墨俣城 吊り雛

木下藤吉郎、のちの羽柴秀吉・豊臣秀吉が出世するきっかけになったと伝わる「墨俣城」は、長良川西岸にある洲股(墨俣)にある。もともと、川の中洲に斎藤利為らが築いた洲股要害として機能していた。尾張から美濃へ侵攻する重要拠点で、度々合戦になっていと言う。

1561年には、美濃斎藤勢の要害を織田信長は攻略し「洲俣要害」を改修して在陣したと信長公記に見られる。織田信長の命で、洲股砦城の建設が命ぜられるも、佐久間信盛、柴田勝家も失敗し、木下藤吉郎(豊臣秀吉)が「7日のうちに完成させます」と言上し、美濃勢を伏兵奇計で撃退しながら、砦城の建造準備を行い、1562年6月中旬頃、雨で戦闘が中断している中、上流から流した材木を組み立て、一夜にして墨俣城を完成させたと言う逸話がある。

これらの伝説は、1959年に愛知県江南市にて発見された前野家古文書をもとにした内容ですが、議論は分かれ、豊臣秀吉に協力して墨俣城を築いたとされる蜂須賀小六の史料にも一夜城の記述は見あたらない。一夜城の逸話は江戸時代に作られた創作であるとする説もある。

大垣市 いき粋墨俣 つりびな小町めぐり2017

墨俣宿は、古く室町時代まで、鎌倉街道(京都~鎌倉)の宿場町であり、江戸時代には、美濃路の宿場町として栄えた。

美濃路墨俣宿一帯の寺院や店舗等32か所に雛飾りや吊り雛を飾り、スタンプラリーや写真コンテストが行われる。

脇本陣
江戸時代からの宿場町の面影を残す築100余年の脇本陣は、現在、和雑貨のギャラリーを兼ねた地元名産品ショップになっている。

光受寺

墨俣一夜城の近くにある光受寺の境内には、鮮やかな白・紅・桃色のしだれ梅15本が植えられ、紅白のしだれ梅も一緒に楽しむことができる。

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