2018年5月3日(木)刈谷 大名行列 奴のねり 山車祭

江戸時代の華麗な歴史絵巻を繰り広げる「刈谷大名行列・山車祭」(刈谷春祭保存継承委員会・刈谷市観光協会主催)が5月3日、刈谷市中心部で3年ぶりに開催された。殿様やお姫様、奴などにふんした総勢約500人がにぎやかに練り歩き、豪華絢爛な2台の山車が引き回される。

刈谷の大名行列は、江戸時代中期ごろから始まったとされる伝統行事で、もとは司町の市原稲荷神社の祭礼として行われた。十万石の格式を持つ秋田出来守という架空の殿様が、神社の神輿を警護する形を表現している。大名行列は寺横町の正覚寺を出発し、行列奉行や奴、少年武者などが約5㌔のコースを歩き、市原稲荷神社に到着する。

一般公募によるメインキャストの殿様はきらびやかなかごに乗り、於大の方(徳川家康の生母)・於富の方(於大の母)・於上の方(於大の姉)の女性列3人の役は花車で行進する。奴が足をひねり上げるような独特な所作を見せる「奴のねり」(市指定無形民俗文化財)は東陽町、万燈通り、於大通り、市原稲荷神社境内の道中4カ所で披露される。

東陽町からは新町・肴町の山車2台(市指定有形民俗文化財)も合流する。刈谷の肴町・新町の山車は、華車、花車、祭礼車とも呼ばれ、市原稲荷神社の祭礼に使われたもので、大名行列開催と併せて山車祭として参加する。

市原稲荷神社の祭礼に参加した山車の起源については、本町が貞亨4年(1687)に、中町が元禄14年(1701)に、肴町が宝永2年(1705)にはあったことが確認されている。その後、寛政9年(1797)に新町、明治10年(1877)に正木新道、市原町が参加をし、最大で6台の山車が参加していた。山車におけるからくり等の上演も古くから行われており、糸からくりは安政6年(1859)まで行われていた。戦争等の影響から昭和40年を最後に山車の参加は無くなったが、平成14年(2002)に約40年ぶりに修復された肴町の山車が大名行列に参加し、平成21年(2009)からは修復された新町の山車が祭りに参加している。

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