ローレンス・アルマ=タデマ (ヴィクトリア朝時代の画家)

イギリス、ヴィクトリア朝時代の画家であるローレンス・アルマ=タデマ(Lawrence Alma-Tadema, 1836年1月8日 – 1912年6月25日)は、古代ローマ、古代ギリシア、古代エジプトなどの歴史をテーマにした写実的な絵画を数多く残した。華やかな色彩、繊細で写実的な絵画手法で古代建築物や装飾品、生活や風土などを緻密で正確に描く。国際的な人気を博し、ハリウッド映画の初期歴史映画に多大な影響を与えた。

主な作品
『見晴らしのよい場所』(1895年)
『入らないで』 – (1879年)
『サッフォーとアルカイオス』 – (1881年)
『テピダリウム』 – (1881年)
『クサンテとパオン』 – (1883年)
『アントニーとクレオパトラ』 – (1883年)
『喜ばしい足音』 – (1883年)
『薔薇の中の薔薇』 – (1885年)
『期待』 – (1885年)
『アポディテリウム』 – (1886年)
『アンピッサの女たち』 – (1887年)
『ヘリオガバルスの薔薇』 – (1888年)
『春の約束』 – (1890年)
『春』 – (1894年)
『見晴らしのよい場所』 – (1895年)
『意見のくい違い』 – (1896年)
『カラカラ浴場』 – (1899年)
『カラカラ』 – (1902年)
『銀色のお気に入り』 – (1903年)
『モーゼの発見』 – (1904年)
『お気に入りの習慣』 – (1909年)

『ヘリオガバルスの薔薇』 – (1888年)

『ローマ皇帝群像』で、皇帝ヘリオガバルスが「客人に薔薇の山を落として窒息死させるのを楽しんだ」とする逸話が、作品「ヘリオガバルスの薔薇」のモチーフである。

ヘリオガバルスが宴会に招いた客の上に巨大な幕を張り、幕の上に大量の薔薇の花を載せ、宴会中に幕を切り花を一斉に落とし、客を窒息死させたというが、真偽のほどは明らかでない。

『ローマ皇帝群像』は、後年の4世紀頃に編纂されたとも考えられていて、捏造や創作が多いことでも知られている。

ヘリオガバルス伝においても当然そうした虚偽が含まれていると考えるのが自然である。

しかし、ローマ皇帝ヘリオガバルスについては評判は良くない。
18世紀イギリスの歴史家エドワード・ギボンによると、著書の『ローマ帝国衰亡史』の中では、「醜い欲望と感情に身を委ねた」と記述され、「最悪の暴君」との評価を下している。

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