フォークランド諸島、スタンリー

南大西洋上にあるイギリス領のフォークランド諸島 (Falkland Islands)は、1833年からイギリスが実効支配を続け現在に至る。首都はスタンリー(またはポート・スタンリー、アルゼンチン名はプエルト・アルヘンティーノ)。諸島の領有を主張するアルゼンチンとイギリスとの間で、1982年にフォークランド紛争が勃発した。

イギリス政府によると

1592年、イギリスの探検家ジョン・デイヴィス (John Davis) によって記録がなされた。これが現在のイギリスの領有権主張の根拠とされる。

当時は無人島だったが近年木製のカヌーが発見され、フエゴ島の先住民に既に発見されていたという説が有力視される。

フォークランドという名は、1690年に東フォークランド島と西フォークランド島の間の海峡を航海したイギリスの船長ジョン・ストロンの命名による。

彼は、航海の援助をしてくれた海軍のアンソニー・フォークランド子爵(Anthony Falkland, 1659年 – 1694年)にちなんで命名を行った。

アルゼンチンの介入

1820年にアメリカで私掠船の船長をしていたデイヴィッド・ジューエットの指揮下で、リオ・デ・ラ・プラタ連合州(後のアルゼンチン)のフリゲート・エロイナ (Heroína) がソレダードに到着し、アルゼンチンは諸島の領有と主権を宣言した。

1843年にはスタンリーが開設され行政府所在地となる。

1860年代から1870年代にかけては、スコットランド人入植者により牧畜のための羊と牛が島に持ち込まれた。
やがて牛の牧畜は廃れ、羊産業が主産業になる。

フォークランド紛争

1982年4月、内政に行き詰まったアルゼンチンの軍事政権がフォークランド諸島を占領、これに端を発してイギリスとアルゼンチンが同島で大規模な武力紛争を展開した(フォークランド紛争/マルビーナス戦争)。

イギリスは2ヶ月後に同島を奪還して勝利を収めたが両国の国交が再開され、戦争状態が終結したのは1990年2月5日。

国交再開交渉でもフォークランド諸島の領有権問題は棚上げされ、この状態で現在に至っている。

イギリスの実効支配が続く同諸島の帰属をめぐって、2013年に住民投票が行われたが、投票者の99.8%がイギリスの帰属を望んだ。

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