半田赤レンガ建物

古くから醸造業がさかんであった半田、今も伝統が受け継がれ、多くの名酒を生産し、ビールの製造も早くから手がけていた。

明治20年(1887年)、四代目中埜又左衛門と盛田善平(後に、現在の敷島製パンの前身である敷島屋製粉場も開業)によって丸三麦酒醸造所で始められた。

明治22年には「丸三ビール」として3000本を初出荷した。

その後、明治29年(1896年)、北海道のサッポロ、東京のエビス、横浜のキリン、大阪のアサヒに対抗して、丸三麦酒株式会社が設立された。

本格的ドイツビール製造に向け、ドイツゲルマニヤ機械製作所による「完全なるビール醸造器械」を買い入れ、ドイツ人醸造技師を招き、新工場が建設された。

これが半田赤レンガ建物。

銘柄も、カブトビールと改められ、明治33年のパリ万国博覧会には、金牌を受賞するほどの品質を誇った。

その後、社名も「加富登麦酒株式会社」改められ、カブトビールは東海地方では最大のシェアを持っていた。

カブトビールの名称の由来
ビールは日本酒と違って喉でのむといわれていますが、喉で勢いよく飲むことを「カブル」ということから、なまって「カブトビール」になったなど諸説ある。
また、日清戦争後でもあることから、勇ましい「兜」の商標を採用したともいわれている。

2022岡崎城下家康公秋まつり

家康公と徳川四天王をはじめとする勇壮な三河武士団、煌びやかな姫列の出陣隊列
日時
2022年11月5日(土曜日)14:00~
コース
伊賀八幡宮 → 籠田公園(約1.8キロメートル)

岡崎市 伊賀八幡宮

松平家(徳川家の祖)の4代親忠は、文明2年(1470)に氏神として伊賀八幡宮を勧請し、松平家の守護神として創建した。
5年後に氏寺(菩提寺)として創建の大樹寺と共に、江戸時代にわたっても将軍家の厚い崇敬をうけた。
家康も、大きな合戦の時には必ず参詣したといわれ、徳川家の武運長久・子孫繁栄の守護神とされている。
のちに3代将軍家光が境内整備し、家康公(東照大権現)を祀る。
本殿・隨神門・神橋など、ほとんどが国の重要文化財。
岡崎春の風物詩、家康行列の出発地で、家康公の戦勝祈願に習って出陣式が行われる。
7月には、はすの花も開花し、撮影スポットとしても人気。

毎年1月の大寒の日に、28mはなれた場所から矢を放ち、檜の的板のわれ具合によってその年の豊凶を占う「武者的神事」が行わる。
占いは「矢が的に当たる」「当たるが割れない」「2つに割れる」「3つ以上に割れる」の4段階で判定される。