田んぼアート

田んぼをキャンバスに見立て色の異なる稲を使って巨大な絵や文字を作り出す。
大規模なものの多くは斜め上から見る前提で図案を設計し、これに基づいて遠近を考慮して植えらる。
使用される稲は、現代の食用に広く栽培されている米、古代に栽培されていた稲である「古代米」、餅米や観賞用品種の稲である。
葉や穂の色によって緑色、黄緑色、濃紫、黄色、白色、橙色、赤色といった色が作られる。
1993年、青森県南津軽郡田舎館村で村起こしの一つとして田舎館役場裏手の田んぼで始められる。
2010年以降、日本全国に広まり全国田んぼアートサミットが開催される。

田舎館村での取り組み
村役場の東側にある約1.5haの水田と、第2会場として道の駅いなかだて施設内の田んぼが設定されている。
使用される米は古代米2種類(黄稲、紫稲)と、この地方で栽培されているブランド米の「つがるロマン」。
田植えや稲刈りへの参加者も募集され多くの人が訪れる。
2013年、弘南鉄道弘南線に、田んぼアート駅が道の駅いなかだて付近に設置され、役場前の第1会場と第2会場を結ぶシャトルワゴン車の運行が開始される。
田んぼアートのRice Codeがカンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバルで2部門の金賞を獲得し、他に五つの賞を受賞する。

田舎館村における年度作品テーマ
2003年 – レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』
2004年 – 棟方志功『釈迦十大弟子羅ご羅の柵』と『山神妃の柵』
2005年 – 東洲斎写楽『二代大谷鬼次の奴江戸兵衛』、喜多川歌麿『歌撰恋之部・深く忍恋』
2006年 – 俵屋宗達『風神雷神図屏風』
2007年 – 葛飾北斎『富嶽三十六景』の『神奈川沖浪裏』と『凱風快晴』
2008年 – 恵比寿様、大黒様
2009年 – 戦国武将、ナポレオン・ボナパルト
2010年 – 弁慶と牛若丸、『五条大橋での戦い』
2011年 – 『竹取物語』
2012年
第1会場(田舎館村役場庁舎東側の田んぼ):悲母観音と不動明王
第2会場(道の駅いなかだて、弥生の里):七福神、マジンガーZ
2013年
第1会場(田舎館村役場庁舎東側の田んぼ):花魁とハリウッドスター(マリリン・モンロー)
第2会場(道の駅いなかだて、弥生の里):ウルトラマン
2014年
第1会場(田舎館村役場庁舎東側の田んぼ):富士山と羽衣伝説(図案)
第2会場(道の駅いなかだて、弥生の里):サザエさん
2015年
第1会場(田舎館村役場庁舎東側の田んぼ):風と共に去りぬ
第2会場(道の駅いなかだて、弥生の里):スター・ウォーズ/フォースの覚醒

日本各地の開催地
北海道旭川市東鷹栖
北海道上川郡鷹栖町
青森県南津軽郡田舎館村
秋田県秋田内陸縦貫鉄道沿線
山形県米沢市
福島県鏡石町
新潟県新潟市北区(福島潟)
埼玉県行田市
群馬県川場村
福井県越前町
富山県砺波市
京都府宇治市
京都府船井郡京丹波町
愛知県安城市、西尾市
兵庫県姫路市夢前町
香川県善通寺市
岡山県津山市
鹿児島県南九州市

シュパイヒャーシュタット、コントルハウス地区およびチリハウス (ドイツ )

港湾都市ハンブルクは、中世ハンザ同盟時代の商都である。以来、世界中の国々からさまざまな品物がこの町へ運び込まれ、ロッテルダム、アントワープに続くヨーロッパ第3位の港であった。エルベ川沿いの「倉庫街」を意味するシュパイヒャーシュタットは、19世末から20世紀初頭にかけて、免税地区として建設され、高々と並ぶ倉庫、広々としたプロムナードと、ハンブルクのお洒落エリアの1つでもある。

複合型倉庫と商業地区は道路、運河、橋梁などで繋がり、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世時代のゴシック建築の典型であるタレットや、先のとがった切妻屋根で装飾される。2015年、ドイツのボンで開催された第39回世界遺産委員会において、ドイツのれんがによる表現主義において最も重要な芸術的、建築的な功績として、新規登録が認められた。広大な敷地には赤レンガ倉庫が立ち並び、15の巨大な倉庫のブロックと6つの関連する建造物・水路のネットワークで構成される。


19世紀後半から20世紀初頭にかけて、国際貿易が急速に拡大したことの影響を今に伝える。運河沿いを散策すれば、絵になる雰囲気と歴史的建築物を楽しめる。
倉庫には現在もカカオやコーヒー、お茶、ペルシャ絨毯など世界中の商品が保管される。

2015年、ドイツのボンで開催された第39回世界遺産委員会において、ドイツのれんがによる表現主義において最も重要な芸術的、建築的な功績として、新規登録が認められた。

広大な敷地には赤レンガ倉庫が立ち並び、15の巨大な倉庫のブロックと6つの関連する建造物・水路のネットワークで構成される。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、国際貿易が急速に拡大したことの影響を今に伝える。

運河沿いを散策すれば、絵になる雰囲気と歴史的建築物を楽しめる。
倉庫には現在もカカオやコーヒー、お茶、ペルシャ絨毯など世界中の商品が保管される。

スペイン「ルーゴのローマ城壁」

スペイン北西部の都市ルーゴ(Lugo)は、山で囲まれた盆地で近くをミーニョ川が流れる。ガリシア州ルーゴ県の県都で、州では第4位の人口を有する。旧市街を取り囲むローマ時代の市壁は、ローマ時代の市壁としては保存状態が良好で、欠けることなく街を360度取り囲んでいる。市壁の高さは10メートルから15メートル、長さは2.5km、71の塔を持つ。


2000年に「ルーゴのローマ城壁」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。ルーゴは紀元前26年から12年にかけて、アウグストゥスの軍団長によって建設され、「ルクス・アウグスティ」と名付けられた。カンタブリアとの戦争による駐屯地の跡に建てられたもので、アウグストゥス時代の拡張政策の産物都市である。


のちに、イベリア半島北西部のローマ属州ガラエキアの3つの都の1つとなった。紀元3世紀終わりから4世紀始め、ローマ帝国後期に市壁が建設されたが、ローマ時代以降は無人となり中世初期に住んでいたのは聖職者だけだったという説もある。

The Roman Walls of Lugo

1129年、ロマネスク様式のカテドラルの建設が始まり、中世後期には、サンティアゴ・デ・コンポステーラのように巡礼の中心地となった。

この地域には、モンドニェードやリバデオのように産業が盛んな都市はほかにもあったが1833年、現行の県制度が導入されてルーゴ県ができ、ルーゴが県都となる。

ダンブッラの黄金寺院(スリランカ)

スリランカのダンブッラは、コロンボの148キロメートル東方、キャンディの72キロメートル北方で、セイロン島のほぼ中央部に位置する。1991年にUNESCOの世界遺産に登録されたダンブッラの黄金寺院、幹が鉄のように固く密度が高い重い樹木のセイロンテツボクの森林があることでも知られる。

また、この地域は南アジアで最大の紅水晶の鉱山がある。ダンブッラの黄金寺院は保存状態が良く、黄金寺院の周辺には確認されているだけで80以上の洞窟がある。ダンブッラの黄金寺院の歴史は紀元前3世紀にまで遡り、当時は最大規模でかつ最も重要な僧院として機能していた。

紀元前1世紀、王ワッタガーマニー・アバヤ(シンハラ朝第19代国王、在位紀元前89年から紀元前77年)により、僧院は寺院へ転換された。彼は、タミル人によりアヌラーダプラから追放されたがダンブッラで保護され、15年後に再び、アヌラーダプラに帰還した。感謝の念を持って僧院は寺院へと発展を遂げ、多くの増築が施された。

ポロンナルワの王統で最後の王であるニッサンカ・マッラ(在位1187年-1196年)は、寺院を金箔で飾り、1190年には70対の仏像を寺院に納めている。

18世紀には、キャンディ王国により石窟寺院の修復作業が行われた。

石窟寺院は5つの石窟によって構成され、高さ150メートルの岩山の中腹に建設された石窟はアヌラーダプラ時代(紀元前1世紀-993年)、ポロンナルワ時代(1073年-1250年)に大部分が建設された。

第1窟
高さ14メートルの釈迦の石造が安置され”Devaraja lena”とも呼ばれる「聖王の石窟」で、壁画は何度も修復作業が施され、最新の修復作業は20世紀に行われている。

第2窟
黄金寺院の規模では最大規模の石窟であり、別名「マハラジャの石窟」とも呼ばれる。
ヒンドゥーの神であるサーマン、ヴィシュヌの心臓、16体の釈迦の立像、40の釈迦の坐像が安置されている。
聖像には紀元前1世紀の王ワッタガーマニー・アバヤと12世紀の王であるニッサンカ・マッラが施した装飾が残っている。
面積2,100平方メートルに及ぶ天井画が施され、釈迦によるマーラへの説法やスリランカの歴史に関係のある内容が描かれている。

第3窟
「新僧院」とも呼ばれる石窟寺院で、キャンディ王国時代に描かれた天井画と壁画が残る。50の仏像と1体の王の像が安置されている。

第4窟・第5窟
上記の3つの石窟寺院と比較した場合、規模も小さくまた、質もそれほど高くない。

エフェソス (トルコ)

トルコ西部の小アジアの古代都市エフェソスは、イズミル県のセルチュク近郊に位置し、古典ギリシア語読みではエペソス、エフェソ、エペソとも表記され現在はトルコ語でエフェス(Efes)とも呼ばれる。

古典期のエフェソスはアルテミス崇拝で王政が敷かれ、哲学者ヘラクレイトスはこの町の出身である。紀元前356年、アルテミス神殿に放火すれば後世に名が残ると考えて実行した者により神殿は完全に焼尽したがアルテミス神殿は再建された。古典古代の世界の七不思議の一つに数えられる。

古典古代の七不思議は、ギザの大ピラミッド、バビロンの空中庭園、
エフェソスのアルテミス神殿、オリンピアのゼウス像、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟、ロドス島の巨像、アレクサンドリアの大灯台、と言われることもある。

エフェソスはヘレニズム都市として栄え、紀元前2世紀に共和制ローマの支配下に入り小アジアの西半分を占めるアシア属州の首府で東地中海交易の中心であり、マルクス・アントニウスがプトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラ7世と共に滞在した地でもある。

現在残るアルテミス神殿の遺構はローマ時代に建てられたもので巨大な図書館と劇場を備え、劇場は5万人が収容される。

当初はアルテミス崇拝で知られたギリシア人都市エフェソスは、その後キリスト教を受容し、新約聖書にはエフェソスの教会にあてた書簡
エフェソの信徒への手紙がある。
イエスの母マリアも、使徒ヨハネとともにエフェソスで余生を送ったと伝えられる。

現在のエフェソスはトルコの小村アヤソルクの一部で、アルテミス神殿の遺跡、マリアが晩年を過ごしたといわれる地に建てられた礼拝堂『聖母マリアの家』、聖ヨハネ教会、考古学博物館などがあるトルコの重要な観光地の1つである。
『聖母マリアの家』には、バチカンからの代表者が毎年参拝するほか、歴代のローマ教皇も訪問している。

城ヶ崎海岸

約4,000年前、大室山の噴火で溶岩が流れ出し、海水の侵食作用で削られ、約9kmにわたる雄大で出入りの激しい城ヶ崎海岸ができた。海岸線には絶壁が連なり、深く入り組んだ岩礁が岬から岬へと続く。富士箱根伊豆国立公園に指定されている。

地元の漁師がつけたと言う「もずかね」「しんのり」などのユニークな名前の岬、紀州公ゆかりのぼら納屋、四季を通じて花が咲く伊豆海洋公園、日蓮上人ゆかりの蓮着寺、水原秋桜子句碑など自然と歴史文化をめぐる見どころが多い。

門脇崎灯台は、昭和35年3月に建設され、平成7年5月に展望台付きの灯台に改築された。展望台からは、遠く伊豆七島や天城連山の峰々を望むことができる。門脇灯台を中心に全長9kmのハイキングコースがある。

半四郎落しと門脇岬の間の海蝕洞にある門脇崎の海の吊り橋は、長さ48m、高さ23m、断崖絶壁のスリルを味わうことができる。ピクニカルコースの起点ぼら納屋は、ぼら漁の根拠地。ぼら回遊の春と秋には漁師が住みこみ、ホラ貝や旗を合図に出漁し、取ったぼらを江戸城に献上したという。ぼら納屋を起点として、門脇吊橋を経由、伊豆海洋公園までの全長約3km。

のんびり歩いて約90分の城ヶ崎ピクニカルコースには、幕末頃の砲台跡、城ヶ崎ブルース歌碑、門脇吊橋などの見所がある。自然が造成した景観を満喫できる約6kmの自然研究路は、蓮着寺より八幡野までの全長6kmのコースで、ゆっくり歩いて3時間。

切り立った絶壁、柱状節理の岩壁、流れ出た熔岩の岬、波に浮かぶ伊豆七島、這松の林、植物の群落と大自然を満喫できる。鎌倉幕府により伊豆に流された日蓮上人は、日蓮岬の沖にある俎岩に置き去りにされたと伝えられ、後に小田原北条氏の今村若狭守が、ゆかりにちなんで祖師堂を建て、付近の土地七十町歩を寄進したのが蓮着寺の始まりと伝えられる。広大な寺の境内の美しい自然林の中には上人ゆかりの「袈裟かけの松」や「石食いのモチの木」などがある。

彦根城

江戸時代初期、彦根市金亀町にある彦根山に、鎮西を担う井伊氏の拠点として置かれた平山城(標高50m)、山は「金亀山(こんきやま)」との異名を持つため、城は金亀城(こんきじょう)ともいう。

多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城であった。1604年、家康の命を受け井伊直継が築城を始めた彦根城は見た目の美しさはもとより、城の内部にも知られざる工夫が凝らされている。築城にあたっては、工期の短縮、建築費の節約のため、近隣の長浜城、大津城の建材が使用された。

天守の柱や梁には別の建物で使われていたことがわかるホゾ穴の跡など随所に見ることができる。天守最上・3階の「隠し部屋」(破風の間)は、引き戸の高さは30cmで幅は100cmほどだが、内部は3畳ほどで床下にもスペースがある。板で塞がれた狭間が2つあり、緊急時には板を打ち破って銃で攻撃することができた。その他、天守に点在する狭間はすべて同様の仕様で、屋外からは存在がわからない。

明治時代、廃城令に伴う破却を免れ天守が現存する。一説によると、大隈重信の上奏により1878年(明治11年)に建物が保存されることとなったのだと云われる。

天守と附櫓及び多聞櫓の2棟が国宝に指定され、安土桃山時代から江戸時代の櫓・門など5棟が現存し、国の重要文化財に指定される。馬屋は重要文化財指定物件として全国的に稀少である。

伊勢神宮

「伊勢神宮」とは通称で正式名称は地名の付かない「神宮」、他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり神社本庁の本宗である。古代においては皇室が先祖に対して祭祀を行う二つの廟が伊勢の神宮と石清水八幡宮で二所宗廟と呼ばれる。

しかし、古代は石清水八幡宮ではなく宇佐神宮だったとも言われ、石清水八幡宮に変更になったのは中世から、との説もある。江戸時代の学者・貝原益軒『筑前国続風土記』に、「四所の宗廟とは、東に伊勢、西に香推、南に石清水、北に氣飯」とあり四所宗廟という言い方もあるが謎も多い、京を中心として、皇室とゆかりのある神社を東西南北で比定したものと考えられている。

伊勢神宮には、太陽を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と
衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮、豊受大神宮は外宮と呼ばれる。

神宮が所有している森林は「神宮宮域林」と言われ、五十鈴川の水源である神路山、島路山、高倉山の3山からなり約5500ヘクタール。

佐八苗圃では神宮の祭事に使用する榊などをそだて、1.7ヘクタールに約2万の榊が栽培される。「伊勢神宮は、参拝した日が誰でも吉日であるから」、「伊勢神宮では個人的な吉凶を占うことがはばかられるから」という説があり伊勢神宮にはおみくじがない。内宮前のおかげ横丁では、犬の置物とセットになった「おかげ犬」のおみくじ、「おかげ干支みくじ」が売られ、第三銀行おかげ横丁出張所では利用明細票に運勢を表示するおみくじ機能付き現金自動預払機(ATM)が設置されている。

玄宮楽々園

国の特別史跡「彦根城跡」の区域内にある旧大名庭園で、隣接する楽々園とともに「玄宮楽々園」として国の名勝に指定されている。

江戸時代初期、延宝6年(1678年)、彦根藩4代藩主井伊直興が整備したと伝わるが原形となる庭園が造営された時期や規模は明確ではない。江戸時代後期の文化10年(1813年)に、第11代藩主井伊直中の隠居屋敷として再整備され、今日に近い形に整えられたといわれる。

江戸時代の大名屋敷には「地震御殿」や「地震の間」と呼ばれる耐震建築があり、この楽々園の裏手には石を積み上げた高台の上に平屋建ての茶室風の建物の地震の間がある。中国湖南省の洞庭湖にある玄宗皇帝の離宮庭園を参考にして「瀟湘八景」を「近江八景」に置き換えて作庭されたと伝わる。

天守を借景として、中心の入り組んだ池には4つの島と9つの橋が架かり、畔には臨池閣、鳳翔台、八景亭などの建物がある。

夢京橋(彦根)&小樽 〜近江商人

その昔近江国では、六角氏が衰退し、浅井氏の滅亡後多くの両氏一族、遺臣が帰農したり、あるいは商人へと転じていった。岡田家も元武士の家柄とされる。岡田弥三右衛門は、江戸時代初期、永禄、承応の頃に蝦夷地に進出した近江商人、岡田八十次家の初代である。

岡田家の当主は、代々八十次と称し弥三右衛門を初代の八十次とする記述もあるようだが、初代の名乗りは弥三右衛門が正しく、八十次を称したのは7代目以後とされているようだ。岡田弥三右衛門は当初安土城下で商売を営んでいたが、本能寺の変後安土城も落城し、豊臣秀次による八幡城築城を契機に八幡城下爲心町に新たに店を設けた。

その後八幡城の廃城後、町が衰退すると呉服太物を抱えて奥州に行商を始め八戸を拠点として蓄財をなしたと云われる。やがて松前藩家臣の助力を受け松前に進出し呉服・太物・荒物を販売する店を開き、屋号を「恵比須屋」とする。

松前藩の信任を受け、千石船で海産物を日本海を経由し、出羽から北陸、上方へと運んだり、蝦夷地における漁場経営や物資の調達を請け負ったりして御用商人として活躍する。子孫も事業を引き続き蝦夷地における近江商人の中心的存在として活動し、両浜町人の代表的商家の一つとなる。

岡田家第10代の時には小樽内・古平・礼文・利尻など23ケ所で場所請負を行った。明治4年に小樽(旧・小樽内)に支店を移し、12代目・13代目が北海道の開発事業に参加し、小樽の町の基盤整備を行った。北海道で炭礦や農場を経営したり、九州地方でも事業展開を見せたが、当時としては時代よりも進み過ぎた事業も多かったようで、やがて経営が悪化して明治34年、13代で破産を余儀なくされた。