ベルモンド ホテル・ダス・カタラタス – ブラジル・イグアスの滝

ベルモンド ダス・カタラタス(BELMOND HOTEL DAS CATARATAS)は、イグアス国立公園内ブラジル側にある唯一のホテルで、迫力溢れるイグアスの滝まで徒歩圏内という抜群のロケーションが魅力。

ホテルからはイグアス国立公園が閉鎖されている夕方や夜明けでも壮大な眺めを満喫でき、亜熱帯のヤシの木の下でくつろぎの時間、熱帯雨林散策などさまざまなアクティビティの拠点としても最適。

ベルモンド(Belmond Ltd.)

世界各国で高級ホテル、クルーズ、豪華列車を運営する会社で本社所在地はバミューダ諸島、ハミルトン。

2014年現在、ラグジュアリー・ホテルを45軒、レストランを1軒、6つの豪華列車、3つのリバークルーズを22カ国で運営する。

2014年7月に、社名をオリエント・エクスプレス・ホテルズからベルモンド(ラテン語で美しい地の意)と変えた。

創始者は海運会社、シーコンテナ社社長ジェームス・シャーウッド。

ロンドン – ヴェネツィア間を結ぶ豪華列車、ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス、イギリス国内を走るベルモンド ブリティッシュ・プルマンとベルモンド ノーザンベル、スコットランドのロイヤル・スコッツマンを運営している。

クスコ – マチュピチュ間を結ぶ列車ペルー・レイルも半分所有。

ミャンマーの中心を流れるエーヤワディー川(旧イワラジ川)のクルーズ ロード・トゥー・マンダレイ (Road to Mandalay) 。

フランスのアフロート・イン・フランス(Afloat in France)のフランチャイズを運営。

レストランに関しては、ニューヨークの、21 クラブなどがある。

ヨーロッパ所在のホテル

イタリア
ヴェネツィア、ベルモンド ホテル・チプリアーニ(Hotel Cipriani)
アマルフィー海岸、ベルモンド カルーソ
フィレンツェ、ベルモンド ヴィラ・サン・ミケーレ

ロシア
サンクトペテルブルグ、ベルモンド グランド・ホテル・ヨーロッパ

南アメリカ所在のホテル

ブラジル
イグアス国立、ベルモンド ホテル・ダス・カタラタス
リオ・デ・ジャネイロ、ベルモンド コパカバーナ・パレス

ペルー
クスコ、ベルモンド ホテル・モナステリオ
ベルモンド パラシオ・ナザレナス
ベルモンド サンクチュアリー・ロッジ
ベルモンド ホテル・リオ・サグラド

チリ
ベルモンド ミラフローレス・パーク

東南アジア所在のホテル

バリ
ベルモンド ジンバラン・プリ・バリ

カンボジア
ベルモンド ラ・レジデンス・アンコール

ミャンマー
ベルモンド ガバナーズ・レジデンス

ラオス
ラ・レジデンス・プーバオ

タイ
サムイ島にあるナパサイ

ギザの大ピラミッドを一望するメナ ハウス ホテル (Mena House Hotel)

カイロ郊外、ギザのピラミッド地区に建つ大型高級ホテルメナ ハウス ホテル (Mena House Hotel ) は1869年創業でピラミッドをバックにした宮殿のような建物。

緑豊かな40エーカーの庭園を有し、700m先のギザのピラミッドまで馬やラクダで出かけることができる。

カイロ国際空港まで30km、カイロのダウンタウンまで約15km。

カーペット、家具、壁に飾られている絵、ついたてなど、客室は随所にアラビアンテイストをとりいれ手作りの家具が備わる客室。

ケニアの大自然を感じながら眠る ロイサバホテルのスターベッド

世界遺産 ケニア山国立公園(Mount Kenya National Park/Natural Forest)は、面積202,334 ha 、緩衝地域 69,339 ha。

アフリカ第二位の山であるケニア山一帯を保護するため、標高5199mの山のうち、3350m以上の地域を対象として、1949年に国立公園に指定される。自然林の保護区も含む森林保護区設定は国立公園に先んじている。1978年に生物圏保護区 (MAB) にも登録され、1997年にはユネスコの世界遺産にも登録された。

比較的標高の低い地域には、コロブスなどの猿、ケープバッファローなどが見られ、ゾウなどの大型動物は標高4500m以上に生息する

一帯は火山の堆積物で土壌が肥沃で、斜面を大量の水が流れてくれるので農業に適し、境界領域での人口増加が進んでいる。ケニアのナニュキ空港から車で約2時間半、大自然に囲まれた場所に位置するロイサバワイルドネスホテル(via Loisaba Wilderness)。広大な大地の中で、満天の星空を見ながら眠りにつき、地平線から昇る朝日を見ながら目を覚ますというスターベッドからの眺めは、まさに絶景。

コンラッド モルディブ(Conrad Maldives Rangali Island)

水上飛行機で、マレ国際空港からフルレ島までは美しい景色を眺めながら30分でアクセスできる。

ヒルトングループの最上級ブランド、洗練されたモルディブを代表するリゾートで、橋で繋がった2つの島に位置する。

総ガラス張りの水中レストラン、その他、広々としたプライベートヴィラ、多様なスパセラピー、床から天井までの木枠の窓からは海、ビーチの美しい景色を望める

ラグーンにあるSpa Retreat、Over-Water Spaでリラックスし、イタリアンブティックでショッピング、周辺諸島への日帰り旅行が楽しめる。レストランでは国際色豊かな料理、地中海料理、グリル料理などを楽しめ、The Wine Cellarでは600本以上の高級ワインが揃えられている。

コメダ珈琲店

以下、コメダ珈琲店のWebサイトから引用

1968年  創業者 加藤太郎(前会長)が名古屋市で「コメダ珈琲店」を開店
1975年 8月  株式会社コメダ珈琲店を設立
1977年 2月  コメダ珈琲店上山店がオープン
1993年 4月  株式会社コメダを設立、FC展開を本格化
1999年 2月  甘味喫茶「おかげ庵」をオープン
2001年 8月  本社を名古屋市瑞穂区上山町から現住所(名古屋市東区葵)に移転
2003年 6月  コメダ珈琲店の関東初の店舗として、横浜江田店をオープン
2006年11月 コメダ珈琲店の関西地域初の店舗として奈良中央店をオープン
2007年 8月  東京23区内初のFC店舗として下丸子店をオープン
2008年 4月  アドバンテッジパートナーズLLPがサービスを提供するファンド等に当社事業を承継
2009年 4月  コメダ珈琲店初の全席禁煙店舗として名古屋空港東店をオープン
2009年 5月  コメダ珈琲店の大阪府初の店舗として大阪本町店をオープン
2010年 3月  コメダ珈琲店の北陸地区初の店舗として金沢松村店をオープン
2011年10月 研修機能強化のため大阪府大阪市淀川区に研修センターを開設
2013年 2月  MBKパートナーズ株式会社がサービスを提供するファンド等に当社事業を承継
2013年 4月  国内500店舗を達成
2013年 9月  コメダ珈琲店の九州地区初の店舗として福岡八田店をオープン
2013年11月 コメダ珈琲店の東北地区初の店舗としてベイシア白河店をオープン
2014年 2月  研修機能強化のため東京都渋谷区に研修センターを開設

会社案内
社名 株式会社 コメダ
所在地 愛知県名古屋市東区葵三丁目12番23号
事業内容 コーヒーショップおよびフランチャイズチェーンの経営
創業 1968年
資本金 1億円
店舗数 コメダ珈琲店 632店舗
おかげ庵 7店舗
(2015年5月末現在)

フォークランド諸島、スタンリー

南大西洋上にあるイギリス領のフォークランド諸島 (Falkland Islands)は、1833年からイギリスが実効支配を続け現在に至る。首都はスタンリー(またはポート・スタンリー、アルゼンチン名はプエルト・アルヘンティーノ)。諸島の領有を主張するアルゼンチンとイギリスとの間で、1982年にフォークランド紛争が勃発した。

イギリス政府によると

1592年、イギリスの探検家ジョン・デイヴィス (John Davis) によって記録がなされた。これが現在のイギリスの領有権主張の根拠とされる。

当時は無人島だったが近年木製のカヌーが発見され、フエゴ島の先住民に既に発見されていたという説が有力視される。

フォークランドという名は、1690年に東フォークランド島と西フォークランド島の間の海峡を航海したイギリスの船長ジョン・ストロンの命名による。

彼は、航海の援助をしてくれた海軍のアンソニー・フォークランド子爵(Anthony Falkland, 1659年 – 1694年)にちなんで命名を行った。

アルゼンチンの介入

1820年にアメリカで私掠船の船長をしていたデイヴィッド・ジューエットの指揮下で、リオ・デ・ラ・プラタ連合州(後のアルゼンチン)のフリゲート・エロイナ (Heroína) がソレダードに到着し、アルゼンチンは諸島の領有と主権を宣言した。

1843年にはスタンリーが開設され行政府所在地となる。

1860年代から1870年代にかけては、スコットランド人入植者により牧畜のための羊と牛が島に持ち込まれた。
やがて牛の牧畜は廃れ、羊産業が主産業になる。

フォークランド紛争

1982年4月、内政に行き詰まったアルゼンチンの軍事政権がフォークランド諸島を占領、これに端を発してイギリスとアルゼンチンが同島で大規模な武力紛争を展開した(フォークランド紛争/マルビーナス戦争)。

イギリスは2ヶ月後に同島を奪還して勝利を収めたが両国の国交が再開され、戦争状態が終結したのは1990年2月5日。

国交再開交渉でもフォークランド諸島の領有権問題は棚上げされ、この状態で現在に至っている。

イギリスの実効支配が続く同諸島の帰属をめぐって、2013年に住民投票が行われたが、投票者の99.8%がイギリスの帰属を望んだ。

魔女の秘密展 Secret Witches Exhibition

名古屋市博物館
会期 2015年7月18日(土)~9月27日(日)
〒467-0806 名古屋市瑞穂区瑞穂通1-27-1
主催 名古屋市博物館、中日新聞社、東海テレビ放送、東映
企画協力 プファルツ歴史博物館
後援 ドイツ観光局

謎のベールに包まれた「魔女」を多角的に紹介する展覧会で、展示品は、絵画やまじない道具、魔女裁判に関する書物や資料、実際に使用された拷問道具などを含む約100点。メディアインスタレーションを使った「異端審問」や「火あぶりの刑」の体験、日本人作家によるイラストなどあらゆる角度から「魔女」に迫る展覧会。ワルプルギスの夜4月30日か5月1日にヨーロッパで行われる行事で、魔女・魔術師にとって極めて重要な魔の祝祭日である。ブロッケン山は、昔から魔女が集まることで知られ、この日、悪魔と共に祝賀会を催すために魔女たちは谷の広場に集まって来る。ドイツ・ハンブルク市立美術館収蔵の、魔女の集会を描いたシュパンゲンベルク・グスタフ=アドルフの絵画も展示される。

縮景園 (広島)

縮景園は、広島藩主浅野長晟(ながあきら)が、元和(げんな)6年(1620)から別邸の庭園として築成されたもので、作庭者は茶人として知られる家老の上田宗箇である。

園の名称は、幾多の景勝を聚め縮めて表現したことによるが、中国杭州の西湖を模して縮景したとも伝えられている。 園の中央に濯纓池(たくえいち)を掘って大小10余の島を浮かべ、周囲に山を築き、渓谷、橋、茶室、四阿(あずまや)などが巧妙に配置され、それをつなぐ園路によって回遊できるようになっている。

この種の庭園は、回遊式庭園と称され、室町時代にその萌芽(ほうが)がみられ、江戸時代初期に最盛期を迎えた形式で諸大名の大庭園の多くはこれに属する。池の中央にかけられた跨虹橋(ここうきょう)は、七代藩主重晟(しげあきら)が京都の名工に二度も築きなおさせたものといわれ、東京小石川後楽園の円月橋や京都修学院離宮の 千歳橋にも似た大胆奇抜な手法が駆使されている。

清風館は庭園のほぼ中央にあり、庭園にふさわしい数寄屋造りで、屋根はこけら葺きである。西側は優雅な書院造りの様式をそなえており、東側には花頭窓を設け跨虹橋を臨んでいる。

昭和15年(1940)浅野家から広島県に寄付され、同年7月12日国の名勝に指定された。 昭和20年(1945)原爆によって壊滅状態になったが、県教育委員会は、戦災前の景観に復すべく整備をすすめ、清風館、明月亭などの亭館も復元した。

元和5年(1619) 浅野長晟(安芸一円・備後8郡42万6千石)広島入城
元和6年(1620) 藩主長晟、家老の上田宗箇をして作庭に着手
宝暦8年(1758) 広島大火災により亭館・樹木等焼失したものがあり、その後復旧。
天明3年(1783) 同8年(1788) 藩主重晟、京都の庭師清水七郎右衛門を招いて改修
文化元年(1804) 重晟、頼春水・梅園太嶺・岡岷山らに園内名勝三十四景の名称を付けさせる
文化3年(1806) 頼春水に「縮景園記」、加藤定斎に「縮景園之和歌」の執筆を命じる
文化4年(1807) 頼春水「題縮景園詩五首」を詠ず。 牛田清水谷から導水装置をつくる
明治27年(1894) 大本営副営指定、明治天皇御来園
大正2年(1913) 園内に観古館設置
昭和15年(1940) 広島県に寄贈、国の名勝に指定
昭和20年(1945) 原子爆弾により亭館・樹木等すべて焼失
昭和24年(1949) 園の復旧開始
昭和25年(1950) 植栽に着手
昭和26年(1951) 復旧につとめながら開園
昭和39年(1964) 清風館を復元
昭和43年(1968) 悠々亭、看花榻復元
昭和44年(1969) 夕照庵、超然居復元
昭和49年(1974) 明月亭復元
昭和51年(1976) 管理棟完成

余市蒸溜所 NIKKA WHISKY

ニッカウヰスキーの北海道工場・余市蒸溜所は、日本のウイスキーの父と呼ばれる創業者・竹鶴政孝がウイスキーづくりの第一歩として選んだ場所である。

余市蒸溜所の隣地にはウイスキーとは別のもうひとつの浪漫、余市町で生まれ育った宇宙飛行士の毛利衛さんのメッセージや、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の活動を紹介する余市宇宙記念館がある。

ウイスキーは蒸留酒の一つで、大麦、ライ麦、トウモロコシなどの穀物を麦芽の酵素で糖化し発酵させ蒸留したもの、「穀類からつくられた蒸溜酒を、木の樽で貯蔵したもの」である。

その名称の由来は、ゲール語の uisce beatha(ウィシュケ・ベァハ)で「命の水」を意味する。日本語ではウィスキーまたはウヰスキー、ウ井スキーとも表記される。現在、世界の様々な国でウイスキーがつくられているが、なかでも、スコットランドとアイルランド、バーボンで知られるアメリカ、その隣の国カナダ、日本の5カ国が、質量ともに世界のウイスキーをリードする。

マダマ宮殿 (Palazzo Madama) イタリア、トリノ

ミラノ中央駅から電車で約1時間、イタリア北西部、ピエモンテ州の都市トリノはローマ時代に起源をもち、イタリア最初の首都となった街。トリノの街並みはフランスに似た雰囲気があるが、16世紀、サヴォイア家がフランスからトリノへ移り、ローマ建築が多かったトリノに豪華な装飾のバロック様式の建造物を導入したことによる。

トリノの街は世界遺産に登録された王宮・マダマ宮殿を中心にし、碁盤の目のように広がる。広い道路はなく、歩道も車道も多くが石造りで、街中には偉人や英雄の名をつけた大小さまざまな広場がある。

カフェがいたるところにあり、一番人気はエスプレッソ。砂糖をたっぷり入れて甘くして飲むのがイタリア流と言われる。

マダマ宮殿(Palazzo Madama)

カステッロ広場に面する古代ローマ時代の砦があった場所で、13世紀、ローマ門の跡に建てられた。アウグストゥス時代の城砦の一部を基礎に、幾世紀にもわたる増築・補修が重ねられた。18世紀の建築家ユバラの手になる西側正面の部分は均整のとれた美しさで知られる。

17世紀にヴィットリオ・アメデオ1世の未亡人、後に摂政を務めたマリー=クリスティーヌの居城として使われたことから「夫人宮殿」を意味する名がつけられた。数世紀の間に刑務所、兵舍、王家の収蔵庫、上院、裁判所などとして使われた。宮殿内に市立古代美術館が併設され、中世期から17世紀までのピエモンテの芸術品が展示されている。

1997年、「サヴォイア王家の王宮群」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。アーチ状のアーケード、ポルチコ(イタリア語:Portico)は、建物の玄関に導くための柱列として拡がるポーチで、柱で支えられたり壁で囲まれた歩道上に屋根がある構造となっている。街じゅうに張り巡らされ、全長はおよそ16kmに及びヨーロッパで最長のものである。サヴォイア家の貴族が雨に濡れずに歩けるようにするために建設されたと伝わる。