シエナの小さな村(ボルゴ)めぐり

シエナ(Siena (聞く))はイタリア共和国トスカーナ州シエーナ県の県都、サッカークラブACシエナの本拠地でもある。Borgo(ボルゴ)はイタリアに点在する小さな街を指す。

アッバディア・サンサルバトーレ村(Comune di Abbadia San Salvatore )は、南トスカーナにひろがる雄大なアミアータ山の東、その中腹に広がる中世の時代に築かれた村。

標高約822mの見晴らしの良いこの村へのアクセスは、シエナの街から乗り換えなしのバスで約1時間45分。人口約6600人ほどの落ち着いた小さな村。

旅の途中に広がる景色はトスカーナを代表する風景で、オルチャ渓谷のボルゴたちを丘陵地帯や小高い山の上にみることができる。

1036年に建て直されたアバッツイア・デル・サンティッシモ・サルバトーレ教会はロマネスク様式といわれる建築スタイルで、正面からみる教会の顔の部分(ファザード)は、窓が縦長に小さく細長いのが特徴的。

教会内部には、起源が8世紀と言われる古い地下礼拝堂(クリプタ)がある。
西暦2000年にライトアップが加えられ修復がされた。

中世の人々は、教会の小さな窓からわずかに入る光の中で神にお祈りをしていたのか、神秘的で訪れる人々の心を魅了する。

イタリア 、城塞都市ルッカ (Lucca)

イタリア共和国トスカーナ州北西部の都市、ルッカ (Lucca )は周囲4キロメートルあまりを城壁で囲まれた城塞都市。

フィレンツェやピサから乗り換えなしで電車で気軽に行け、フィレンツェからは約1時間30分、ピサからも電車で約30分。

城壁は17世紀に築かれた城壁で現在もそのまま残っている。

旧市街は、細い道が入り組み、道に沿ってレンガ造りの建物が立ち並び、中世の街にいるような不思議な感覚にさせてくれる。

今では中世の壁跡が改造され、住居としても使われている部分もあり、歴史との共存の一面を垣間見ることもできる。

19世紀の作曲家ジャコモ・プッチーニの生誕地でもあり、旧市街にあるプッチーニの生家は現在ではプッチーニ博物館とされている。

旧市街を囲んでいる城壁の全周が約4kmという小さな街なので主な観光名所は半日で回れてしまう。

ルッカの街にはいろいろなお店が並び広場に出店が出ていたりするので、トスカーナの地元料理を楽しむのも良さそう。

名古屋駅、タワーズプラザ

名古屋駅構内には、名古屋・驛麺通り、名古屋うまいもん通り、などB級グルメストリートがある。

博多一風堂社長の河原茂美氏がプロデュースした名古屋・驛麺通りでは、博多や札幌、和歌山などのご当地らーめん6店、屋台つけ麺7店舗が集結し、季節限定で販売するらーめんなどにも注目。

「気取らず、気軽に」がコンセプトの、名古屋うまいもん通りは、会社帰り、旅行の合間のちょっとした時間に立ち寄れるお店が揃っている。
名古屋の味「ひつまぶし」、「味噌カツ」の店舗もある。

総合ターミナル駅である名古屋駅の上は、JRセントラルタワーズで百貨店やホテル、レストラン街など様々な機能を結合した「複合立体都市」で、12・13階はタワーズプラザにあるレストランフロアで、和食、洋食、中華など約40の飲食店が並び洗練されたメニューが堪能できる。

ブルージュ (ベルギー)

「北のヴェネツィア」、「屋根のない美術館」、「水の都」などと呼ばれるベルギーのブルージュ。世界遺産「ブルージュ歴史地区」は、今なお中世の雰囲気を色濃く残している。

旧市街を縦横に流れる運河には、50以上の橋が架かり運河クルーズで「中世の街」を体感できる。

かつて、ブルージュは、ハンザ同盟の一員で商人が中心となってつくり上げた街で、旧市街には、世界遺産に登録された「鐘楼」、自動車の入れない美しい「マルクト広場」、高さ122mのレンガの塔が目印の「聖母教会」などが見どころ。

豊かな自然に囲まれたベギン会修道院、白鳥の遊ぶ「愛の湖公園」なども中世の街並みを体感させてくれる。

ブルージュは、ブリュッセルから急行電車で、ちょうど1時間、駅から旧市街中心地のマルクト広場まで2~3km程度。

駅を背にして左側の信号で、目前の環状道路を反対側に行くと小さな橋がある。橋を渡って、小さな川に沿って歩くと小さな湖に出る。

日本語で「愛の湖」と呼ばれるこの湖、地元の言葉では Minnewaterと呼ばれ、物悲しい伝説が残るという。

ここはブルージュが港として栄えた頃は内港として機能し、最も栄えた14世紀には世界中からやってくる船が年間を通して100隻以上も停泊していた伝えられる。

この愛の湖に隣接し、ユネスコの世界遺産にも登録されているベギン会院のひとつがある。このブルージュのものは保存状態がよく、最も美しいものの一つと言われる。

土産ショップが数多くあるウェインガルド通り(Wijngaardstraat) 、ウァル通り(Walstraat)、地ビールの「ハーフ・マーン醸造所」のあるウァル広場(Walplein)を通り、観光主要通りカテレイン通り(Katelijnstraat)を抜けると町の中心、マルクト広場。

マルクトとは、地元の言葉でマーケットのことで、町のシンボルとも言える鐘楼がそびえている。
古くから商工業が栄え市民が強い力を持つ自治都市が多くあり、鐘楼はその自治、市民の自由の象徴であった。

マルクト広場の中心に立つ二人の人物の銅像は、ヤン・ブライデルとピーター・デ・コーニンクというフランダース地方の英雄。

マルクト広場からステーン通りとは反対方向にあるベルギー王室御用達のハンドバッグ店デルヴォー(Delvaux)と郵便局の間の小道を入ると「ブルグ広場」(Burg)がある。

ここで一番目を引くブルージュ市庁舎(Stadhuis)は14世紀に建てられたゴシック建築で、このあたり一帯に残る市庁舎の中では、最も古いものの一つである。

市庁舎向かって右横の建物は、地階とその上の両方に聖堂がある2階建の「バジリカ」である。

市庁舎と旧裁判所の間を通り抜けるとブルージュ中を巡る運河のひとつに出る。
ブルージュは、北のベニスとも言われるように運河とボートが市民や商業の交通手段となっていた。

ボードに揺られて水面から街を眺めてみると一味違った風情を楽しむこともできる。

荒子観音、荒子に所縁のある戦国武将

尾張四観音のひとつに数えられる荒子観音は、名古屋市中川区荒子町にある天台宗の寺院。

寺伝によれば、天平元年(729年)、泰澄の草創で、天平13年(741年)、泰澄の弟子の僧・自性が堂宇を整えた。

泰澄は加賀(石川県)の白山の開祖とされる伝説的人物であるが、どこまで史実を伝えるものかは定かでない。

正式には「浄海山圓龍(円竜)院観音寺」で、「荒子観音寺」とも称し、「荒子の観音さん」として親しまれている。

本尊は聖観音で、33年に1度開扉されるという秘仏である。

天文5年(1536年)に再建された多宝塔は、名古屋市内に現存する最古の建物で、国の重要文化財に指定されている。

延宝・貞享年間 には円空が数回訪れたと伝わり、山門の仁王像、1,200体を超える木彫仏像、円空仏が残されている。

豊臣政権の五大老の一人、加賀藩主前田利家により、天正4年(1576年)、本堂が再建された。

荒子の土豪の家に生まれた利家は、北陸に所領を与えられるまで、寺の近くに荒子城を構えていたとされ、当寺は前田家の菩提寺でもある。

姫路城を現在残る姿に大規模に修築し姫路宰相と称された池田輝政の祖先は中川区荒子付近である。

系譜をたどると、池田政秀、池田恒利、池田恒興、池田輝政となる。

池田政秀には娘(養徳院)はいたが男子が無かったため、滝川貞勝の次男、恒利を婿養子に迎えた。恒利と養徳院との間に嫡男の恒興が生まれている。

恒利の死去後、池田家は恒興が継ぎ、養徳院は織田信秀の側室となり信長の養育にあたっていたことにより、その後池田家は重用されてゆく。

池田恒興の子の輝政は、美濃池尻城主、同大垣城主、同岐阜城主、三河吉田城主を経て、播磨姫路藩の初代藩主となる。

堀川、白鳥橋から錦橋まで

堀川を北上すると、山王橋付近に松重閘門がある。新幹線から見えるレトロな建物で、名古屋の近代化遺産としても有名である。

中川運河は名古屋港と旧国鉄笹島貨物駅を結ぶために造られた運河で昭和5年(1930)に開通した。
中川運河の水位は堀川より約1メートルほど低いので、船が行き来するためにはその水位を調節する必要があった。

その後、陸上輸送の台頭により水上輸送の需要が次第に減り、昭和51年、閘門の使用が停止され水門内部は埋め立てられ、付近は松重閘門公園として整備された。

平成5年に名古屋市の都市景観重要建築物に指定され、装飾性の強い優れた外観はライトアップされた夜が特に美しい。
閘門の尖塔は高さ約20メートル、2基1組の尖塔には、水門開閉用の釣り合いおもりが収容されている。

松重閘門
名称 中川運河松重閘門(まつしげこうもん)
場所 名古屋市中川区
構造 鉄骨鉄筋コンクリート造、人造石塗り洗出し、一部花崗岩張
設計者 藤井信武(名古屋市建築課)
完成 昭和5年(1930)
閘室サイズ 有効長90.9m×有効巾9.1m
通行時間 最大30分