名古屋大須商店街 文珠小路

2本の小道で昭和へタイムスリップ。
気をつけないと見過ごしてしまうなほどひっそり存在する「文珠小路(もんじゅこうじ)」。
わずか約50mのレトロな2本の小路には、秘密にしたい隠れ家的なおいしいグルメが待ってる。
かわいい雑貨屋さんもあるから、ショッピングも一緒に楽しむこともできる。
大須商店街の2本の小路「文珠小路」には素敵なお店が満載

アンティークな雰囲気で、おいしいワインとビールを【WINE CAFE LUCE】
店主とのトークも楽しい、そばとお酒を堪能する【お蕎麦とお酒 DEN】
ジャズが流れるレトロ空間で、ワインとコーヒーを味わう【WINE CAFE LUCE】
中世ヨーロッパのイメージが漂うアンティークな空間で、おいしいワインを気軽に嗜むことができる【WINE CAFE LUCE】。
半地下と中2階に席を設けて、当時の造りを生かしたレトロなイメージがあふれる店内には、ヴィンテージのスピーカーからは軽快なジャズが流れ、昼夜問わずムード満点。
独特の造りの店内は、隠れ家的な雰囲気も

長良川、揖斐川の河口界隈周遊

長良川河口堰

三重県の長良川の河口部に治水と利水を目的に作られた堰(河口堰)。

長良川に初めて造られた堰であり、この河口堰ができるまでは、長良川は本州で唯一の本流に堰のない大きな川だった。

元は工業用水を溜めるために計画されたが、計画が30年以上紆余曲折するうちに重工業がさして水を必要としなくなったため、洪水防止に名目を変更して建設が進められた。

その建設に当たり、利水や治水の観点から建設を望む声がある一方[要出典]、長良川の生態系や漁業などへの悪影響などが懸念され、漁協や自然保護団体、日本全国のカヌーイストらなどによって激しい反対運動が起き、建設の是非をめぐる論争が発生した。

本来の目的を失ったにも関わらず計画を中止しない建設省の強硬な態度は、建設省と土建屋の癒着があったからという意見もある。

この論争は、単なる「開発」か「環境」かという論点をこえて、誰がこの問題の「当事者」たりうるのかという、税金を使う公共事業のあり方、河川管理や産業振興、環境保護のあり方についての論点を提起することにもなった。

目的:治水(塩水の遡上を防止することにより、長良川の浚渫を可能にし洪水を安全に流下させる)、水道用水、工業用水

形式:可動堰
堤頂長:661m
堰高:8.2m
建設費:約1,500億円
事業者:水資源機構ダム事業部
本体施工業者:大成建設・鹿島建設・五洋建設共同企業体
着工 / 竣工:1968年(昭和43年) / 1994年(平成6年)
所在地:三重県桑名市長島町

桑名七里の渡し公園

木曽三川にまつわる史跡と桑名を代表する建築とをつなぐ場所に整備された、川と街に一体となった歴史公園で、地域の歴史にちなんだ意匠を随所に取り込んでいます。 周辺史跡を巡る道中や日々の散歩時に、流れるせせらぎに耳を傾け、芝生広場でゆっくりとくつろげます。

近隣には、鹿鳴館の設計で有名なイギリス人建築家ジョサイア・コンドル設計による洋館と池泉回遊式庭園を持つ、国の重要文化財の「六華苑」、春と秋に一般公開される美しい庭園「諸戸氏庭園」、

東海道五十三次で知られる桑名宿の渡船場「七里の渡し跡」等があります。 今後、揖斐川右岸地区と七里の渡し地区の整備を予定しており、現在は住吉地区が開園しています。

なばなの里

三重県桑名市長島町駒江にある植物園である。長島観光開発株式会社の運営するナガシマリゾートの一施設である。
里内には8店舗のレストランがあり(長島地ビール園、ベーカリーレストラン「マルセイユ」、イタリアンレストラン「麦」、とんかつ「かつ○」、中国料理「桃仙」、日本料理「翡翠」、「カフェ・ラ・テラス」、麺料理「芭蕉庵」)、他にもベーカリーショップ10・2・5(テンツーファイブ)や、売店の「村の市」では特産品や地ビール、お土産などを購入できる。また長島温泉を利用した日帰り温泉施設「里の湯」がある。さらには東海地方最大級の「花市場」が隣接してあり、東海地元の野菜や季節のお花が買うことができる。

園の名前は当地の特産品である「なばな」に由来する。

ベネズエラ エンジェルフォール

テーブル状の山が連なるギアナ高地
落差979mの、世界最長の滝エンジェル・フォール。テプイと呼ばれるテーブル状の山の断崖から、白い筋となって流れ落ちる姿は、息を飲む美しさと迫力だ。
密林の中からそそり立つ100以上ものテプイが、雲の上にもうひとつの大地を作り出しているようなギアナ高地。
ベネズエラ・ボリーバル共和国(以下、ベネズエラ)の内陸部に位置し、日本全土がまるごと入っても余りある広さがある。ギアナ高地そのものは、さらに隣国のガイアナやブラジルへと続いている。

なぜこのような地形ができたのかというと、ギアナ高地はかつての地球の地軸に位置し、大陸が分裂していくなかでそこだけが同じ場所に留まったからだそう。
20億年前のことである。風や雨にさらされるうちに、固い岩盤だけが残り、それがテーブル状の山になったのだ。
また、分裂した大陸はその後、氷河期や洪水など気候変化の影響を受けたが、ギアナ高地だけは気温の変化があまりなかっため、テプイの上には原始の姿を残しつつ、独自に進化を遂げた植物が生育する。

エンジェルフォール(Angel Falls)

南アメリカ大陸北部のギアナ高地にある世界最大級の滝。
行政上は、ベネズエラのボリバル州グランサバナのカナイマ国立公園内に所在する。
世界最大の落差 979メートル / 3212フィート(岩にぶつかることなく直下する距離は 807メートル / 2648フィート)をもつ滝として著名。

滝のスペイン語名・英語名等は、その存在を世界に向けて大々的に紹介した最初の人物である、アメリカ人探検飛行家ジミー・エンジェルの名にちなむ。
すなわち滝の名が「天使の滝」の意を持つわけではなく、その含意は「エンジェル氏の滝」である。

オアシス21

オアシス21
愛知県名古屋市東区東桜一丁目に所在する
公園やバスターミナルなどの公共施設と商業施設との複合施設
2002年(平成14年)10月11日に正式オープン

公園施設の管理・運営は第三セクターの栄公園振興株式会社が行う
都市公園としては「久屋大通公園」の一部
公募によりオアシス21の愛称がつけられた

東側に隣接するNHK名古屋放送センタービルと愛知芸術文化センター
南側に錦通が通り、西側に久屋大通が通る
錦通と久屋大通の交差点の北東に位置する

建設前は、NHK名古屋放送会館と愛知県文化会館があった
東に隣接する栄公園と敷地を入れ替える形で名古屋市が整備
栄公園にはNHK名古屋放送局と愛知芸術文化センターが建設された

整備構想については、1980年代から具体化してきた
まずは、1982年の愛知県文化会館の再整備構想
1984年のNHK名古屋放送会館の立て替え構想などがあり
1985年6月には愛知県と名古屋市、NHKの3者による「栄公園地区の総合的な整備に関する覚書」が締結されるに至った

これは、名古屋市が栄公園地区の整備計画を策定し
愛知県は文化会館の整備、NHKが放送会館の整備を
それぞれ協力しながら推進していく方針の確認であった

当初の計画には
栄地区のバスターミナルをすべて集約した施設を地下2階に設置する構想もあった
が、最終的には久屋大通公園の栄バスターミナルを残したほか
施設を半地下構造とすることにより事業費を圧縮した

整備完了までの暫定的な利用として、駐車場やさまざまなイベントに利用された
そのなかでも、1997年3月2日から1998年12月27日までの間、劇団四季による名古屋ミュージカル劇場が設置されたこともある
これは、座席数約1130の劇場であり、「オペラ座の怪人」と「美女と野獣」の公演を行った

また、事業費圧縮の方策として、事業の提案競技方式が採用されることとなった
また、名古屋市都市整備公社が建設し、名古屋市が分割払いによりこれを取得するという建設代行方式が検討された

1997年2月15日、最優秀案として大林組の案が採用されることとなった

マスコットキャラクターとして、恐竜をモチーフとした「いやしす」が設定されている

当施設では、日本生命、レオパレス21、寿がきや、ダイハツ・キャストなど多くのテレビCMの撮影に使われた実績がある

外国人観光客に人気の高いスポットであり、「夏のフォトジェニック観光スポット」として国内では北海道・洞爺湖に次ぐ2位に選ばれたことがある
また、コスプレイベントやハロウィンの日には多くの若者が集まる

弥富野鳥園

「野鳥の保護、調査、観察等を通じて、野鳥の保護思想の普及啓発を図る」ことを目的として、渡り鳥など野鳥が多く見られる鍋田干拓地の一角に造成され、1975年(昭和50年)5月に開園した。

約36ヘクタールの園地の内、約33ヘクタールを保護地(通常は一般来園者立入禁止)として草原や林、池や水路などを設けると共に約3ヘクタールを小公園として整備し、観察施設を兼ねた本館を置いている。

本館は鉄筋コンクリート3階建てで、2階にはパネルや写真を展示する展示室と剥製を陳列する資料室があり、3階には6台の双眼望遠鏡を備えた展望室を設置している。

また、探鳥会をはじめとする各種のイベント(公式サイトを参照)を開催しており、土・日・祝日には日本野鳥の会の観察指導員が来園して野鳥観察のアドバイスなどを行なっている。

園地内では開園以降200種を越える野鳥が観察されているほか、野性化したヌートリアが確認されている。

ヌートリアとは?

ヌートリアは、ネズミ目ヌートリア科ヌートリア属の動物で、南アメリカが原産です。見た目はネズミですが、頭胴長が(しっぽを除いた頭からお尻までの長さ)40 – 60 cm、体重が5 – 9 kgほどもあるので、かなり目立つ生き物です。生後5・6ヶ月頃には性成熟し、年二回、平均5頭の子供を生みます。かなり繁殖力の高い生き物です。寒さには、それほど強くないといわれており、冬期に河川が凍結するような地域では生存できません。冬期には、長い尻尾が凍ることによって弱ったり、流産することが知られています。

金シャチけいばNAGOYA

名古屋競馬場は、2022年4月、愛知県弥富市へ移転した

名古屋競馬場(なごやけいばじょう/英: Nagoya Racecourse)は、愛知県弥富市駒野町1番地にある地方競馬の競馬場である。キャッチフレーズは「金シャチけいばNAGOYA」(きんシャチけいばなごや)。かつては名古屋市港区にあったが、2022年4月に愛知県弥富市へ移転した。

通称・愛称土古競馬場
金シャチけいばNAGOYA
所在地愛知県弥富市駒野町1番地
座標北緯35度03分09秒 東経136度47分05秒
起工1948年1月
開場
1949年6月(名古屋市)
2022年3月22日(弥富市) 
閉場
2022年3月11日(名古屋市)
所有者愛知県競馬組合
管理・運用者愛知県競馬組合
収容能力約2000人
コース周回右回り馬場ダート(1周1,180m)

旧名古屋競馬場

所在地の旧名から愛称として古土競馬場(どんこけいばじょう)とも呼ばれていた。かつては障害競走が行われていて内馬場には1コーナーから3コーナーに向かうたすき状の障害コースの名残が見られ、3コーナーからの襷の入り口付近に生垣障害が残っていた。

1周1100 m・幅員23m・右回りダートコース

直線距離194 m(第4コーナーから決勝線まで)※ 現存する競馬場の中で日本一短い直線であった。

距離設定 [m]: 800, 1300, 1400, 1600, 1800, 1900, 2500(かつては2400 mも存在した)

2500 mは名古屋グランプリのみで使用した。

1300 mは2011年11月17日を最後に使用しなかった。

最大出走頭数(フルゲート): 12頭

コースの形状から外枠の出走馬が人気薄でも来ることがある。そのため以前から枠番連勝複式(枠複)の7-8はよく[独自研究?]売れていた。

新名古屋競馬場

1周1180 m・幅員30m・右回りダートコース

直線距離300m(第4コーナーから決勝線まで240m)西日本地区の地方競馬では最長距離である。

第2コーナーから向正面と第3、4コーナー中間に若干の高低差

第3コーナー入口から第4コーナー出口にかけてスパイラルカーブが存在

距離設定 [m]: 900, 920, 1500, 1700, 2000, 2100

最大出走頭数(フルゲート): 12頭

スタンド棟

新名古屋競馬場のスタンド棟は延べ床面積5400平方メートル[7]。インターネットによる馬券購入の増加により、観覧席は屋内屋外あわせて574席で旧競馬場の約10分の1となった。

パドック

旧名古屋競馬場は奥行19m、幅44.5mに対し、新名古屋競馬場は奥行22m、幅48mと拡張された。また馬体重の表示は以前は手動でパネルをはめていたが、新名古屋競馬場では電光掲示板に変更された。

入場料

名古屋競馬場開催時は100円(場外のみ発売時は無料)。

硬貨を直接自動改札機に投入する方式である。

通常、15時20分以降は無料で入場できる。

かつて行われていたファンサービス編集

毎週火曜日は「レディースデー」のため、女性は入場料が無料だった。

名古屋競馬場オフィシャルサイトから無料入場券(クーポン券)をプリントアウトしたもの、または携帯電話・スマートフォンで無料入場券の画面を有人の入場門で提示すると無料で入場できた。

バス、地下鉄、ドニチエコキップでGet!

名古屋市交通局の「バス・地下鉄全線一日乗車券」または「ドニチエコきっぷ」を有人の入場門で提示すると無料で入場できた。

移転後の跡地利用編集

現在の名古屋競馬場跡地は場外馬券売場などに活用される[。2022年2月に中部電力を中心とするグループと愛知県・名古屋市が跡地開発について基本協定を締結している[。2022年3月18日以降は元の競馬場施設の一部を「サンアール名古屋」の名称とし場外馬券売場として営業を続けるが、南東区画の一部施設を利用して新規に場外馬券売場を設ける計画がある。元の競馬場敷地の大部分は、一旦2026年アジア競技大会の選手村として使われた後、2028年を目処に複合商業施設・マンション・教育施設などを持つエリアとしてオープンさせる予定。

納屋橋

納屋橋

堀川七橋の一つ。笹島に名古屋停車場ができた明治19年に広小路が駅前通りとして西に延長され脚光を浴び、大正2年青銅鋳鉄の欄干を持つ橋に架けられました。
現在の橋は、昭和56年に架け替えられたもので、アーチ形状を残した外観となっています。

堀川の開削奉行をつとめた福島正則の功績をたたえて、歩道の半円形の展望部の高欄中央部に家紋の中貫十文字が、また、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑の家紋も高欄に飾られています。

1886年(明治19年)に広小路通が名古屋駅前まで延伸された事と共に鉄骨製の橋に改修され、1898年(明治31年)からは名古屋市電栄町線が橋上を走るようになった。その後、1913年(大正2年)に橋が改築された際には竣工に合わせて渡り初めが行なわれ、その様子を見ようと6万人あまりが訪れたという。この際に渡り初めを行なった二組の「三世代揃った夫婦」の一方であった和菓子店「伊勢屋」はこの後に屋号を「納屋橋饅頭」と改めて現在に至っている。現在の橋は1981年(昭和56年)に架けかえられたもので、前代のものを引き継いだ、中央部にテラスを持つ青銅鋳鉄の欄干が特徴のアーチ橋となっている。橋の下に取り付けられたアーチは無くても問題はないが、前代の面影を残すために飾りとして残された。アーチとともに外観上の特徴である欄干は前代の橋のものがそのまま使われており、堀川開削を行ったとされる福島正則にちなみ福島家の家紋が施されている。また、上流側のアーチには濁点を取った「なやはし」の文字が記されている。

納屋橋は1989年(平成元年)に名古屋市の都市景観重要建築物等に指定されている。

塩竈神社

天保6年(1835年)名古屋城築城の折り奥州国の武将、岩田藤忠公が
名古屋城築城工事安全・無病息災を祈願し
奥州一之宮鹽竈神社の御分霊を尾張国にお迎えされました。

名古屋駅より、南ほど近く、名古屋城より南南西に鹽竈(塩釜)神社はあります。
名古屋城築城以来の歴史を有し、安産・初宮詣り・七五三など広く御祈祷たまわっております。

鹽竈(塩釜)神社のさまざまなご利益
まずは海の神さま、かつては入り江が近くにありました。堀川や運河での航行安全を願い祈願されています。
また、名前由来どおり塩の神様、人間になくてはならない塩の製法を授けてくださった神様として信仰が寄せられています。
海は母なるという考えから、産業発展、延命特に安産、生育安全にはご利益があると言い伝えられています。

境内社
神明社・津島社・秋葉社・無三殿社・白龍社・稲荷社・靖霊社 7社
無三殿社(かっぱの神様)
根抜きの神様 (特に出産の折痔にならぬよう)
商売の神様 (かっぱはお客の足を引くと言われます)
子供の神様 (かっぱは子供が大好きで水泳上達)
白龍社
おもかる石 (願い込めて上げることにより占いをする)

鹽竈神社(しおがまじんじゃ・塩釜) 
〒454-0004
愛知県名古屋市中川区西日置1丁目7-10 
TEL 052-331-4025
FAX 052-331-4035
受付時間 09:00~16:00

堀川開削の理由

約400年前、名古屋台地の北端に名古屋城が築城され、その南に城下町が建設されました。江戸時代の海岸線は熱田までで、その沖合は遠浅の海が南にひろがっていました。このため大型船の停泊は難しく、輸送された荷は沖合で小型船に積み替えて熱田の浜に陸揚げされまていました。
しかし、熱田からさらに内陸部にある城下町へと荷物を大量に運搬するには船を用いるしかありません。そのため熱田の浜から名古屋城下までの物資の運搬を担う運河の開設が行われることになりました。

慶長15年(1610年)福島正則により熱田と名古屋城下を結ぶ堀川の開削が始まり、総延長約6km、川幅(約22~87m)の堀川が誕生しました。
北端は名古屋城西の幅下で、名古屋城の外堀と結ばれていました。素掘りの堀川はしばしば土砂の流入に悩まされ、浚渫などの維持は商人等の受け持ちとなっていました。

熱田大瀬子の朝市 – 尾張名所図会(イメージ着色)日置橋 – 尾張名所図会(イメージ着色)堀川には川下より、新橋(尾頭橋)、古渡橋、日置橋、納屋橋、伝馬橋、中橋、五条橋の七つの橋が架けられ、特に河口に近い尾頭橋は台風などの被害も多く、しばしば架けかえられたので新橋と呼ばれていました。

天王崎天王社 – 尾張名所図会(イメージ着色)熱田の浜、大瀬子の魚市場を北上した現在の白川庭園の付近には御船蔵が造られ軍船や御座船が収蔵されており、また木曽美林から切り出された木材を貯木する貯木場もありました。堀川をさらに北上し尾頭橋付近に来ると右手に名古屋の名景沢観音が望め、日置橋の両岸は桜見物の名所として知られていました。

御船御行列之図洲崎橋の付近には船奉行や水主という水軍関係者の屋敷が配置され、納屋橋の南の右岸には三つの蔵を持った藩の米蔵がありました。納屋橋を過ぎ五条橋にいたる両岸には商人たちの蔵が立ち並んでいました。現在でも大舟町あたりの町並みは当時の名残を残しています。

寛文3年(1663年)矢作川の下をくぐり庄内川に通じる御用水が開削され、新しい水源として名古屋城の堀に導水されました。その後の天明4年(1784年)、江川に接続されていた大幸川の川筋を変えて堀川につなぎ、庄内川から流入する御用水とともに新しい水源となりました。

庄内川からの水を引く取水口庄内川と水分橋。画面中央奥に堀川への取水口がある明治に入り黒川の開削が行われ、守山区の水分橋から北に矢田川の下を通り庄内川につながる堀川の水源が誕生しました。

明治も半ばを過ぎると名古屋港の建設が始まり、熱田沖から南に向けて浚渫作業が行われ、明治40年(1907年)名古屋港の開港により堀川は延長され現在の姿となりました。

久屋大通公園フラリエ

久屋大通庭園フラリエ(旧ランの館)
平成26年9月27日にリニューアルオープン
「花と緑に囲まれたライフスタイルガーデン」が誕生
愛称「フラリエ」は、「ふらり」+「フラワー」+「アトリエ」の造語で
「ふらりと立ち寄れる花いっぱいのアトリエ」いう意味が込められている

花や緑、水辺など、都会の自然をゆったりと楽しめる
6つのテーマガーデンを中心に
散策や、グルメ、ショッピングのほか
イベントや各種教室など、都会の中で自然を感じながら
思い思いに過ごしていただける空間を創出しています

地域のコミュニティづくりの一環として
花壇づくり、イベントなどさまざまな活動の場、交流の場となるよう
市民参加型の庭園を目指しています。
花の手入れボランティアと協働で季節に合わせた花壇を作り、ボランティア育成のために、ガーデニング講座も実施しています。