晴明神社

京都市上京区、一条戻橋のたもと(北西)にあった安倍晴明の屋敷跡に鎮座し、安倍晴明を祀る。1005年に晴明が亡くなると、時の天皇、一条天皇は晴明の遺業を賛えその屋敷跡に晴明を祀る神社を創建した。

当時の境内は、東は堀川通り、西は黒門通り、北は元誓願寺通り、南は中立売通りまであり、かなり広大であったと云う。度重なる戦火、豊臣秀吉の都市整備などで次第に縮小し社殿も荒れたままの状態となった。

幕末以降、氏子らが中心となって社殿・境内の整備が行われ、1950年には堀川通に面するように境内地が拡張された。本殿の北には、晴明井といわれる井戸がある。この井戸は五芒星(晴明紋}を描き、取水口がその星型の頂点の一つにある。

立春には、晴明神社の神職がその晴明井の上部を回転させ、その年の恵方に取水口を向けるのが、慣わしとなっている。ここから湧く水は晴明水と呼ばれ、晴明の陰陽道の霊力により無病息災のご利益があるといわれる。千利休が茶会において、この井戸から汲んだ水を沸かし、茶の湯として利用していたといわれ、豊臣秀吉もその茶を服されたとの伝承がある。

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