キリグアの遺跡公園と遺跡群(グアテマラ)

グアテマラ東部、イサバル県のモタグア川中流域にあるマヤ文明古典期の遺跡で、1981年に世界遺産(文化遺産)に登録される。

キリグアは200年頃に建設され、5世紀頃にはここに本格的な王朝(キリグア王朝)が成立し、この遺跡はこの王朝が築いたものである。キリグアはカリブ海とグアテマラ高地をつなぐ通商路に位置し、モタグア渓谷の高地は銅、翡翠(ひすい)、カカオ豆、黒曜石の産地であることから、この一帯を統治するための拠点とされたと考えられている。

また、キリグアは都市国家コパンの衛星都市として、その都市文明の影響を受け発展した。ここにある石碑には、キリグアがそれまで従属していたコパンに勝利し、国として自立したことが記されている。

チャド共和国 絶景

スーダン、中央アフリカ、カメルーン、ナイジェリア、ニジェール、リビアと国境を接し、公用語はフランス語、アラビア語。首都はンジャメナで、1960年8月11日フランスより独立。国土面積は128万4千平方km²で、ペルーよりやや小さく、南アフリカより大きい、国の大部分をチャド盆地が占め、北部はサハラ砂漠、中部はサヘル、南部はサバナになる。

西部のチャド湖は7千年前に33万平方km²もあった巨大な湖の名残、現在は砂漠化により縮小しシャリ川やロゴーヌ川が南部からチャド湖に注ぐ。国の最高地点は北部のティベスティ山地にあるエミクーシ山(標高3445m)、Ennedi PlateauにあるオアシスのGuelta d’Archeiは、野生のラクダが集まることで知られている。熱帯前線が南から北へ移動するため、雨季はサバナで5月から10月、北部砂漠の年間降水量は50mm、南部サバナは900mmである。

住民は、スーダン系黒人が大半を占め200以上の部族に分かれ、大別すると、北部・中部のムスリム中心の部族と南部の非ムスリム中心の部族に分けられる。スーダンで人口の半数以上を占めるアラブ系部族はチャドでは少数派で、チャドでは非ムスリム部族の人口に占める割合が高い。

チャドで最も人口が多い民族であるサラ族は、伝統宗教やキリスト教の信者が大半で、人口は南部の非イスラム教徒多数派地域に集中する、そのため、国全体での割合から見ればイスラム教徒の比率はそれほど高くは無い。長年の内戦状態、道路網はほとんど未舗装で雨季には使用できなくなるというように、交通網の不整備により経済は不振。


チャド湖に繋がる河川は水上交通として利用されるが、近年の砂漠化の進行で、雨季の限られた期間しか船舶の通行ができない。チャド湖に流れ込む河川地域を中心にひろがる農業に依存し、主な農業生産物は綿花で、石油生産が始まるまでは輸出の70%程度を占めていた。南部を中心にウシやラクダによる牧畜も行われ、肉、皮も輸出されている。2003年に、南部ロゴン・オリエンタル州のドバ油田からカメルーンのクリビ港までのパイプライン1,070kmが完成し、日量10万バーレルの石油生産が始まった。現在、チャドの輸出の8割は原油でドバ油田から上がる収益は監視委員会によって管理される。アオゾウ地帯にウラン鉱脈が発見されたが開発は遅れている。

ボツワナ ・オカバンゴデルタ ほか

ボツワナは国土の17%は国立公園や動物保護区に指定され、20%が野生動物の管理地域に指定されているため、手付かずの自然の中で静かで質の高いサファリが楽しめる。20以上もの部族が居住していて、南アフリカ、ジンバブエ、ザンビア、アンゴラ、ナミビアなど周辺の国々から来た部族により文化の多様性がある。

土着民は狩猟民だが、伝統や言伝えにつちかわれた持続可能な環境計画を取り入れ厳格で伝統的な保護計画が採用されている。ダイアモンドをはじめとする鉱物資源が非常に豊かで、アフリカの中では有数の経済力を持つ国である。旅行者が支払う費用、宿泊代・食費などは他の国に比べると非常に高額なため旅行者の数は少なく、野生生物と自然資源の多様な種を維持している。

チョベ国立公園
ゾウが多いことで有名な公園で、そのほかクドゥやインパラなどの多種類のレイヨウ類、ライオンやヒョウなどの肉食獣も生息する。
サファリカーに乗ってのサファリの他、ボートに乗ってチョベ河サファリクルーズも楽しめる。

オカバンゴ・デルタ
世界一大きな内陸デルタで25000平方キロメートルにも及ぶ。オカヴァンゴ川がカラハリ砂漠に流れこむことで作られたこの三角州は季節によって面積が変わる。
周辺は砂漠で、満々と水を湛えた風景は奇跡とも言える。
このデルタは広大なオアシスでアフリカゾウ、カバ、サイなどの大型哺乳類など様々な動物が生息する。
2014年に世界自然遺産に登録される。

  • モレミ動物保護区
  • オカバンゴ・デルタの東端で陸と水の両方のサファリを楽しめる。

マカディカディ塩湖
数千年前に枯渇した湖から出来た世界最大の塩湖。
クブ島はマカディカディ塩湖に囲まれている花崗岩の島である。

ナイパン国立公園
ボツワナ東北部にあるアフリカ最大のシマウマの生息地。
12~4月の間には、無数のヌーなど動物、雨期にはフラミンゴなども見られる。

ツォディロ
砂漠のルーブルという別名を持つカラハリ砂漠にある岩絵群で、10キロ平方メートルという非常に限られた範囲に集中し、岩絵は4500以上にも及ぶ。
サン人によって描かれたとされているこれらの岩絵群は、2001年に世界文化遺産に登録される。

カラハリ砂漠
赤褐色の砂に覆われた大地は国土の70%を占める。
東部には中央カラハリ動物保護区がある。

セントラル・カラハリ動物保護区
宿泊施設も少なくワイルドそのもの地区で、ブラウンハイエナなど珍しい動物が生息する。寒暖が激しい地域である。

シュパイヒャーシュタット、コントルハウス地区およびチリハウス (ドイツ )

港湾都市ハンブルクは、中世ハンザ同盟時代の商都である。以来、世界中の国々からさまざまな品物がこの町へ運び込まれ、ロッテルダム、アントワープに続くヨーロッパ第3位の港であった。エルベ川沿いの「倉庫街」を意味するシュパイヒャーシュタットは、19世末から20世紀初頭にかけて、免税地区として建設され、高々と並ぶ倉庫、広々としたプロムナードと、ハンブルクのお洒落エリアの1つでもある。

複合型倉庫と商業地区は道路、運河、橋梁などで繋がり、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世時代のゴシック建築の典型であるタレットや、先のとがった切妻屋根で装飾される。2015年、ドイツのボンで開催された第39回世界遺産委員会において、ドイツのれんがによる表現主義において最も重要な芸術的、建築的な功績として、新規登録が認められた。広大な敷地には赤レンガ倉庫が立ち並び、15の巨大な倉庫のブロックと6つの関連する建造物・水路のネットワークで構成される。


19世紀後半から20世紀初頭にかけて、国際貿易が急速に拡大したことの影響を今に伝える。運河沿いを散策すれば、絵になる雰囲気と歴史的建築物を楽しめる。
倉庫には現在もカカオやコーヒー、お茶、ペルシャ絨毯など世界中の商品が保管される。

2015年、ドイツのボンで開催された第39回世界遺産委員会において、ドイツのれんがによる表現主義において最も重要な芸術的、建築的な功績として、新規登録が認められた。

広大な敷地には赤レンガ倉庫が立ち並び、15の巨大な倉庫のブロックと6つの関連する建造物・水路のネットワークで構成される。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、国際貿易が急速に拡大したことの影響を今に伝える。

運河沿いを散策すれば、絵になる雰囲気と歴史的建築物を楽しめる。
倉庫には現在もカカオやコーヒー、お茶、ペルシャ絨毯など世界中の商品が保管される。

スペイン「ルーゴのローマ城壁」

スペイン北西部の都市ルーゴ(Lugo)は、山で囲まれた盆地で近くをミーニョ川が流れる。ガリシア州ルーゴ県の県都で、州では第4位の人口を有する。旧市街を取り囲むローマ時代の市壁は、ローマ時代の市壁としては保存状態が良好で、欠けることなく街を360度取り囲んでいる。市壁の高さは10メートルから15メートル、長さは2.5km、71の塔を持つ。


2000年に「ルーゴのローマ城壁」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。ルーゴは紀元前26年から12年にかけて、アウグストゥスの軍団長によって建設され、「ルクス・アウグスティ」と名付けられた。カンタブリアとの戦争による駐屯地の跡に建てられたもので、アウグストゥス時代の拡張政策の産物都市である。


のちに、イベリア半島北西部のローマ属州ガラエキアの3つの都の1つとなった。紀元3世紀終わりから4世紀始め、ローマ帝国後期に市壁が建設されたが、ローマ時代以降は無人となり中世初期に住んでいたのは聖職者だけだったという説もある。

The Roman Walls of Lugo

1129年、ロマネスク様式のカテドラルの建設が始まり、中世後期には、サンティアゴ・デ・コンポステーラのように巡礼の中心地となった。

この地域には、モンドニェードやリバデオのように産業が盛んな都市はほかにもあったが1833年、現行の県制度が導入されてルーゴ県ができ、ルーゴが県都となる。

ダンブッラの黄金寺院(スリランカ)

スリランカのダンブッラは、コロンボの148キロメートル東方、キャンディの72キロメートル北方で、セイロン島のほぼ中央部に位置する。1991年にUNESCOの世界遺産に登録されたダンブッラの黄金寺院、幹が鉄のように固く密度が高い重い樹木のセイロンテツボクの森林があることでも知られる。

また、この地域は南アジアで最大の紅水晶の鉱山がある。ダンブッラの黄金寺院は保存状態が良く、黄金寺院の周辺には確認されているだけで80以上の洞窟がある。ダンブッラの黄金寺院の歴史は紀元前3世紀にまで遡り、当時は最大規模でかつ最も重要な僧院として機能していた。

紀元前1世紀、王ワッタガーマニー・アバヤ(シンハラ朝第19代国王、在位紀元前89年から紀元前77年)により、僧院は寺院へ転換された。彼は、タミル人によりアヌラーダプラから追放されたがダンブッラで保護され、15年後に再び、アヌラーダプラに帰還した。感謝の念を持って僧院は寺院へと発展を遂げ、多くの増築が施された。

ポロンナルワの王統で最後の王であるニッサンカ・マッラ(在位1187年-1196年)は、寺院を金箔で飾り、1190年には70対の仏像を寺院に納めている。

18世紀には、キャンディ王国により石窟寺院の修復作業が行われた。

石窟寺院は5つの石窟によって構成され、高さ150メートルの岩山の中腹に建設された石窟はアヌラーダプラ時代(紀元前1世紀-993年)、ポロンナルワ時代(1073年-1250年)に大部分が建設された。

第1窟
高さ14メートルの釈迦の石造が安置され”Devaraja lena”とも呼ばれる「聖王の石窟」で、壁画は何度も修復作業が施され、最新の修復作業は20世紀に行われている。

第2窟
黄金寺院の規模では最大規模の石窟であり、別名「マハラジャの石窟」とも呼ばれる。
ヒンドゥーの神であるサーマン、ヴィシュヌの心臓、16体の釈迦の立像、40の釈迦の坐像が安置されている。
聖像には紀元前1世紀の王ワッタガーマニー・アバヤと12世紀の王であるニッサンカ・マッラが施した装飾が残っている。
面積2,100平方メートルに及ぶ天井画が施され、釈迦によるマーラへの説法やスリランカの歴史に関係のある内容が描かれている。

第3窟
「新僧院」とも呼ばれる石窟寺院で、キャンディ王国時代に描かれた天井画と壁画が残る。50の仏像と1体の王の像が安置されている。

第4窟・第5窟
上記の3つの石窟寺院と比較した場合、規模も小さくまた、質もそれほど高くない。

エフェソス (トルコ)

トルコ西部の小アジアの古代都市エフェソスは、イズミル県のセルチュク近郊に位置し、古典ギリシア語読みではエペソス、エフェソ、エペソとも表記され現在はトルコ語でエフェス(Efes)とも呼ばれる。

古典期のエフェソスはアルテミス崇拝で王政が敷かれ、哲学者ヘラクレイトスはこの町の出身である。紀元前356年、アルテミス神殿に放火すれば後世に名が残ると考えて実行した者により神殿は完全に焼尽したがアルテミス神殿は再建された。古典古代の世界の七不思議の一つに数えられる。

古典古代の七不思議は、ギザの大ピラミッド、バビロンの空中庭園、
エフェソスのアルテミス神殿、オリンピアのゼウス像、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟、ロドス島の巨像、アレクサンドリアの大灯台、と言われることもある。

エフェソスはヘレニズム都市として栄え、紀元前2世紀に共和制ローマの支配下に入り小アジアの西半分を占めるアシア属州の首府で東地中海交易の中心であり、マルクス・アントニウスがプトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラ7世と共に滞在した地でもある。

現在残るアルテミス神殿の遺構はローマ時代に建てられたもので巨大な図書館と劇場を備え、劇場は5万人が収容される。

当初はアルテミス崇拝で知られたギリシア人都市エフェソスは、その後キリスト教を受容し、新約聖書にはエフェソスの教会にあてた書簡
エフェソの信徒への手紙がある。
イエスの母マリアも、使徒ヨハネとともにエフェソスで余生を送ったと伝えられる。

現在のエフェソスはトルコの小村アヤソルクの一部で、アルテミス神殿の遺跡、マリアが晩年を過ごしたといわれる地に建てられた礼拝堂『聖母マリアの家』、聖ヨハネ教会、考古学博物館などがあるトルコの重要な観光地の1つである。
『聖母マリアの家』には、バチカンからの代表者が毎年参拝するほか、歴代のローマ教皇も訪問している。

フィリピンのバロック様式教会群

ルソン島のマニラ、パオアイ、サンタ・マリアと、パナイ島のミアガオにあるスペイン植民地時代の教会群。かつて、スペインはルソン島のマニラとその周辺を占拠し、フィリピンを植民地化し、統治のための役所や総督の邸宅、キリスト教を布教するための聖堂を各地に建設した。

聖堂はバロック様式を基礎として、地震や台風にも耐えうるよう強固な石造り。さらに、他のヨーロッパ列強の進出に対する防御の拠点ともなるよう、要塞としての機能を持たせた。

第二次世界大戦の戦火を耐え抜いた聖堂は、「地震のバロック」とも呼ばれ、植民地時代の遺産として歴史的な価値が認められ1993年、フィリピン初の世界遺産として登録された。英名はBaroque Churches of the Philippines。

最古の聖堂はマニラのサン・アグスティン聖堂であり、その他にパオアイのサン・アグスティン聖堂、サンタ・マリアのヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・アスンシオン聖堂、ミアガオのサント・トマス・デ・ビリャヌエバ聖堂が残る。マニラのサン・アグスチン教会の礼拝堂には、ステンドグラスの窓、天井と壁には壁画が残る

ヴォルフスブルク (Wolfsburg)、フォルクスワーゲンの本社所在地

ヴォルフスブルク (Wolfsburg) は、ドイツ連邦共和国、ニーダーザクセン州に属する都市で、ドイツの自動車メーカー、フォルクスワーゲンの本社所在地である。都市名は、ドイツ語で「狼の城」「狼の堡」を意味し、市章も「城の上に立つ狼」を描いている。1938年、ナチス政権下でこの街が建てられた時の人口は1144人、フォルクスワーゲンを生産するために建設された自動車産業の計画都市である。

当初の市名は「歓喜力行団の車市」(Stadt des KdF-Wagens、KdF-Stadt) 。第二次世界大戦中は強制収容所のユダヤ人やロシア人捕虜などが酷使され、軍事物資の生産などに携わった。第二次世界大戦で荒廃したが、イギリス占領下で復興を果たし、以後フォルクスワーゲン社の発展と共に歩む。

1945年5月8日、連合国軍による占領後、近隣にあった城堡ヴォルフスブルクに因んで改名する。冷戦時代、1945年から1990年までは西ドイツに属し、1990年のドイツ再統一以後は自動車に関する博物館やアトラクションが増え、多くの観光客を集めるようになる。

フォルクスワーゲン工場も見学できる自動車のテーマパーク、アウトシュタット (ドイツ語で“自動車の街”) は観光名所。2003年、フォルクスワーゲンが5代目ゴルフを発売した際、期間限定で市名を“ゴルフスブルク” (Golfsburg) と改称した。

グラーツ歴史地区 (オーストリア)

グラーツは首都ウィーンの南西150キロ、ムール川沿いに位置する大学都市。
ウィーン・マイドリング駅からグラーツまで、特急列車で2時間40分ほど、歴史地区へは、駅から路面電車を利用するのが便利で、所要時間は、街の中心、市庁舎前広場まで約10分。

グラーツはかつてのハプスブルク家の居城都市であり、街中でその歴史を感じることができる。1999年に街の中心部がグラーツ市歴史地区として世界遺産に登録(2010年に拡大登録)される。

華やかなルネッサンス様式の中庭のある州庁舎、世界最大規模の中世武器コレクションを展示する州立武器博物館、グラーツ宮とゴシック様式の大聖堂、皇帝フェルディナント2世の霊廟などハプスブルク家の遺産は「街の王冠」と呼ばれる。
グラーツのシュロスベルク(城山)、かつて「歴史上最強の城塞」が存在し、城塞の一部は今も保存される。時計塔はグラーツの歴史的シンボルとして知られる。

市内にはいくつもの美術館・博物館が点在する。郊外に位置するエッゲンベルク城は、州立博物館アルテ・ギャラリーとして公開され、ビザンティン美術から19世紀絵画までを取り揃えている。

2007年には江戸時代に描かれた日本の屏風絵も発見され、豊臣時代の「大坂図屏風」は、これまで豊臣時代の大坂を描写した絵画資料が少なかったため、貴重なものである。エッゲンベルク城は2010年に世界遺産に拡大登録された。

建築の宝石箱と呼ばれるオーストリアの「グラーツ歴史地区」であるが、「建築の宝石箱」と呼ばれる訳は、さまざまな時代の質の高い建築物が保存状態も良く狭い旧市街の中に調和を保って残っていることによる。

寒いグラーツに残る南国イタリアのルネサンス建築、丘の上にある巨大な時計塔、3万点の武器を納めた武器庫、歴史地区の中に「巨大なナマコ」、もしくは「エイリアンの乗った宇宙船」とも評される驚異の建造物と、謎も多い都市である。

美しき青きドナウ・・・グラーツ歴史地区 (オーストリア)