世界遺産・バース市街(イギリス)

バースは、ロンドンの西140km、行政区分としては、単一自治体のバース・アンド・ノース・イースト・サマセットの地区でユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された物件でもある。人口は9万人程度で、紀元前からの温泉場として有名で、一説には、ケルト人が発見したと言われる。その地名が、英語のbath(風呂)の語源となったというのは俗説で、正しくは風呂を意味するゲルマン古語からその名がつけられたという。

1世紀頃、ローマ帝国の支配下で、保養地として繁栄し、ローマ式の大浴場や神殿が建築された。ローマが撤退すると一時的に荒廃したが、18世紀にアン女王がこの地を訪れ、温泉保養地として復活させた。以来、バースは富裕層の社交場となり、ロンドンの賭博師、リチャード・ナッシュは1704年にバースで財を築き、儀典長の地位を得てバースの社交界をリードする存在となった。

ナッシュは、バースの市街をあらゆる階層の人々が集う優美な場所に変えようと、裕福な事業家で啓蒙主義者であるラルフ・アレンの後援を受け、温泉地の景観を変える大規模な建築事業を開始した。

事業は建築家ジョン・ウッドの手により開始された。

1727年より、ウッドは当時イギリスで流行していたパッラーディオ主義に従って住宅地プライアー・パークを建設。

また、1729年から1736年にかけて、街の北西にクイーンズ・スクエアと呼ばれる建物に囲まれた広場を建設。

1754年よりザ・サーカスと呼ばれる円形の広場の建築が開始され、ウッドの息子に受け継がれて1774年に完成。

また、半月状の集合住宅地、ロイヤル・クレセントも同時期に完成している。

その後も、ジョン・パーマー、ジョン・エヴェリー、トーマス・ボールドウィンらがジョージアン様式の建築物で街を変貌させていった。

19世紀に街の繁栄は衰えて町並みは荒廃してしまったが、1987年に世界遺産に認定され、改修によってかつての保養地の姿を取り戻している。

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