天文年間(1532年 – 1554年)に創建され、恵心僧都作とされる聖観世音菩薩像を本尊とし山号は泉龍山、曹洞宗の寺院。
開基は織田信秀、開山は龍泉寺輪住二十世、慈眼寺三世住職などを務めた快翁玄俊とされる。
桃巌寺の寺号は信秀の法名「桃巌道見大禅定門」による。
織田信長の同母弟にあたる、末森城主であった織田信行が、父・信秀の菩提を弔うため、城の南に位置する末森村二本松(千種区穂波町付近)に建立し、後に現在地に移されたとされる。
信秀が所有していたと伝わる辯天画像、琵琶湖の北部に浮かぶ島竹生島から勧請した十五童子像、日本一とも言われる直径1メートルの木魚などが安置され、ねむり辨天 裸辯天は1月1日 – 5日と、5月7・8日に御開帳が行なわれる。
坐高10メートル、台座も含めると15メートルの名古屋大仏は昭和62年(1987年)の建立。
信秀廟所は、昭和26年(1951年)、信秀没後400年にあたって桃巌寺境内に移された。
かつては、城山八幡宮の西南に位置する揚輝荘の敷地南端に面した一角、桃巖寺領であった場所に信秀の墓石と三基の五輪塔があった。
墓石は信秀250回忌の寛政13年(1801年)に再建され、信秀と信行に加えて柴田勝家の名も記される。
サバの女王・・・泉龍山 桃巌寺 ( 東山辯天 )