クエンティン・マサイス(蘭: Quentin Massys、1465/66年 – 1530年)はフランドルの画家で、生涯を通じて、主に宗教画、風俗画、肖像画等を多く描き、作風はイタリア・ルネサンスと北方ルネサンスとの融合といえる。
1465年あるいは1466年にルーヴェンで生まれるが、1507年に完全に独立した画家となるまでのマサイスの経歴には不明な点が多い。1491年にアントワープに移り同地の画家組合に親方として登録し大画家としての名声を得る。
宗教改革を経た16世紀ヨーロッパでは、教会の注文が減少する一方で、市井の名もない人々の日常生活を描く世俗的な主題の絵画の需要が増大した。マサイスの風俗画には道徳教訓的な内容がしばしば見られる。人間の不徳、生命の儚さの告発で、マサイスは絵画史におけるこのジャンルの開拓者とみなされる。
代表作『聖なる親族祭壇画』(1507年-1509年)ブリュッセル王立美術館『キリストの哀悼の祭壇画』(1480年-1511年)アンドウェルペン王立美術館『醜女の肖像』(1513年頃)ナショナル・ギャラリー(ロンドン)『聖母子と子羊』(1513年頃)ポズナン国立美術館(英語版) – ダ・ヴィンチの影響が見られる『両替商とその妻』(1514)ルーヴル美術館『エラスムスの肖像』(1517年)バルベリーニ美術館『ペトルス・アエギディウスの肖像』(1517年以降)ロング・フォード(アイルランド)、ラドノール・コレクション『不釣り合いなカップル』(1520年代)ナショナル・ギャラリー(ワシントン)