ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio、1571年9月28日 – 1610年7月18日)は、バロック期のイタリア人画家で、ルネサンス期の後に登場し、カラヴァッジョ(Caravaggio)という通称で広く知られる。
映像のように人間の姿を写実的に描く手法、光と陰の明暗を明確に分ける表現はバロック絵画の形成に大きな影響を与えた近代写実主義の先駆をなし、レンブラント、ベラスケス、フェルメールら17世紀のほとんどすべての芸術家に大きな影響を与えた。
カラヴァッジョは、父親が宮廷に使えていたため子供の頃は裕福に育ったようだ。父親の死後は遺産を食い潰した後、辛酸をなめながらも絵を描き、それを売ったお金が入ると放蕩三昧の繰り返す。後に枢機卿の庇護を受け宮殿に住まいするようになっても放蕩辟はおさまらない。
当時のキリスト教の支配のあり方が独断的で偏っていた、と感じたのか、あるいは罪もない人が処刑されるのを目の当たりにして苦悶したのか、青年時代にマルタ騎士団の騎士にもらった刀をいつも携え、刃傷事件を何度か起こす。
ある女性の名誉を守るため決闘をして相手を殺すが、絞首刑を逃れるべくローマをあとにした。コロンナ家の庇護のもとにマルタ島に渡る。その才能がマルタ騎士団でも認められ教皇から騎士になることを認可されるが、ここでも問題を起こし、シチリアへさらにはナポリへと逃れることとなる。
コロンナ家をはじめ多くの枢機卿たちが彼の罷免を教皇に嘆願し続ける。それは、彼が人並みはずれた天才だったということ、うそをつけない怯えた少年のイメージを持っていたことによるのかもしれない。ローマに帰るべく船に乗り、ローマの北160キロのエルコレ港にたどり着くも、患っていたマラリア病で熱にうなされながら浜辺をさまよい人知れず なくなった。享年38歳