船頭平閘門

船頭平閘門(せんどうひらこうもん、せんどひらこうもん)は、愛知県愛西市立田町福原にある。木曽川・長良川・揖斐川のいわゆる木曽三川は下流部では合流しており、そのために洪水など災害が絶えなかったので、三川分流工事が明治時代に行われた。この結果、かつては木曽川から長良川の対岸まで行けたものが、わざわざ河口地域まで迂回する必要が生じた。

当時は橋もほとんどなかったため物資輸送などの面で支障が出ることが予想された。そのため、木曽三川分流工事が開始された1892年(明治25年)の2年後にあたる1894年(明治27年)に木曽川と長良川の間をつなぐ水路の建設が決定した。

当時、両河川の水面の高低差が約1メートルあったこともあり、閘門によりその調整を行うことにした。1899年(明治32年)に着工、1902年(明治35年)に船頭平閘門が完成した。閘門の長さは約36メートル、幅は約5メートル半。工費は154,836円11銭9厘(現在の貨幣価値で約5億円)。

完成した当時は年間約2万隻の船の通過があったというが、その後は木曽三川の架橋などによる物流の変化などによって減少し、現在では年間200隻余り、それも漁船やレジャーボートなどがほとんどとなっている。

吉田城 (豊橋)

吉田大橋は東海道では数少ない大きな橋で、川に面した城郭と橋を同時に描くことができる吉田城は、東海道でも屈指の景観として多くの絵師に描かれた。歌川広重の『東海道五十三次』の中で、橋と城が同時に描かれているのは、吉田と岡崎だけである。

戦国時代、16世紀初頭にその前身が築城された。三河支配の重要拠点の1つとして機能し、江戸時代には吉田藩の政庁としての役割を果たした。築城当初、今橋城と呼ばれ、明治維新後、吉田から豊橋の改名に伴い豊橋城とも呼ばれた。

今川義元は駿河から城代を派遣し、支配力を強化する。東三河の国衆にも城代を補佐させて統治協力を強いたが、義元が桶狭間の戦いで討たれると支配力は低下し、永禄8年(1565年)、今川氏を離反した松平家康によって攻略され、今川氏は三河支配権を喪失する。天正18年(1590年)、豊臣秀吉により家康が関東に移封されると、池田輝政が東三河4郡を統べる15万2千石の城主となった。

本丸、二之丸、三之丸。総構えを含めた敷地は、名古屋城などよりも広大で、「加賀百万石」の金沢城(城域面積約30万㎡)に対して、15万2千石の吉田城は約84万㎡であった。1954年(昭和29年)、本丸北西の鉄(くろがね)櫓址に櫓が模擬再建され、公園化された本丸から三の丸には石垣、土塁、堀が残る。本丸石垣は池田輝政時代の石垣であることが判明している。

長篠合戦のぼりまつり 平成30年5月5日(土・祝)

宇連川は愛知県北設楽郡設楽町および新城市を流れる豊川水系の河川で、北設楽郡設楽町の南東部の山中に源を発し南へ流れる。三輪川、板敷川の別称があり、江戸時代以前は大野川と呼ばれていた。上流には宇連ダム、支流の大島川には大島ダムがあり、共に東三河の水源となっていて、新城市長篠の長篠城跡の南で本流の豊川に合流する。

日本100名城に指定された長篠城址で、平成30年5月5日(祝)、1575(天正3)年にあった長篠城をめぐる攻防で亡くなった武田軍と織田・徳川連合軍のめい福を祈るための長篠合戦のぼりまつりが開催された。まつり会場内には5mほどののぼりが何十本も立ち並ぶ。その隣では物産展などの出展もあり多くのひとたちで賑わっている。主な催し物に火縄銃の演武があり、鉄砲隊による演武は、体の芯まで伝わるほどの轟音が城址一帯にいくつも鳴り響き、衝撃的なその威力を肌で感じることができる。

2018年5月3日(木)刈谷 大名行列 奴のねり 山車祭

江戸時代の華麗な歴史絵巻を繰り広げる「刈谷大名行列・山車祭」(刈谷春祭保存継承委員会・刈谷市観光協会主催)が5月3日、刈谷市中心部で3年ぶりに開催された。殿様やお姫様、奴などにふんした総勢約500人がにぎやかに練り歩き、豪華絢爛な2台の山車が引き回される。

刈谷の大名行列は、江戸時代中期ごろから始まったとされる伝統行事で、もとは司町の市原稲荷神社の祭礼として行われた。十万石の格式を持つ秋田出来守という架空の殿様が、神社の神輿を警護する形を表現している。大名行列は寺横町の正覚寺を出発し、行列奉行や奴、少年武者などが約5㌔のコースを歩き、市原稲荷神社に到着する。

一般公募によるメインキャストの殿様はきらびやかなかごに乗り、於大の方(徳川家康の生母)・於富の方(於大の母)・於上の方(於大の姉)の女性列3人の役は花車で行進する。奴が足をひねり上げるような独特な所作を見せる「奴のねり」(市指定無形民俗文化財)は東陽町、万燈通り、於大通り、市原稲荷神社境内の道中4カ所で披露される。

東陽町からは新町・肴町の山車2台(市指定有形民俗文化財)も合流する。刈谷の肴町・新町の山車は、華車、花車、祭礼車とも呼ばれ、市原稲荷神社の祭礼に使われたもので、大名行列開催と併せて山車祭として参加する。

市原稲荷神社の祭礼に参加した山車の起源については、本町が貞亨4年(1687)に、中町が元禄14年(1701)に、肴町が宝永2年(1705)にはあったことが確認されている。その後、寛政9年(1797)に新町、明治10年(1877)に正木新道、市原町が参加をし、最大で6台の山車が参加していた。山車におけるからくり等の上演も古くから行われており、糸からくりは安政6年(1859)まで行われていた。戦争等の影響から昭和40年を最後に山車の参加は無くなったが、平成14年(2002)に約40年ぶりに修復された肴町の山車が大名行列に参加し、平成21年(2009)からは修復された新町の山車が祭りに参加している。

金城埠頭 LEGOLAND JAPAN

金城埠頭は名古屋市港区、一丁目から三丁目があり、北は空見町に接する。埠頭の名称は一般公募により、1965年(昭和40年)5月に命名され、名古屋城の別名のひとつである「金城」にちなむ。

沿革

1963年(昭和38年)名古屋港築港13号地として、公有水面埋立造成に着手。
1965年(昭和40年)10月 保留施設の整備が建設省第五港湾建設局により開始される。
1971年(昭和46年)12月1日 港区金城ふ頭二丁目が成立。
1973年(昭和48年) 名古屋市国際展示場第1展示館が開業する。
1979年(昭和54年) 4月30日 一丁目および三丁目を設置。また、二丁目に埋立地の一部が編入される。
7月 名古屋市国際展示場第1展示場南側に、国際児童年を記念した児童公園「ポートプレイランド」(面積45,699平方メートル)が整備される。
1983年(昭和58年)4月14日 三丁目に埋立地の一部が編入される。
1987年(昭和62年)9月 名古屋市国際展示場第2展示館およびイベント館が開業する。
1989年(平成元年)11月15日 荷役拠点として名古屋港オペレーションセンターが完成する。11月27日 三丁目に埋立地の一部が編入される。
1990年(平成2年)8月24日 三丁目に埋立地の一部が編入される。
1993年(平成5年)10月 名古屋市国際展示場第3展示場および交流センター、立体駐車場が開業し、愛称として「ポートメッセなごや」が設定される。また、この整備に伴って「ポートプレイランド」が廃止されている。
1994年(平成6年)3月31日 名古屋港船舶通航センター(NAVTIC)が設置される。
1998年(平成10年)3月30日 名港中央インターチェンジ開通。
1999年(平成11年)3月25日 ダイエーが運営する倉庫型店舗「Kou’s」が開業する。
2001年(平成13年)7月31日 「Kou’s」閉店。
2004年(平成16年)9月1日 名古屋ベイフットサルクラブ開業。10月1日 あおなみ線開通。
2005年(平成17年)9月17日 結婚式場「アンジェローブ」開業。
2006年(平成18年)4月1日 金城ふ頭ドッグラン開業。
2017年(平成29年)3月30日 メイカーズピア全面開業。
2017年 3月17日 レゴランド・ジャパン報道陣向け内覧会が実施される。
    3月19日〜3月21日 – プレオープンイベントが実施される。
    4月1日正式開業。
2018年 公式ホテル「レゴランド・ホテル・ジャパン」および水族館「SEA LIFE」が開業。

小里川ダム、道の駅 おばあちゃん市・山岡

小里川ダム(おりがわダム)は、岐阜県瑞浪市と岐阜県恵那市にかかる、一級河川・庄内川支流の小里川に建設された。小里川は天瀑山(標高777m)を水源とする庄内川の支流の一つで、大正時代より3箇所の水力発電所が設置されていた。

現在、国土交通省中部地方整備局が管理を行う国土交通省が直轄する。高さ114.0メートルの重力式コンクリートダムは、洪水調節・環境維持・発電などを目的とする、ダムによって形成された人造湖はおりがわ湖と命名された。

かつて、小里川は氾濫が多く、被害を防ぐためにダムが計画され、1969年(昭和44年)より予備調査、1979年(昭和54年)に着工、2004年(平成16年)3月31日に竣工した。地域に開かれたダムに指定されダムの内部が一般に開放されている。

ダム周辺は、「ふれあい館・ダム右岸部地区」、「原石山地区」「モダンパーク地区」、「ダム左岸部地区」として整備され、ウォーキングコースもある。ダム近くにある道の駅おばあちゃん市・山岡には、小里川発電所の完成により廃止された水力発電所に使用されていたという石造アーチ橋「興運橋」が移設保存されている。