パームビーチ (フロリダ州)

パームビーチ(Palm Beach)は、アメリカ合衆国フロリダ州南東部に位置する町。マイアミの北約100km、ウェストパームビーチとワース湖(Lake Worth)を隔てた砂洲の上に位置する。町の名が示す通りパームツリーの並木道で、通りの両側には豪邸・別荘が建ち並ぶ。

常住人口は10,468人(2000年国勢調査)だが、季節限定の「住民」を含めるとその3倍、30,000人に上ると推計されている。2004年の推計では、常住人口は9,860人であった。ウェストパームビーチが南フロリダ大都市圏の北端をなす商工業都市であるのに対し、このパームビーチは富裕層の別荘地・リゾート地としての性格を持っている。

住民の平均所得は高く、人口1人あたり100,000ドルを超える。
2003年、ロブ・レポート誌(Robb Report)はパームビーチを「全米で最も住みやすい都市」に選んだ。1878年、ハバナからバルセロナへココナッツを運んでいたスペインの船が難破し、この砂洲にたどり着いた。期せずしてこの砂洲への最初の入植者となったスペイン人たちは、船の名前を取ってこの砂洲をプロビデンシア(Providencia)と名付け、商業的なココナッツ栽培の拠点とするべく、この熱帯の砂洲にココナッツを植え始めた。

やがてフロリダの鉄道王ヘンリー・フラッグラー(Henry Flagler)がこの地に目をつけ、この砂洲の土地を次々と購入していった。フラッグラーはこの地をリゾートとして開発すべく、まずフロリダ東海岸鉄道(Florida East Coast Railway)を引いて交通の便を整えた。そして、ロイヤル・ポインセチア・ホテル(Royal Poinciana Hotel)とブレイカーズ・ホテル(Breakers Hotel)という2軒の高級ホテルを建てた。

対岸にはその2軒のホテルの従業員が住むための町としてウェストパームビーチを建設した。本土側のウェストパームビーチは、1920年代の建設ブームによって商工業都市へと発展していった。1902年には、フラッグラーはパームビーチにホワイトホール(Whitehall)という自らの邸宅を建てた。

1911年4月17日、パームビーチは正式な町になった。1929年、ガーデン・クラブ・オブ・パーム・ビーチ(Garden Club of Palm Beach)が町に加わり、正式に都市計画の後援団体となった。その後現在に至るまで、パームビーチは戦略的かつ包括的な都市計画のもとに、都市の質と美観を保っている。

アメリカ合衆国統計局によると、パームビーチ町は総面積27.0km²(10.4mi²)である。このうち10.2km²(3.9mi²)が陸地で16.9km²(6.5mi²)が水域である。総面積の62.45%が水域となっている。フロリダ州の大西洋岸のビーチリゾートを結ぶ州道A1Aがパームビーチの中心部を南北に貫き、町の中心部は砂洲の一番広い部分につくられ、道路が碁盤の目のように整然と区画されている。

オーシャン大通り(Ocean Boulevard)には富裕層やセレブリティの豪邸や別荘が建ち並び、大西洋のビーチのほとんどはこれらの邸宅・別荘のプライベート・ビーチ(私有地)である。ワース通り(Worth Avenue)は「南のロデオ・ドライブ」と呼ばれ、高級ショップが並ぶ。また、町の北と南に2ヶ所のカントリークラブがある。

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