日本のゴーギャン・田中一村

田中一村(1908年7月22日 – 1977年9月11日)は、奄美大島の自然を愛し、その植物や鳥を鋭い観察と画力で力強くも繊細な花鳥画に描いた日本画家で本名は田中孝。

栃木県に生まれ、東京美術学校(現在の東京芸術大学)日本画科に入学し将来を嘱望されながらも、病気、生活苦の中で中央画壇とは一線を画し清貧の中で画業に励む。若くして南画に才能を発揮し「神童」と呼ばれ、7歳の時には児童画展で受賞(天皇賞、もしくは文部大臣賞)。

また10代ですでに蕪村や木米などを擬した南画を自在に描き、『大正15年版全国美術家名鑑』には田中米邨(たなかべいそん)の名で登録された。50歳の時に南の島々の自然に魅せられ奄美大島に移り住む。

大島紬の工場などで働きながら衣食住を切り詰め、不遇とも言える生活の中で奄美を描き続けた。没後に南日本新聞やNHKの『日曜美術館』の紹介でその独特の画風が注目を集め、全国巡回展が開催され、一躍脚光を浴びる。

南を目指したことから、日本のゴーギャンなどと呼ばれることもある。2001年、奄美大島北部・笠利町(現・奄美市)の旧空港跡地にある「奄美パーク」の一角に「田中一村記念美術館」がオープンした。

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