ペルーの世界遺産 クスコ市街

クスコ (Cusco;Qusqu) は、ペルーの南東、アンデス山脈中の標高3,400mにある。クスコとは、ケチュア語 (Quechua) で「へそ」を意味し、かつてのインカ帝国の首都であった。黄金郷「太陽の神殿」を土台にした教会と、石と石の間に紙一枚入らない石垣が有名である。

キルケ文化

インカ人が移住して来る前、900年から1200年にかけてキルケ人がこの地域を支配した。

1200年代以降にインカ人勢力がここを占拠した。古代の寺院、道路、導水設備の遺跡がサクサイウアマンで発見され、発掘調査の結果、寺院が要塞の脇で発見された。

要塞には軍事的な機能だけでなく、宗教的な機能があったことが示された。

インカ時代

1200年代から1532年までの間、クスコはインカ帝国の首都であった。

町はUrinとHananの2街区に分かれ、それぞれが更に2つに分けられていた。4つの街区は、北西のChinchasuyu、北東のAntisuyu、南西のQontisuyu、南東のCollasuyuであった。

道路はそれぞれの街区から、対応する帝国の州邦(suyu、スウユ)に伸びていた。

それぞれの州邦の指導者は対応する街区に家を建て、毎年、一定期間クスコに住まなければならなかった。

スペイン人による征服

1533年11月15日、最初のスペイン人がクスコに到着した。
征服者のフランシスコ・ピサロの到着は、1534年3月23日であった。

植民地化の結果は都市の建築を通してみえ、建造物は重厚な文化が融合していた。

インカ人がキルケ構造の上に建造物を建てたように、スペイン人はインカ人によって建てられた巨大な石の上に建造物を建てた。

スペインの建物は、インカによって建設された巨大な石の壁の上に作られている。

これらインカ時代の石積みは、石と石の間に「カミソリの刃一枚通さない」と言われる巧緻さである。

周囲にはサクサイワマン遺跡やケンコー遺跡など、数多くの遺跡が点在する。

クスコはアンデス地域において、スペイン植民地とキリスト教布教の中心であった。

農業、牧畜、鉱山やスペインとの貿易により、クスコは繁栄した。

Vals (SERIE AMERICANA Hector Ayala) 〜 ペルーの世界遺産 クスコ市街

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