ゴッホ展 巡りゆく日本の夢

19世紀末に活躍し、今もなお世界中で絶大な人気を誇る芸術家フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)は、ジャポニスムの只中にあった19世紀のパリで日本に関する文献や浮世絵と出会い夢中になり、彼にとって日本は創意の源であり理想郷であった。

一方1920年代、日本の芸術家や知識人がファン・ゴッホに憧れ、その墓のあるフランスのオーヴェール=シュル=オワーズを巡礼した。ファン・ゴッホ美術館との共同企画で、油彩画やデッサンに加え、浮世絵やオーヴェール巡礼に関する資料などによりゴッホの魅力が紹介されている。

展覧会の構成 

[第1部 ファン・ゴッホのジャポニスム] 

ファン・ゴッホは、日本から如何なる影響を受け、如何なるイメージを抱いていたのか。

国内外のコレクションから厳選したファン・ゴッホ作品約40点と、同時代の画家の作品や浮世絵など50点あまりによって、その実像を多角的に検証する。

オランダに生まれたフィンセント・ファン・ゴッホは、1886年にパリに移り、この地でさまざま刺激を受けながら、自らの絵画表現を模索した。

そこで大きな役割を果たしたものが、日本の浮世絵で、ファン・ゴッホは浮世絵版画を収集し、それを模写した油彩画を描き、構図や色彩を学び取り、浮世絵をはじめとする美術作品や日本を紹介した文章を咀嚼しながら、独自の日本イメージを醸成していった。

1888年には、芸術家たちの共同体を作ろうと南仏のアルル へ赴き、大いなる期待を胸に訪れたこの地を、しばしば日本と重ね合わせている。

[第2部 日本人のファン・ゴッホ巡礼] 

ファン・ゴッホが最晩年に交友を持ったオーヴェールの医師ガシェの一族のもとには、3冊の芳名録が残され、1920年代に憧れの画家の終焉の地を訪れ、その足跡をたどった日本の画家や文学者たち240名あまりの署名が記されている。

最初期における日本人のファン・ゴッホ巡礼を、ガシェ家の芳名録に基づいた約90点の豊富な資料によってたどり、日本を夢想したファン・ゴッホと、ファン・ゴッホに憧憬した日本人の交差する夢の軌跡である。

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