ルアンパバーン郡、Luang Phabang(Luang Prabang) は、ラオス北部に位置する古都で、タイ語からのローマ字表記が使われていたため、ルアンプラバンあるいはルアンプラバーンとも表記されることがある。
ラオスの首都ビエンチャンからメコン川を約 400 キロメートル上流にさかのぼったカーン川との合流場所に位置し、人口は約 60,000 人。1995年に市街地自体が文化遺産としてユネスコの世界遺産(ルアン・パバンの町)に登録される。
歴史的建造物として、1560年にセーターティラート王によって建てられたワット・シエントーン、1513年に建立されたラオス最古の寺ワット・ウィスナラート、町を一望できるプーシーの丘には1804年にアヌルット王によって建立されたタート・チョムシーと呼ばれる仏塔などがある。町の中心部に位置する旧王宮は、ルアンパバーン国立博物館として利用されている。
略史
古くは「ムアン・スワー(英語版)」と呼ばれた
698年、ムアン・タンに攻められ、初代クーン・ロー王がスワー候国を建国。
11世紀頃よりタイ名「シエンドーンシエントーン と呼ばれる。
1353年にラーンサーン王国の初代ファー・グム王によって首都とされ、ラーンサーン王国の中心として栄え、この時、パバーン仏が贈られた。
1479年8月にベトナム後黎朝の黎聖宗がラーンサーン王国へ親征し、5方向から軍を進め、王都ルアンパバーンを破壊、現在のジャール平原にあたる地域に鎮寧府を設置し、7県を置いて統治する。
1548年にラーンナー王国のセーターティラート王がラーンサーン王国の王にもなり、1551年にエメラルド仏を首都へ運ぶ。
1560年にセーターティラート王がヴィエンチャンに遷都し、シエンドーンシエントーンは「ルアンパバーン」に改称された。パバーン仏とエメラルド仏もヴィエンチャンに移される。
1707年からルアンパバーン王国の首都として栄える。
1777年にトンブリー王朝がヴィエンチャンに侵攻し、シャムの属領とされ、パバーン仏とエメラルド仏を略奪してバンコクへ持ち帰る。
1782年にチャクリー王朝がパバーン仏のみを返還する。
1828年に再びシャムが侵攻して来て、パバーン仏を略奪してバンコクへ持ち帰る。
1867年にパバーン仏が返還される。
1885年にフランスがルアンパバーンに副領事館を開設。
1887年に黒旗軍により壊滅的な打撃を受け、それをきっかけにルアンパバーン王国はフランスの保護を受け入れる。
1905年にフランスによるルアンパバーン王国再編。
1945年3月9日、日本によるラオス進駐が開始される。
1945年8月15日、日本の武装解除を求めた中華民国のラオス進駐開始。
1946年5月13日、フランスがルアンパバーンを占領。
1975年のパテート・ラオによる共産主義革命が起こるまで王宮が置かれ、首都として機能する。
主な観光地
王宮博物館
当時の調度品、贈答品、国のシンボルであるパバーンが保存される。
サッカリン通り
寺院が集中し、早朝には僧侶による托鉢が見られる。
ワット・シェントーン
ルアンパバーンのシンボルにもなっている寺院で16世紀建立。
ワット・マイ
王宮博物館に隣接する大きな寺院。
プーシーの丘
王宮博物館の向かいの小高い丘、300段以上の階段を登りつめれば小さな寺院があり、タート・チョムシーと呼ばれる金色に輝く仏塔が建つ。夜間はライトアップされ、小さな丘の頂上からは町が360度一望できる。
バーン・サーンハイ
メコン川沿いの酒造りの村、壷造りでも有名。
パークウー洞窟
メコン川を27kmほど遡行したところにある洞窟で、約4000体もの新旧入り交ざった仏像が安置される。
クアンシーの滝
市内から約30kmメコン川の下流側にある美しい滝。
ナイトバザール
シーサワンウォン通り入り口付近に毎日18時頃から22時頃開催される市で、飲食の屋台のほか、観光客向けのみやげ物などが多い。