垂井宿は中山道57番目の宿場、西町・中町・東町の3町に分かれ、本陣は中町、問屋場は3か所あった。毎月5と9の日に南宮神社鳥居付近で開かれた六斎市は大勢の人で賑わい、大垣・墨俣などを経由し東海道宮宿とを結ぶ脇往還美濃路との追分で、西美濃の交通の要衝であった。3月下旬から5月上旬頃、相川水辺公園では川沿いに350匹もの鯉のぼりが泳ぐ。
650年の歴史を持つ垂井町曳軕祭り
5月2日〜4日に開催される八重垣神社の例祭「垂井曳軕祭り」では、三輌の豪華な曳軕は漆塗りに蒔絵、彫刻金具を施し、県重要有形民俗文化財に指定されている。曳軕の舞台で、安永年間(1772~1780)に始まった子供歌舞伎狂言が披露される。八重垣神社の起源は、南北朝時代の文和元年(1352年)、南朝が京を軍事的に制圧して足利義詮を追い、正平一統を破綻せしめたことにさかのぼる。「垂井曳軕祭り」の起源は南北朝時代の文和2年(1353年)に始まったといわれ、都から逃れてきた後光厳天皇を慰めようと、村人が花車3輌を造って曳き回したことによる。