軍艦島(端島:長崎県長崎市)

長崎県長崎市(旧高島町)にある端島は軍艦島の通称で知られる。

明治時代から昭和時代にかけて海底炭鉱によって栄え、東京以上の人口密度を有していたが、1974年(昭和49年)の閉山にともない島民が島を離れてからは無人島である。

端島の名がいつごろから用いられるようになったのか正確なところは不明だが、『正保国絵図』には「はしの島」、『元禄国絵図』には「端島」、『天保国絵図』にも「端島」とある。

端島での石炭の発見は、一般に1810年(文化7年)のこととされるが、江戸時代の終わりまでは漁民が漁業の傍らに「磯掘り」と称し、ごく小規模に露出炭を採炭する程度であったという。

1890年(明治23年)、端島炭鉱の所有者であった鍋島孫太郎が三菱社へ譲渡し、端島はその後100年以上にわたり三菱の私有地となり、この頃から基本的な居住環境が整備され、島の周囲が段階的に埋め立てられた。

1916年(大正5年)には、日本で最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅「30号棟」が建設され、「軍艦島」の通称は大正時代ごろから用いられるようになったとみられる。

1970年代以降のエネルギー政策の影響を受け、1974年(昭和49年)1月15日に閉山し、端島は無人島となった。

「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として、世界遺産暫定リストに追加記載されることが決まり、2009年(平成21年)1月に記載された。

島内全域を撮影した端島のGoogle ストリートビューが、2013年6月28日に公開された。

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