夙川(西宮)と山崎川(名古屋)

夙川

六甲山地の東端のゴロゴロ岳を水源とし、兵庫県南東部を流れ、西宮市南西部を南流し大阪湾に注ぐ。河川敷沿いにある「夙川河川敷緑地」は、松と桜の並木が続き、阪神間有数の景勝地として有名で、全長約4km、総面積約20.8haにわたって整備される。桜は約2.7kmにわたり約1660本植えられ、毎年桜の名所として多くの花見客が訪れる。

  • 桜は約2.7kmにわたり約1660本植えられ、毎年桜の名所として多くの花見客が訪れる。

桜の種類は、ソメイヨシノ(約1200本)、ヤマザクラ(約70本)、オオシマザクラ(約110本)、カンザン(約100本)、フゲンゾウほか15種。

1990年(平成2年)「日本さくら名所100選」に選ばれる。

山崎川

名古屋市千種区の平和公園内にある猫ヶ洞池などに源を発し、南西方向の昭和区、瑞穂区、南区へと流れ港区で名古屋港へ注ぐ。千種区池上町から千種区本山付近までの1.16kmは準用河川で昭和50年代初頭に暗渠化された。

  • 鏡池通付近の区間も暗渠化され、川が姿をあらわすのは千種区本山から鏡池通までの稲舟通沿いと田代本通を越えた大島町付近以降。

瑞穂公園のある中流域までの川沿いには広範囲に渉って桜の木が植えられ、「山崎川四季の道」として日本さくら名所100選にも選ばれ市内屈指の桜の名所である。

2013年には名古屋市が公募した「まちなみデザイン20選」にも選定された。

約1万年前の縄文時代には瑞穂陸上競技場付近が河口であったが、海面後退、土砂の堆積によって平安時代には新瑞橋付近が河口になっていたと推定されている。

西暦717年の尾張古図には、星崎のとなりに山崎の地名があり、これが川の名の由来にもなったと考えられる。

現在の河口付近の川筋は安政3年(1856年)の氷室新田の開発に伴って付け替えられた。それまでは現在の国道1号と交差する付近で西に向かい、当時の堀川河口の南(現在の地域医療機能推進機構中京病院付近)で伊勢湾に注いでいた。

文政5年(1822年)に刊行された地誌『郡村徇行記』に以下の記述が見られる。
山崎川 上ニテ川名川ト云、是ハ末森村猫洞七ツ釜大藪池ノ水落来レリ、下ハ紀左衛門新田道徳新田ノ間ニテ海ヘ落ツ。山崎橋長十二間幅三間アリ、大道奉行修造ヲ掌ル。享保十三戌申年、天白川ヲ此山崎川ヘ一旦瀬違有之シカ、十四年ノ間ニ天白川十七度決壊シ、処々砂入ナリシニヨリ、元文六酉年天白川元川ヘモトリ山崎川如今ナレリ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です