京都市右京区、臨済宗妙心寺派の寺院で妙心寺との関係が深い。
本尊は釈迦如来、開基は細川勝元、開山は義天玄承、山号は大雲山と号し石庭で知られ「古都京都の文化財」として世界遺産に登録される。
当時、龍安寺の鏡容池はオシドリの名所として知られ、池を中心とした池泉回遊式庭園の方が今日の「石庭」より有名であった。衣笠山山麓一円は、永観元年(984年)に建立された円融天皇の御願寺である円融寺の境内地であった。円融寺は徐々に衰退し、平安時代末には藤原北家の流れを汲む徳大寺実能が山荘を建立する。
宝徳2年(1450年)、この山荘を室町幕府の管領守護大名である細川勝元が譲り受け、寺地とし初代住職として妙心寺8世(5祖)住持の義天玄承(玄詔)を迎え創建した。創建当初の寺地は現在よりはるかに広く、京福電鉄の線路の辺りまでが境内であったと云われる。龍安寺は応仁の乱(1467-1477年)によって焼失するが、勝元の子の細川政元と4世住持・特芳禅傑によって明応8年(1499年)に再興される。
その後、織田信長、豊臣秀吉らから寺領を付与されている。寛政9年(1797年)の火災で、方丈、仏殿など主要伽藍が焼失し、塔頭の西源院の方丈を移築して龍安寺の方丈(本堂)として現在にいたる。明治初期の廃仏毀釈によって衰退するが、イギリスのエリザベス女王が1975年に日本を公式訪問した際に龍安寺の拝観を希望し、石庭を絶賛し海外のマスコミでも報道され、日本のZEN(禅)ブームと相俟って、世界的にも知られるようになる。
石庭
方丈庭園、「龍安寺の石庭」は幅 25 メートル、奥行 10 メートルほど。
白砂を敷き詰め、東から5個、2個、3個、2個、3個の合わせて15の大小の石を配置する。
これらの石は3種類に大別できる。
各所にある比較的大きな4石はチャートと呼ばれる龍安寺裏山から西山一帯に多い山石の地石。
塀ぎわの細長い石他2石は京都府丹波あたりの山石。
その他の9石は三波川変成帯で見られる緑色片岩。
室町末期(1500年頃)特芳禅傑らの禅僧によって作庭されたと伝えられるが諸説あって定かではない。
この庭の石の配置から、中国の説話(虎、彪を引いて水を渡る)に基づき「虎の子渡しの庭」、あるいは、東から5、2、3、2、3の5群で構成される石組を、5と2で七石、3と2で五石、そして3で三石と、七・五・三の3群とも見られることにより「七五三の庭」とも呼ばれる。
石庭は、どの位置から眺めても必ずどこかの1つの石が見えないように配置されていることでも有名。
襖絵の帰還
明治初期の廃仏毀釈により海外に流出していた方丈襖絵のうち6面が
2010年10月に帰還した。
他に所在の確認されているものは、米国メトロポリタン美術館所蔵の8面(襖4枚の表裏)、シアトル美術館所蔵の4面、イギリス個人所蔵の9面の計21面である。