アラブ・ノルマン時代の栄華の跡が今も残るシチリア北部のパレルモでは、西洋とイスラム・ビザンチン文化圏の、社会・文化要素が融合し全く新しい空間、構造、装飾様式が誕生した。
当時、異なる宗教をもつ異民族(イスラム、ビザンチン、ラテン、ユダヤ、ロンゴバルド、フランス)が共存を果たしたことがうかがわれる。古代、パレルモはフェニキア人によって築かれ、当時の名はジズ Ziz (花の意)と言った。
まもなくギリシア人の航海者や商人と交流がされ、ギリシア語名パノルモス、ラテン語名パノルムス(Panormus)が生まれた。これは、ギリシア語で「すべてが港」を意味する語がラテン語化したものである。
第一次ポエニ戦役(紀元前264年~241年)でローマの手に落ちる西ローマ帝国滅亡後は東ローマ帝国領となる。9世紀、イスラム勢力が北アフリカからシチリア島に侵入しパレルモが陥落しシチリア全島がイスラムの手に落ちる。イスラム王朝の首都はパレルモに移され、絢爛たるイスラム文化が花開く。
当時のパレルモの人口は30万、モスクの数は300余、キリスト教徒やユダヤ教徒も共存して繁栄を極める。11世紀に南イタリアに到来したノルマン人が、イスラム支配下のシチリアを征服し、1091年にはシチリア全島がノルマン人の手に落ちる。フランス文化とイスラム文化が融合した独自の都市文化を形成し、その後シチリア王国の支配権は神聖ローマ帝国のホーエンシュタウフェン家に移り、アラビア語にも堪能な異色の皇帝フェデリーコ2世が生まれた。
13世紀にはフランスの王弟シャルル・ダンジューに征服され、アンジュー家の支配下に入るが、シチリア島民の反乱によってアンジュー家はナポリへ移り、シチリアはスペインのアラゴン家に支配される。
1479年以降はパレルモにスペイン副王が駐在する。
近代・現代
18世紀、スペイン継承戦争の結果、シチリアは一時オーストリアに渡る。
1734年、スペイン・ブルボン家の王子カルロスによってナポリと共に征服され王宮はナポリに移りパレルモは地方都市に転落する。
19世紀始め、ナポレオン軍の南イタリア侵攻によってナポリのブルボン家が一時パレルモに逃れてくるが、ウィーン条約体制下で王宮は再びナポリに戻り、両シチリア王国が成立する。
移り、シチリアはスペインのアラゴン家に支配される。
1479年以降はパレルモにスペイン副王が駐在する。
近代・現代
18世紀、スペイン継承戦争の結果、シチリアは一時オーストリアに渡る。
1734年、スペイン・ブルボン家の王子カルロスによってナポリと共に征服され王宮はナポリに移りパレルモは地方都市に転落する。
19世紀始め、ナポレオン軍の南イタリア侵攻によってナポリのブルボン家が一時パレルモに逃れてくるが、ウィーン条約体制下で王宮は再びナポリに戻り、両シチリア王国が成立する。

パレルモの守護聖人は1624年の黒死病から町を救ったと伝えられる聖ロザリアとされ、毎年7月14日に盛大な祭が行われる。
ノルマン王国のシチリア統治時代(1130年~1194年)の教会や建造が
イタリア、51番目の世界遺産、『アラブ・ノルマン様式のパレルモと、チェファル、モンレアーレの大聖堂』として登録される。
今回登録された遺産
1) ノルマン王宮とパラティーナ礼拝堂 Palazzo dei Normanni e Cappella Palatina
歴史・芸術的にパレルモで最も重要なモニュメント。
9世紀にアラブ人が建築した城を、12世紀にノルマン王達が拡大強化して、要塞であり荘厳な王宮とし、フェデリコ2世の統治時代には王宮は国の政治・経済だけでなく、ヨーロッパの文明の中心となる。
パラティーナ礼拝堂はキリストをはじめ聖書の様々な場面が描かれたまばゆいばかりの黄金のモザイクで装飾されている
2)サン・ジョヴァンニ・デリ・エレミティ教会 Chiesa di San Giovanni degli Eremiti
ノルマン王ルッジェーロ2世統治下の1136年、修道院跡に建てられたパレルモのシンボルともいえる記念的建造物。
四角の立方体のような本体部分の上に赤い丸屋根という形式はイスラム風。
アラブ風貯水槽を囲むように造られた小回廊は、ノルマン人支配後期のもので、美しく調和した2本の柱が支える小アーチが整然と並び、南国情緒が漂う。
3)サンタ・マリア・デッランミラリオ教会(マルトラーナ教会)
Chiesa di Santa Maria dell’Ammiraglio (Chiesa della Martorana )
1143年ノルマン王ルッジェーロ2世の海軍大将ジョルジョ・ディ・アンティオキアが建てた。
現在外観でノルマン王朝時代のものは鐘楼などだけ、内部を飾るビザンチン様式のモザイクには、キリストにより戴冠されるルッジェーロ2世や、聖母マリアの足元にいる海軍大将などが描かれる。
4)サン・カタルド教会 Chieda di San Cataldo小)サン・カタルド教会とマルトラーナ教会外観
ノルマン王グリエルモ1世の12世紀後半に建設され、19世末に大幅に修復。
ノルマン風の特徴がみられる教会として簡素な形態ながら重要な建築。
5)パレルモ大聖堂 (カッテドラーレ) Cattedrale
7世紀の教会がアラブ支配時代に回教寺院となり、ノルマン王により再びキリスト教の手に返され、現存の建物は12世紀グリエルモ2世の時代に創建された。
14~16世紀にかけて手が加えられたが大聖堂は創建当初からパレルモとシチリアの歴史の舞台となった。
内部には各時代の皇帝や王の霊廟がある。
6)ジーザ宮殿 The Castello della Zisa
宮殿名は、アラビア語で素晴らしいを意味するAzizに由来。
ノルマン王グリエルモ1世が、王の別邸として創建。
イスラム建築の宝石ともいえる館。
7)アンミラリオ橋 Ponte dell’Ammiraglio
ルッジェーロ2世の海軍大将ジョルジョ・ディ・アンティオキアにより1130~1140年に造られた橋。
ノルマン統治時代の高い技術的・文化的レベルを示す橋。
8) チェファルー大聖堂 Duomo di CefaluDuomo di Cefalu
チェファルは海に面する岩山の斜面や麓に広がる街。
ルッジェーロ2世が嵐の海で助かったことを聖母に感謝するため、1131年に建設が開始された大聖堂は、ノルマン時代の最も壮大なモニュメントのひとつ。
9) モンレアーレ大聖堂 Duomo di Monreale
モンレアーレの大聖堂ドゥオーモは、1172年から1176年にかけてノルマン王グリエルモ2世の命により建設される。
外観は、正面の頑強な2基の鐘楼塔、そして3つのアプシス(後陣部)壁面には、イスラム職人の参加による多色象眼細工に装飾される。
内部の壁面はビザンチン様式のモザイク装飾。
中央内陣には巨大な『全能のキリスト』を中心に、旧・新約聖書の一連の物語やエピソードが描かれる。
回廊は完全な正方形で、モザイクや象眼装飾が施された小円柱が連続性を保ち並ぶ。
アーチで囲まれた小さな噴水は東方の楽園の庭を思わせる。