銀閣寺は金閣寺と並び楼閣建築様式で正式名称は慈照寺。室町幕府8代将軍の足利義政が祖父である足利義満が建てた北山山荘(金閣寺)を参考に造営した室町期、東山文化を代表する楼閣庭園建築。銀閣、東求堂は国宝指定、絹本著色春屋妙葩は重要文化財指定、庭園は特別史跡、特別名勝に指定され、1994年、世界遺産に登録される。
義政は建築を始めた翌年(1483年)には、この地に移り住み、別荘としてだけでなく表向きの仕事にも使っていたと言う。当初、会所、常御所などの大規模な建物が建ち並んでいたが、現存するのは銀閣と東求堂のみ。
義政は東山山荘の完成を待たず1490年1月に死去する。この義政の菩提を弔うため東山殿は寺に改められ、相国寺の末寺として慈照寺が創建され、開山は夢窓疎石。戦国末期に前関白の近衛前久の別荘にもなったが、前久の死後再び相国寺の末寺となる。
銀閣の建物構造は、1層(初層)「心空殿」といわれる住宅風様式で、上層は「潮音閣」といわれる禅宗様(唐様)の仏堂、こけら葺の屋根には金銅の鳳凰が羽ばたく。銀閣(観音殿)前には、西芳寺(通称、苔寺)の庭園を模した錦鏡池を中心にする池泉回遊式庭園が形作られているが、現在の庭園は江戸時代に改修されたもので創建当時とは異なる。本堂前には、砂を波形に盛り上げた銀沙灘、円錐型の向月台の上に座って東山に昇る月を眺めたと言われるが、江戸後期に現在のような形になった。