社伝によると雄略天皇の御代の創建と伝えられ、古代には社殿背後の多度山を神体山としていた。
延喜式神名帳では名神大社に列し伊勢国二宮として崇敬され、平安後期には伊勢平氏により崇敬され軍神としても信仰された。
天津彦根命(天照大神の第3子)を主祭神とし、天津彦根命が天照大神の御子神であること、また伊勢参詣のための街道沿いにあることから伊勢神宮との関係が深い。
「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」とも詠われ、俗に北伊勢大神宮・多度大神宮などとも云われる。
763年(天平宝字7年)、僧・万願によって神宮寺が創建。
863年(貞観3年)、神階が正二位に累進、中世には国司・北畠氏が保護。
1571年(元亀2年)、織田信長の長島一向一揆平定の際に兵火により焼失。
1605年(慶長10年)、桑名藩主・本多忠勝により再建。
1873年(明治6年)、県社に列格。
1915年(大正4年)、国幣大社に昇格。
5月4日・5日には南北朝の頃より始まる、上げ馬神事が行われる。
周辺6地区多度・小山・戸津・北猪飼・猪飼・力尾より選ばれた若者が騎手となり、境内の急坂・2mほどの絶壁を駆け上る。4日は陣笠裃姿。5日は花笠武者姿。
11月23日は参道に設けられた馬場に3か所の的を設置し騎手が順次射落とす流鏑馬祭がある。
トリーハ (哀歌)・・・多度大社