神戸・神戸北野異人館街

俗説に、平清盛が福原京遷都の際に北野天満宮を勧進したともあるが、『西摂大観』によれば「小野」の北の傾斜地というのが地名の由来であるという。
宇治野、平野、夢野などと共に神戸七野の一つに数えられる。

北野天満神社の境内には行者塚と呼ばれた古墳があって山伏から信仰を集めた。明治22年(1889年)の市道工事で一部が破壊され、土器や鉄器が出土した記録がある。江戸時代には北野村と呼ばれる幕府領で、現在の北野町はその北端にすぎない。『神戸市史』によると農業の他、男は酒造稼ぎ、女は木綿稼ぎをするのが普通だったという。

明治20年代から大正初期にかけて建築された異人館が残る観光名所で、市は約32haを市都市景観条例に基づいて都市景観形成地域に指定する。
このうち9.3haが文化財保護法による重要伝統的建造物群保存地区、「北野町山本通」として指定される。

北野は中世以前より交通の要所として知られ、丁度古墳のあたりが峠で、三丁目には「北野の三本松」として知られた目印・憩いの場があった。
大正初に一本が切られ、昭和7年(1932年)の台風で二本目が倒れ、残る一本も昭和13年(1938年)に切り倒された。

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