房総フラワーライン

千葉県道257号と国道410号及び千葉県道297号の一部を指し、館山市伊戸から海岸線沿いに房総半島最南端を通り、南房総市白浜町の野島崎までのルート。ドライブやサイクリングに最適なシーサイドロードでもあり、「日本の道100選」にも選ばれている。競輪選手の練習地として使われたことにより競輪史の一部となっている。初夏からは花が両側に咲きこぼれ、1月~2月の平砂浦付近では菜の花畑が広がる。

第1フラワーライン
館山市館山の下町交差点から相浜交差点までの千葉県道257号南安房公園線。

第2フラワーライン
相浜以東の区間で、相浜から国道410号に入り、南へそのまま進むと南房総市白浜町根本で海沿い方向へ分岐する国道410号と分かれて南房総市道になる。

洲崎神社は房総屈指の名社で、源頼朝が妻・北条政子の安産を祈願したと伝えられる御手洗山にある。道路から太平洋を望むと、伊豆半島や伊豆大島を一望することができる。沿道には、植栽されたサザンカ、菜の花、アジサイ、カンナ等の四季折々の花々を見ることができる。また、吾谷山(あづちやま)の中腹には安房神社が建ち、安房自然村や館山野鳥の森が隣接する。

和田 英作 (黒田清輝創設の「白馬会」の初期メンバー)

和田英作(1874~1959)は、藤島武二と同時代の画家で、黒田清輝が創設した「白馬会」の初期メンバーで、画風は穏当、保守的で多くの後進を育てた。

明治天皇を記念する聖徳記念絵画館のために描かれた『憲法発布式』は歴史教科書にも掲載され、慶應義塾大学図書館ステンドグラス(原画)もよく知られている。

鹿児島県垂水市に和田秀豊の長男として生まれ、田村直臣牧師の自営館に寄宿しながら鞆絵小学校、明治学院を経て、東京美術学校で学ぶ。

原田直次郎、黒田清輝らに師事し、東京美術学校の洋画科が開設された際、助教授に就任するが、まもなく辞任し、同校4年に編入入学し、卒業。

1900年(1899年?)文部省留学生として欧州に留学。

1903年帰国し、東京美術学校教授となる。

1932年、30年以上校長を務めた正木直彦が辞任した後、東京美術学校校長に就任。

1934年12月3日帝室技芸員。

1943年文化勲章受章。