美濃路 起宿 旧湊屋文右衛門邸

美濃路
一宮市には「鎌倉街道」「岐阜街道」などの歴史街道があるが、なかでも「美濃路」は異国文化が通る等特色の多い街道だ。
美濃路は東海道・宮宿(熱田宿)と中山道・垂井宿を結ぶ脇街道として幕府の道中奉行が支配した。

起宿
街道には宿泊や馬の乗り継ぎ等のために一定の間隔を置いて宿場が設けられた。全長14里24町15間(約57.5キロ)の美濃路には7宿あるが、中ほどにある「起宿」は木曽川の渡河を控え規模の大きな宿場だった。

定渡船
美濃路には将軍家をはじめ参勤交代の大名、朝鮮通信使、琉球使節など重要な人達が往来した。将軍や朝鮮通信使は270隻以上の船をつないだ船橋を渡った。そのほかの人は渡し船を利用した。金刀比羅社の境内に大きな常夜燈がある。

湊屋文右衛門
定渡船場で渡し船の管理、運行を任されていたのが船庄屋で、その下に何人かの「船方肝煎」がいた。そのうちの一人が湊屋文右衛門で、渡し船を扱うだけでなく年貢米輸送にもあたっていた。早くから木曽川の舟運を利用して遠隔地との取引を行い、寛政年間(1789-1801)には「縞木綿を扱う仲買商」として成長した。越前丸岡から糸を仕入れ、それを地元の機織りに売りさばき、織り上がった縞木綿を全国に売りさばいていた。

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