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大須商店街、大道町人まつり、ちょいと覗いてきました

コロナ禍もあって、3年ぶり、かな
芸人さん達の素晴らしいパフォーマンスも復活ですね

似顔絵エンターテイナー、桜小路富士丸さん
今陽子さんを思い出してしまう容貌で、相変わらずお綺麗です
華やかで爆発的明るさ、会場のお客様をモデルに
歌いながら、踊りながら、面白おかしく似顔絵を描いてゆく
モデルさんはいつの間にか踊らされ、観客はノリノリで拍手
思わず、笑わずにはいられない
すっかり巻き込まれてしまいます

麿赤兒主催の舞踏カンパニー、大駱駝艦の「金粉ショー」
舞踏のコンセプトは、よくわかりませんが
相変わらず、火を吹いてましたよ w

闇之森八幡社

名古屋市中区正木2-6-18、闇之森八幡社
創建は長寛年間(1163-1164年)
かつて神域には大木が鬱蒼と茂り、それは月の光も射さぬと句に詠まれるほどで、いつしか闇の森と呼ばれるようになった。名古屋十名所のひとつ。

源為朝が石清水八幡宮を勧請したと伝えられる。境内に為朝の甲冑を埋めたといわれる「鎧塚」がある。
祭神は、応神天皇、神功皇后、仁徳天皇
例祭(10月14日、15日)

享保18年(1733年)、浄瑠璃名古屋心中の元となる、遊女小さんと畳職人喜八の心中未遂事件が起きる。

質素倹約をスローガンに享保の改革を推進していた八代将軍吉宗の政策に対し、宗春は、真っ向から対立する財政緩和、消費拡大政策を推進した。これによって緊縮政策で火の消えたような三都に比べ、名古屋城下には、遊女、芸人、役者から大小の商人まで、全国から人が集まり、城下は当時日本一といわれる活況を呈したのである。

闇森(中区正木)は、宗春が公認した葛町(かずらまち)遊郭と西小路遊郭に隣接する八幡社の境内である。享保18年11月下旬(一説には夏頃)飴屋町花村屋の遊女小さんと日置村畳屋喜八の心中事件が発生し、たちまち評判となった。

心中は未遂に終わり、入牢後、翌年2月、牢屋敷前に3日間さらされた後許されて、2人は夫婦となって暮らしたという。当時としては軽すぎるともいえる寛大な裁きも評判の一因となった。

ちょうど名古屋に来ていた豊後節の祖宮古寺豊後掾(みやこじぶんごのじょう)は、この事件を題材に、翌享保19年1月、新作浄瑠璃「睦月連理玉𒢫(むつきれんりのたまつばき)」を黄金薬師の境内(現中区円輪寺)で上演し、「広小路が狭小路になり」といわれるほどの大当たりをとった。

評判は、江戸、上方にも聞こえ、翌年には江戸中村座でも上演されて、これも大当たりとなり、常磐津、清元、新内などにつながる豊後節の大流行を招いたほどであった。

大須観音 人形供養

大須観音では、人形供養は一年に一度、10月第1木曜日に行われる

日本三大観音の1つともいわれる観音霊場、なごや七福神の一である布袋像を安置する。寺内に、『古事記』の最古写本をはじめとする貴重書を多数蔵する「真福寺文庫」がある。

醍醐寺、根来寺と共に日本三経蔵の1つ。仁和寺、根来寺と共に本朝三文庫の1つと称される。15,000冊もの古典籍を所蔵し、書誌学の世界では真福寺本、大須本という。国宝の『古事記』は「真福寺本古事記」として知られ、同書の現存最古の写本である。

建久年間(1190年 – 1199年)に建立された尾張国中島郡長庄大須(現・岐阜県羽島市桑原町大須)にあった中島観音が発祥であるという。

元亨4年(1324年)、後醍醐天皇によりその地に北野天満宮が創建される。元弘3年(1333年)に同社の別当寺として僧能信が創建した真福寺とその塔頭宝生院が当寺の始まりである。

摂津国四天王寺の観世音菩薩を移して本尊としたとする。その後、後村上天皇により伽藍が建立され、勅願寺となっている。3代目住職である任瑜法親王の時には寺領1万石となり、伊勢・美濃・尾張・三河・遠江・信濃6か国の真言宗寺院を末寺としている。

戦国時代には、織田信長により寺領500石が寄進されている。慶長17年(1612年)、徳川家康の命令で犬山城主の成瀬正成によって宝生院は本尊や真福寺文庫と共に大須郷から現在地に移転する。

文化12年(1815年)には五重塔が建立され、空海が彫った愛染明王像が五重塔内に安置された。1892年(明治25年)3月21日には、境内にあった宝生座(芝居小屋)裏手からの出火(大須の大火)により本堂、五重塔と仁王門を焼失した。

同年4月には大須の大火で焼失した本堂、五重塔、仁王門を再建する為、「再建寄附金帳」という帳が書かれた。帳の内容には再建のために本堂、五重塔、仁王門の建地割図(設計図)が描かれ、本堂、五重塔、仁王門に関する再建内容が5丁で記されていた。大須大火後に本堂と仁王門は再建されたが、五重塔は再建されなかった。

太平洋戦争中の1945年(昭和20年)3月19日の名古屋大空襲で2度目の焼失。戦後の1949年(昭和24年)に仮の本堂と仁王門が建てられ、大須の人達や関係者から大須のシンボルである大須観音の早期の正式な本堂の再建が期待された。しかし、資金難で再建が大幅に遅れ、1970年(昭和45年)に鉄筋コンクリートで再建し現在に至る。また、当初の再建計画では回廊や五重塔も建設予定であったが、建設資金として当てにしていた浄財がなかなか集まらず、建設は中止された。

以後、五重塔などの再建は現在にいたるまで立ち消えた状態である。戦前まで大須観音以上に大須で大いに栄えて賑わっていた寺は、七堂伽藍で有名であった七寺であった。大須観音も七寺も空襲で焼失するが、戦後、七寺の七堂伽藍は再建の期待はあったものの再建されることはなく、現在では大須観音が栄え、大須のシンボル的な寺院となっている。

National Geographic Explore VR

ナショナルグラフィックのVR作品

National Geographic のスタッフとなって探索に出る。南極では‏、‎スリルに満ちた発見の旅へと乗り出す。カヤックで氷山を回り込み、巨大な棚氷をよじ登り、そして荒れ狂う吹雪を生き延びて失われた皇帝ペンギンのコロニーを見つける。

ペルーのマチュ・ピチュでは‏、‎古代インカ帝国の遺跡のデジタル再現をする。ミイラ崇拝の痕跡を目撃し‏、‎チチャの供物を供え、アルパカの姿を撮影する。ハイラム・ビンガム教授がインカ遺跡を再発見した当時の写真と同じ構図で‏、‎現代の風景を写真に収める。

必要空き容量 3.8GB
プレイスタイル 歩行モード
プレイ人数 シングルユーザー
バージョン 1.2.1
開発者 Force Field
リリース日 2019/05/22
情報取得日 2022/10/05

新美南吉の生家

「ごんぎつね」・「手ぶくろを買いに」など、多くの童話を送り出した新美南吉(本名新美正八)は大正2年7月30日、父渡辺多蔵、母りゑの次男としてこの家に生まれた。正面から見て左が継母志んの下駄屋、右が父多蔵の畳屋。昔の街道沿いに建ち、道からは一階建てに見えるが、裏にまわるとニ階建てになっている。戦後は人手に渡っていたが、半田市が購入し、南吉が住んでいた当時の間取りに復元して、昭和62年から公開している。