行幸の折、かわいがっていた猿のいたずらに業を煮やし、海に捨ててしまった。その猿が住むようになったことによるという。古くから信仰の山として登られ、山麓に三河国三ノ宮の猿投神社があるほか、原生林に覆われた中腹には東ノ宮と西ノ宮がある。登山道は東海自然歩道が猿投神社から山頂を経由して瀬戸市側の雲興寺へ通じている。

猿投神社

奈良時代に仲哀天皇の勅願で創建された由緒正しい神社で、今では県の重要無形文化財・棒の手の奉納の舞台として知られ、春から夏にかけては周囲を緑包まれ、境内は情緒抜群で舞台建築も見応えがある。

県の無形民俗文化財に指定されている「棒の手」の奉納で有名な、猿投まつりの舞台となるのが、猿投神社で、猿投山の麓に本社があり、猿投山の山頂に、奥の院の西宮と東宮がある。

猿投神社の主祭神は、大碓命(おおうすのみこと)で、古墳時代の皇族の一人、小碓命(おうすのみこと=日本武尊)の双子の兄にあたる。
大碓命はこの地の開拓に尽くしていましたが、猿投山で毒ヘビのために亡くなったとされていて、西宮の後に墓所がある。

また、猿投神社では古くから左鎌を奉納して祈願する風習があるが、御祭神・大碓命が左利きであったことから、左鎌を用いて開拓されたことを慕ったことが起こりではないかと伝わる。

猿投まつり(10月第2日曜とその前日の土曜)
毎年10月の第2土曜に試楽祭、翌日曜に本楽祭が執り行われ、試楽祭では、幻想的な神輿渡御と、力強い棒の手の奉納などが、本楽祭では、棒の手や巫女舞などの奉納が行われる。

名古屋西部 水郷めぐり

あおなみ線

ささしまライブ駅
駅周辺には異文化体験ができる「JICA中部」や東海地区最大のライブホールである「Zepp名古屋」、総合エンターテイメント施設として「マーケットスクエアささしま」がある。駅南側地区は愛知大学があり、さまざまな都市機能の複合的な集積が予定されている。

名古屋競馬場前駅
地名をとって通称「ドンコ(土古)」の競馬場として親しまれる名古屋競馬場は、文字通りあおなみ線名古屋競馬場前駅と目と鼻の先。スタンドの歓声が聞こえてきそうな位置にある。
あおなみ線の往復きっぷで観覧席への招待も。

百曲街道
江戸初期、尾張藩主・徳川義直の命により、堀川と庄内川の間の海岸線約4平方キロメートルを干拓し、熱田新田が開かれた。慶安2年(1649)、熱田新田の干拓が行われた後、この新田の北側に自然にできた道路で、中川区尾頭橋から港区正徳橋まで続き、くねくね曲がっていることから、「百曲街道」と呼ばれるようになった。江戸末期から明治期には、名古屋の城下町と西南部をつなぐ産業道路の役割を果たした。

あおなみ線

ささしまライブ駅
駅周辺には異文化体験ができる「JICA中部」や東海地区最大のライブホールである「Zepp名古屋」、総合エンターテイメント施設として「マーケットスクエアささしま」がある。駅南側地区は愛知大学があり、さまざまな都市機能の複合的な集積が予定されている。

名古屋競馬場前駅
地名をとって通称「ドンコ(土古)」の競馬場として親しまれる名古屋競馬場は、文字通りあおなみ線名古屋競馬場前駅と目と鼻の先。スタンドの歓声が聞こえてきそうな位置にある。
あおなみ線の往復きっぷで観覧席への招待も。

百曲街道
江戸初期、尾張藩主・徳川義直の命により、堀川と庄内川の間の海岸線約4平方キロメートルを干拓し、熱田新田が開かれた。慶安2年(1649)、熱田新田の干拓が行われた後、この新田の北側に自然にできた道路で、中川区尾頭橋から港区正徳橋まで続き、くねくね曲がっていることから、「百曲街道」と呼ばれるようになった。江戸末期から明治期には、名古屋の城下町と西南部をつなぐ産業道路の役割を果たした。

東海通
名古屋市道東海橋線につけられた愛称で、名古屋市の南部をほぼ東西に横切るように走る路線であり、西は蟹江町との境にあたる河合小橋交差点から、千年交差点・野並交差点などを経由しながら、東は豊明市との境に近い徳重交差点までを結ぶ。
古くからの街道である東海道とは一字違いで読みも似ており、名古屋市南部を東西に横切るという特徴も似ていることから混同されやすいが別物である。
東海通と東海道(国道1号)は、名古屋市南区にある千竃通1丁目交差点で交差しており、江戸時代のルートである旧東海道とは同区の呼続小学校前交差点で交差している。

名古屋市港区の大音寺
お寺だけでなく寺カフェ“一輪いちりん”というもうひとつの顔がある。
一輪という店名の由来は「皆さんがここで集まれる場所であってほしい」という願いが込められ、ひとつの輪=一輪と名付けられた。
名付け親は代表を務める大音寺若坊守の西川さやかさん。西川さんは調理師学校を卒業した後、フランスで料理を学び、帰国後はお料理教室を開いた。
西川さんの心の中には、「お寺の仏事にしかお斎場などを活用しないのではせっかく建物を新しくしてももったいない」という気持ちがあったそうです。
そこで出来るだけ活用できる方法を考えた末、毎日カフェを開けば、気軽にお寺に寄ってもらうことが出来るのではという思いからカフェを開く決心をされた。

戸田川緑地
名古屋市中川区と港区にまたがる都市公園。
平成元年(1989年)に開園、名前が示す様に戸田川中流の両岸2.5kmに渡って広がる。公園は南地区・中央地区・北地区に分かれており、計画面積は59.6ヘクタール(陸地面積40.1ヘクタール)となっているが、未完成の部分も多く、現在も工事が進められている。

蟹江川排水機場
蟹江川は上流域で大江用水につながっており、一宮市を除く流域内の地盤は、地下水の汲み上げで沈下していることから、河床は比較的高く、これらの地域では降った雨水はポンプにより排水を行っている。
蟹江川は下流部で日光川に合流するが、日光川本川の水位が高いため、常に自然流下で日光川に排水するには、蟹江川の堤防を現在より2メートル程度上げる必要があった。
そのため、新たに両側に堤防の用地が必要になるが、この川の両岸とも人家が密集しており、用地取得には住民への影響や長期間の日数を要することなどが懸念されるため、堤防の高さをそのままにし、蟹江川の水を排水機で日光川に排水する計画とした。
蟹江川排水機場は、昭和53年に排水能力毎秒40立方メートルを持つ施設を完成し、その後、平成5年に、流域の都市化等による流出量の増加に対処するため、ポンプ1台を増設し、毎秒52立方メートルの排水能力となった。
日光川から蟹江川への逆流防止、及び蟹江川の水位調節を目的として、排水機場に隣接して水門を設置している。 

飛島村
その面積のほとんどが開墾された土地で、1693年に大宝新田、1801年に飛島新田、1879年に政成新田が開拓された。
飛島村開拓の歴史の中でも飛島新田は767ヘクタールと規模が大きく、大変困難をきわめた開拓だった。この新田は、当時、熱田奉行兼船奉行であった津金文左衛門が尾張藩主の命を受けて開墾されたもので、現在も飛島村開拓の恩人として、元松神明社に銅像としてその姿を留め、飛島の地を見守り続けている。
東は日光川の中央を境とし、蟹江町・名古屋市港区に、西は筏川の中央を境とし、北は弥富市に隣接し、南は伊勢湾の最北部に面している。
全体の面積は約22.42km2と小さな村だが、北部は農村地帯、南部は臨海工業地帯となっており、昔ながらの、田園風景と名古屋港を中心とした貿易の拠点としての機能が共存している。
農村地帯では、水稲・麦・露地野菜・温室野菜・花卉等の栽培が盛んに行われ、また、一部では金魚の養殖も行われている。
臨海工業地帯には、輸送関連会社・倉庫会社・木材関連事業所・鉄鋼関連事業所・火力発電所などが立地し、名古屋港の物流の重要な地域となっている。

聖火リレー 熱田神宮

3月25日に福島県からスタートした東京オリンピックの聖火リレー。岐阜県から愛知県に引き継がれ、5日と6日の2日間で県内15の市を回る。


5日は焼き物の街、瀬戸市をスタート。
今回の聖火リレーで初めて政令指定都市の名古屋市に入り「三種の神器」の1つ「草薙の剣」が祭られている熱田神宮などをめぐる。