嵐山、渡月橋から徒歩で15分ほどの処、京都市右京区嵯峨朝日町23に車折神社(くるまざきじんじゃ)がある。「車裂」「車前」とも書き、祭神は、平安時代後期の著名な漢学者・儒学者の清原頼業とされる。
頼業が文治5年(1189年)に亡くなると、清原家の領地であった現在の鎮座地に廟が設けられ、後に、頼業の法名にちなみ「宝寿院」という寺が建立され、後に天龍寺の末寺となる。
社名の「車折」については、ある人が牛車に乗ったまま社前を通った所、突然車が裂けてしまったためとか、後嵯峨天皇の大堰川遊幸の際、社前で突然車が前に進まなくなったので不思議に思って社の者に問うた所、頼業公を祀ると答えがあったので還御の後に「車折大明神」の神号と正一位の神階を贈ったためとかの説がある。
境内社の芸能神社は、日本最古の踊り子と言われる「岩戸隠れ」のくだりなどに登場する芸能の女神、天宇受売命を祀っていて、芸能、芸術の分野で活動する人々より崇敬を受けている。