トロッコ列車や保津川下りで有名な保津峡から北へ約4キロ、愛宕山の麓へと分け入ったところに水尾地域はある。かつては、「水ノ尾」とも「水雄」とも云われ、「きれいな水が沸くところ」という意味を持つ山紫水明の地でもある。
『続日本記』には、772年(奈良時代)「光仁帝が、山城国水雄の岡に行幸された」と記され、また785年には「桓武天皇が、水雄岡に行幸し遊猟された」とある。『宇津保物語』にも源少将仲頼が、水尾山に隠遁したことが詳しく記述されている。山城と丹波の両国を結ぶ要所に当り早くから開け、東の八瀬・大原に対して、西の清浄幽すい境として、大宮人にもよく知られていた。
- 丹波から都へのぼる道は、南の「老ノ坂峠」と「水尾」を通る道しかなく、繁盛し戸数も百戸をこえ、人口も千人に近い時代もあった。しかし1679年(江戸前期)、1835年(江戸後期)との二度にわたる大火により戸数も減少した。
豊かな自然に恵まれ、今も昔の面影を残しながら伝統を守り続けている。
水尾は日本の柚子の発祥の地であり、花園天皇がこの地に植えたとの説がある。
寒冷の地で育つため、香り高く、いにしえより都の人々に珍重され、江戸時代には、「水尾の柚子」として産地を形成した。
良質な柚子は和食のみならず、洋菓子への積極的な活用の動きも見られ、『日本の柚子発祥の地』を守ろうという輪が広がりつつある。
新鮮な柚子を使った「柚子風呂」は、古くは清和天皇も好んだとされ
水尾の風物詩となっている。
毎年12月ごろには各家の軒先で柚子が箱にあふれんばかりに収穫される。
柚子風呂と鳥すき又は鳥の水炊きを民家で楽しむことができ、山里風景を求めた観光客が訪れる。
水尾の地をこよなく愛し、後の世に「水尾天皇」とも呼ばれた「第56代清和天皇」(850年~880年)ゆかりの地でもある。
清和天皇陵は水尾集落から少し離れた山の中腹にひっそりとたたずむ。
清和天皇は出家後に修行のために、山城、大和、摂津などの寺院をまわり、帰路、水尾山寺に立ち寄った際にこの地の景観を気に入り、この水尾を終焉の地と定めたと言い伝えられている。
現在廃校となっている水尾小学校の校庭を横切って進むと杉やヒノキの木立の中に清和天皇社はある。
里の氏神で、毎年5月3日には清和天皇社例大祭が古式ゆかしく執り行われる。
水尾では、秋の七草の一つであるフジバカマを原種にこだわり地域の方々と有志のボランティアで大切に育てている。
毎年9月下旬には、地域主催でフジバカマ鑑賞会が行われ、晩秋の「水尾柚子」と並ぶ新たな風物詩として定着している。
このフジバカマを求め、たくさんのアサギマダラ(長距離を移動する渡り蝶)が飛来し、自然豊かな水尾に幻想的な風景が広がるという。
交通アクセス
JR山陰本線(嵯峨野線)「保津峡駅」下車4キロ徒歩約1時間
JR保津峡駅と水尾間 自治会バスが運行
バス時刻表 所要時間約15分
JR保津峡駅発 8:05 9:10 14:45 16:05 18:00
水 尾 発 7:35 8:50 14:25 15:50 17:45
料金:片道 大人250円、小人150円
毎週木曜日運休 祝祭日・年末年始・お盆運休
千日参り及びフジバカマ鑑賞会期間中は臨時バスを増便