世界遺産 ・リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔(ポルトガル)

リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔は、16世紀ポルトガルで栄えたマヌエル様式の代表的傑作で、かつての大航海時代とポルトガル海上帝国の栄華の記憶をとどめ、ポルトガルで最初に登録された世界遺産である。その壮麗さは、大航海時代に貿易による巨富を手にしたポルトガルの繁栄ぶりを伝える。付近のモニュメント(1960年)は世界遺産関連文献で一緒に触れられることがしばしばあるが、世界遺産登録対象ではなく、インペリオ広場、ベレン文化センターなどとともに、緩衝地域に含まれている。

ジェロニモス修道院(Monastery of the Hieronymites)
登録面積は2.57 ha、緩衝地域 51.5 ha である。ボイタクに建設を命じたポルトガル王マヌエル1世の目的は、エンリケ航海王子の業績を称揚する意図などが込められていた。ボイタクが指揮を執ったのは1516年までで、それを引き継いだのはジョアン・デ・カスティーリョである。繊細な彫刻に飾られた回廊や、彫像で飾られた南門柱廊を備えた修道院付属のサンタ・マリア聖堂などの評価が高い。

ベレンの塔(Tower of Belem)世界遺産登録面積は 0.09 ha、緩衝地域は 51.5 ha である。正式名は「サン・ヴィセンテの塔」で、建造は1515年から1521年、指揮したのはフランシスコ・デ・アルダであった。ジェロニモス修道院と同じく、建設を命じたのはマヌエル1世である。ヴァスコ・ダ・ガマの業績をたたえる目的をこめた灯台だが、テージョ川河口を見張る要塞としての機能も備えていた。当時のリスボンでは、英国やオランダの海賊に対する備えが必要だったのである。1755年にリスボンを襲った大地震では多くの建物が被災したが、ジェロニモス修道院とベレンの塔があるベレン地区は難を逃れ、さして損壊を被らなかった。ただし、その地震で川の流れが変わったことで、ベレンの塔は中洲から川岸へと、位置関係を変えた。航海に関する事物をモチーフとした装飾があしらわれたマヌエル様式建築の傑作のひとつで、作家司馬遼太郎はその優雅さを「テージョ川の貴婦人」と評した。

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