京都府宇治市三室戸寺『あじさい寺』

当寺の創建伝承については伝説的色彩が濃く、創建の正確な事情についてははっきりしない。

園城寺(三井寺)の僧の伝記を集成した『寺門高僧記』所収の僧・行尊の三十三所巡礼記は、西国三十三所巡礼に関する最古の史料であるが、これによると、11世紀末頃に行尊が三十三所を巡礼した時は、御室戸寺は三十三番目、つまり最後の巡礼地であった。

寛平年間(889年 – 898年)には園城寺の円珍が留錫し、その後、花山法皇がこの地に離宮を設け、当寺を西国三十三所巡礼の第10番札所とした。

康和年間(1099年 – 1103年)、園城寺長吏の隆明大僧正が当寺を中興し、また園城寺子院の羅惹院を当寺に移転させ、自らも住するようになると、御室戸の僧正と呼ばれるようになり、御室戸寺も隆盛を誇った。この頃、光仁天皇、花山法皇、白河法皇三帝の離宮になったことから御室戸寺の「御」を、「三」に替えて三室戸寺と称するようになる。

その後寛正3年(1462年)の火災で伽藍を失うが、文明19年(1487年)に園城寺阿弥陀院の壱阿によって本堂が再建される。しかし、天正元年(1573年)には織田信長に敵対して槙島城に立て籠もった将軍足利義昭の味方をしたために寺領を悉く没収されて衰退した。

寛永16年(1639年)、道晃法親王によって復興される。

現存する本堂は江戸時代後期の文化11年(1814年)に法如和尚によって再建されたものである。

本尊

本尊は千手観音像であるが、厳重な秘仏で、写真も公表されていない。本尊厨子の前に立つ「お前立ち」像は飛鳥様式の二臂の観音像で、二臂でありながら「千手観音」と称されている。この本尊像に関わる伝承は「歴史」の項で述べたとおりで、高さ二丈の観音像は寛正年間(1460年 – 1466年)の火災で失われたが、胎内に納められていた一尺二寸の二臂の観音像は無事であったという。

秘仏本尊を模して造られた前述の「お前立ち」像は、大ぶりの宝冠を戴き、両手は胸前で組む。天衣の表現は図式的で、体側に左右対称に鰭状に広がっている。こうした像容は奈良・法隆寺夢殿の救世観世音菩薩像など、飛鳥時代の仏像にみられるものである。厨子内の秘仏本尊像自体については、指定文化財でないため、年代等の詳細は不明である。

2008年(平成20年)が西国巡礼の中興者とされる花山法皇の一千年忌にあたることから、2008年(平成20年)から2010年(平成22年)にかけて、西国三十三所の全札所寺院にて札所本尊の「結縁開帳」が行われることとなった。三室戸寺本尊の千手観音像は2009年(平成21年)10月1日 – 11月30日に開扉されたが、これは前回開扉(1925年)以来84年ぶりの公開である。

本堂(京都府指定有形文化財) – 文化11年(1814年)に再建。重層入母屋造の重厚な建物で、秘仏の千手観音立像が安置されている。

阿弥陀堂(京都府指定有形文化財) – 元々ここには親鸞の父日野有範の墓があったが、親鸞の娘覚信尼が祖父有範の墓を整備し、その上にお堂を建てて阿弥陀堂とし、その菩提を忌った。

鐘楼(京都府指定有形文化財) – 吹き流し形式。

三重塔(京都府指定有形文化財) – 元禄17年(1704年)建立の全高16メートルの三重塔で、もとは兵庫県佐用郡三日月村(現・佐用町)の高蔵寺にあったものを、1910年(明治43年)に当寺が買い取って参道西方の丘上に移設した。その後1977年(昭和52年)に境内の現在地(鐘楼の東隣)に移された。

十八神社(重要文化財) – 鎮守社。三室戸寺の中にあるが独立した神社であり、三室戸寺の所有ではない。長享元年(1487年)再建。三間社流造で本堂の左背後にある。そもそもは三室村の産土神を祀る三室神社であったが、承和7年(840年)に円珍が山王信仰の十五神を合祀し、十八神社と改めたという。

浮舟の碑 – 源氏物語宇治十帖の登場人物である浮舟を祀る「浮舟古跡」と刻まれた古碑が、鐘楼脇にある。これは寛保年間に「浮舟古跡社」 を石碑に改めたものと伝えれられている。

狛蛇(宇賀神) – 本堂前に鎮座する石像で、身体は蛇がとぐろを巻く姿。近年の作。

名古屋市市政資料館

本資料館の設置の目的は、「歴史資料として重要な公文書等を保存し、利用に供する等のため」とされている(名古屋市市政資料館設置条例1条)。

同条例2条1項により、本資料館は以下の事業を行うものとされている。

  1. 公文書等を収集し、整理し、および保存すること。
  2. 公文書等を閲覧その他の利用に供すること。
  3. 公文書等に関する調査研究を行うこと。
  4. 市政に関する資料の展示を行うこと。

なお、ここでいう「公文書等」は公文書館法2条の定義に拠っており、非現用の公文書が主たるものである。

また、同条例2条2項により、本資料館は、さらに次の事業を併せ行うものとされている。

  1. 重要文化財旧名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎を保存し、公開すること。
  2. 集会室および展示室の供用をすること。
  3. その他名古屋市長が必要と認める事業。

公文書館

閲覧室(2階南西)は、名古屋市市政資料館の中心的な機能である公文書館としての役割を果たしている。名古屋市の行政を中心とした資料を保存している。公文書等を後世に残していくための施設であり、その役割は行政が直接運営すべき重要なものである。公文書館という役割から、他にはない一次資料が多く、一般の方、学生から研究者まで利用者は幅広く学術論文、卒業論文、郷土史などの作成に利用されている。市政資料館は、名古屋市の市制施行(1889年明治22年))以降の資料を中心としている。近世文書に関しては、新修名古屋市史の編纂過程でマイクロフィルム撮影されたものの紙焼本が4千冊ほど公開されている(古文書が多数を占めており、これらの閲覧には“崩し文字”の解読能力が必要である。)。

閲覧は無料。大部分の資料は閉架で、資料保存のため、館外貸出は行っていない。一部に個人情報保護などの保護のため利用できない資料がある。資料の複写は有料で可能だが、一部に複写不可の資料もある。複写の代わりに撮影機器持参で資料を撮影することも認められている。図面などの傷みやすい資料については、資料保護のためカメラでの撮影が推奨されている。資料接写用の三脚は閲覧室に用意されている。

名古屋市内の公共・専門・大学図書館の蔵書を検索することができる「まるはち横断検索」に加わっている。

公文書

1889年(明治22年)の市制施行後の公文書(完結後一定年数が過ぎ、廃棄された行政文書のうち歴史資料として重要なもの)を中心にして、市政資料を保存・公開している(公式サイトから公文書目録のダウンロードができる)。2019年平成31年)2月末時点で1万2千以上の簿冊を公開している。鶴舞公園の名称決定や名古屋城の国宝指定などの公文書などがある。近年は、保存期間が30年の公文書が廃棄された翌年度には公開されている。

行政資料

名古屋市が発行した刊行物は市政資料館で保存されることとなっている。明治時代からの古い新聞のマイクロフィルムも収蔵している。2019年(平成31年)2月末時点で10万冊以上が閲覧可能である(公式サイトから行政資料目録のダウンロードができる)。名古屋の歴史に関する図書などは閲覧室に配置してある(開架図書の閲覧は、申し込み不要)。最も古い資料としては1871年(明治4年)発行の「名越各業獨案内」があり、現在まで存続している老舗を確認することができる。

司法展示

司法制度の資料や明治憲法下や現代の法廷陪審法廷を再現展示しているほか、司法制度に関する資料展示を行っている。2006年(平成18年)3月から名古屋高等裁判所の協力を得て裁判員制度に関する常設展示も開始した。明治憲法下から陪審制度時代、現代、裁判員制度までを展示しており、全国的にも珍しいものである。展示資料の中には名古屋城の金鯱の鱗の盗難事件の証拠物件もある。

「大地の塔」資料展示

2006年(平成18年)3月から愛・地球博の名古屋市パビリオン「大地の塔」に関する常設展示を開始した。万華鏡鏡像の動画を見ることもできる。

集会室・展示室の貸出

会議・集会・研究会・講習会および作品展示などに利用される。ただし、利用にあたっての制約事項が厳しく、申し込む際に十分な確認が必要である。特に営利目的の利用は、一切認められないとのことである。

  • 展示室 – 写真や絵画などの個展にも使用可能である。展示室の使用は、午前9時から午後5時まで。料金は部屋の大きさに応じて異なる。第1一般展示室には、大正時代のデザインのシャンデリアが2つあり、レトロな雰囲気を活かした展示が可能である。

新修名古屋市史の編纂

『市史』本文編10巻、資料編11巻が刊行済みである。資料編近代1、近世1、考古1、自然、民俗、近代2、近世2、現代、近世3、考古2、近代3が刊行されており、市政資料館の事務室で購入できる。

市政展示

名古屋市の誕生から現代までの政治・経済・産業・文化などの出来事について、所蔵資料(写真パネルや複製資料など)で市政に関する展示を行っている。名古屋市自体の歴史の系統的な展示はここだけである。名古屋市の区域がどのように拡がってきたか、どのように産業が発展してきたかなどを知ることもできる。名古屋市の歴史を知ることができるため、小中学校の総合学習での利用も多い。

建物展示

詳細は「旧名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎」を参照

建物(旧名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎)は重要文化財に指定されており、外観や内部を創建当時の姿に復原し、建物の保存展示、および資料展示を行なっている。なお、外観、中央階段室および復元会議室以外の内装は重要文化財の指定対象外である。

木製の窓枠は創建当時と同様の原料のペンキで塗装されており、補修のため数年ごとに塗り替えられている。

煉瓦造及び鉄筋コンクリート3階建の洋風建築で、煉瓦積みの壁に白い花崗岩の外壁を持つ。屋根小屋組は木造。内部の中央階段室はステンドグラスの窓や漆喰塗り・マーブル塗りによる仕上げが施された「ネオ・バロック様式」を基調とする。設計は司法省営繕課(工事監督)で金刺森太郎(設計監督工事主任:司法技師)が担当した。山下啓次郎(工事計画総推主任:司法技師)も関与したともいわれるが詳細は不明である。

煉瓦造としては最末期の大規模近代建築であり、現存する控訴院庁舎としては最古のものということもあって1984年昭和59年)5月21日重要文化財の指定を受けた。日本全国に8つ建設された控訴院の建物のうち、現存するのは名古屋と札幌のみである。

ステンドグラスのある中央階段室、玄関や外観は全国ネットのドラマ、地元放送局の番組などの撮影で度々使用されている。NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』では2回ロケが行われた。

  • 復原会議室(3階) – この建物の中で最も格調高い部屋で、内装を含め国の重要文化財に指定されている。約40畳の部屋に一枚織りの絨毯が敷かれている。シャンデリア、机、椅子などの調度品は、当時のものを残された資料や聞き取り調査により忠実に再現している。
  • 中央階段室 – ステンドグラスは、建築時のもので復元整備されており、日本有数のもので一見の価値がある。入館料無料で荘厳なステンドグラスを見ることのできる数少ない施設である。
  • ガラス – 大正時代からの窓ガラスが(ステンドグラスだけでなく閲覧室の南西角の窓や喫茶室の窓などにも)残っている。創建当時からのガラスには現在市販されていないものが様々残っており(歪んだガラス、模様ガラスなど)、ガラスの博物館とも言われている。
  • レンガ – 中庭の1・2階部分のレンガには、大正当時の名古屋監獄の囚人が焼いたものが残っており、ベンガラの深い色を見ることができる。
  • 留置場(1階) – 見学可能で、内部に入ることもできる。雑居房では映画のシーンに出てきそうな雰囲気を感じられる。

司法展示

司法制度の資料や明治憲法下や現代の法廷陪審法廷を再現展示しているほか、司法制度に関する資料展示を行っている。2006年(平成18年)3月から名古屋高等裁判所の協力を得て裁判員制度に関する常設展示も開始した。明治憲法下から陪審制度時代、現代、裁判員制度までを展示しており、全国的にも珍しいものである。展示資料の中には名古屋城の金鯱の鱗の盗難事件の証拠物件もある。

「大地の塔」資料展示

2006年(平成18年)3月から愛・地球博の名古屋市パビリオン「大地の塔」に関する常設展示を開始した。万華鏡鏡像の動画を見ることもできる。

集会室・展示室の貸出

会議・集会・研究会・講習会および作品展示などに利用される。ただし、利用にあたっての制約事項が厳しく、申し込む際に十分な確認が必要である。特に営利目的の利用は、一切認められないとのことである。

  • 展示室 – 写真や絵画などの個展にも使用可能である。展示室の使用は、午前9時から午後5時まで。料金は部屋の大きさに応じて異なる。第1一般展示室には、大正時代のデザインのシャンデリアが2つあり、レトロな雰囲気を活かした展示が可能である。

新修名古屋市史の編纂

『市史』本文編10巻、資料編11巻が刊行済みである。資料編近代1、近世1、考古1、自然、民俗、近代2、近世2、現代、近世3、考古2、近代3が刊行されており、市政資料館の事務室で購入できる。

京都 祇園 白川桜 2024

祇園四条駅から徒歩1分、京都河原町駅から徒歩3分と、交通の便が良い。巽橋や辰巳大明神といった有名な観光スポットが多数ある
そぞろ歩く芸舞妓さんを見かけることも。

祇園は京都を代表する花街で、かつて祇園社と呼ばれていた八坂神社の門前町であったことから付けられた名称。その中を流れる白川に架けられているのが巽橋。

京都の昔ながらの町家だけでなく、白川沿いの美しい自然の景観も祇園白川の見どころ。 春には桜で彩られ夜はライトアップも楽しめる、人気の花見スポットにななる。 お茶屋の建物に色を添える満開のソメイヨシノやしだれ桜は、優美な雰囲気たっぷり。穏やかに流れる白川にはらはらと舞い散る桜の花びらは雪のよう。

名古屋 栄 MIRAI TOWER 界隈

『シェルブールの雨傘』は、ジャック・ドゥミが脚本・監督した1964年のフランス・西ドイツ合作の恋愛映画。ミシェル・ルグランが音楽を担当したミュージカル映画である。この映画の会話は、何気ない会話も含めて完全にレチタティーヴォとして歌われている。第17回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した。 

公開日: 1964年10月4日 (日本)
監督: ジャック・ドゥミ
衣装デザイン: ジャクリーヌ・モロー
音楽: ミシェル・ルグラン
製作: マグ・ボダール

ストーリー

第一部 旅立ち 1957年11月-アルジェリア戦争ただ中のフランス。港町シェルブールに住む20歳の自動車整備工ギイと17歳のジュヌヴィエーヴは結婚を誓い合った恋人同士。ギイは病身の伯母エリーズと、ジュヌヴィエーヴはシェルブール雨傘店を営む母エムリ夫人と暮らしている。エムリ夫人は2人が若過ぎる事を理由に結婚に反対するが、2人は将来生まれて来る子供の名前(女の子だったらフランソワーズ)を考えたり、自分たちのガソリンスタンドを持つ夢を語り合ったりと、幸福な恋愛を謳歌していた。そんなある日、エムリ夫人に莫大な額の納税通知書が届く。切羽詰まっていたエムリ夫人は、娘に説得され、大切なネックレスを売る決心をして、娘を連れて宝石店へ行った。店主との交渉はうまく進まなかったが、たまたま居合わせた宝石商ローラン・カサールが、その場でネックレスを購入してくれた。やがてギイに召集令状が届き、アルジェリア戦争において2年間の兵役をつとめることになった。尽きる事無く別れを惜しむギイとジュヌヴィエーヴ。その夜、2人は結ばれた。ギイは幼馴染みのマドレーヌに伯母の世話を頼み、ジュヌヴィエーヴと永遠の愛を誓い合って、シェルブール駅で別れを告げ入営する。

第二部 不在 1958年1月-ある日、エムリ夫人は町でカサールと出会い、食事に招待する。妊娠していることを知ったジュヌヴィエーヴは、ギイからほとんど手紙が来ないことを不安に感じていた。ジュヌヴィエーヴが気分が悪いと休んだ後、エムリ夫人に引き止められたカサールは、ジュヌヴィエーヴに結婚を申し込むつもりだったことを打ち明ける。ジュヌヴィエーヴに出会い、カサールは失っていた人生の目標を見つけることができたのだった。決めるのは本人なので、押しつけないように頼み、カサールはまた旅に出る。手紙で妊娠を知ったギイからは、2月に「男の子だったら名前はフランソワ」と喜びの返事が届く。だが、ギイを待ち続けていたジュヌヴィエーヴは、次第にカサールに心を開き、子どもを一緒に育てようという求婚を受け入れる。結婚からしばらくして、エムリ夫人も店を処分し、娘が住むパリへと移住する。

第三部 帰還 1959年3月-足を負傷し除隊となって帰郷したギイはシェルブール雨傘店を訪れるが、店は所有者が変わっていた。ジュヌヴィエーヴの結婚と移住を聞かされたギイは自暴自棄となり、復職した整備工場も些細なトラブルで退職して酒と娼婦に溺れる。朝帰りした彼を待っていたのは伯母エリーズの死の報せだった。ギイは出て行こうとするマドレーヌに「僕の力になってほしい。行かないでくれ。」と頼み、マドレーヌはとりあえず出て行くのをやめる。ギイは、マドレーヌに「仕事をしない今のあなたは大嫌い」と言われて一念発起し、伯母の遺産でガソリンスタンドを始めることに決めた。立ち直ったギイに、マドレーヌも心を開き、結婚する。

エピローグ 1963年12月-ある雪の夜、妻マドレーヌと息子フランソワがクリスマスの買い物に出ていった後、一台の車がギイのガソリンスタンドに給油に訪れる。運転席にはジュヌヴィエーヴが、助手席には3,4才くらいの女の子が乗っている。入営の日、シェルブール駅で別れて以来の再会だった。事務所で短く言葉を交わす2人。金持ちそうな毛皮のコートに身を包むジュヌヴィエーヴ。娘の名はフランソワーズだと告げ、「会ってみる?」とギイに聞くが、彼は無言で首を振り、互いの幸せを確認し合うと「給油が終わったようだ」と言う。ジュヌヴィエーヴの車が去って行くのと入れ替わりにマドレーヌとフランソワが帰ってくる。すると、ギイは気持ちを切り替え、2人の帰りを大はしゃぎで迎える。ガラス窓のカーテンが家族3人で幸せに楽しく過ごす様子を映し出す。

登場人物

ジュヌヴィエーヴ・エムリ (Geneviève Emery)演技:カトリーヌ・ドヌーヴ歌:ダニエル・リカーリ

ギイ・フーシェ (Guy Foucher)演技:ニーノ・カステルヌオーヴォ歌:ジョゼ・バルテル (José Bartel)

エムリ夫人 (Madame Emery)演技:アンヌ・ヴェルノン (Anne Vernon)歌:クリスチアーヌ・ルグラン (Christiane Legrand)

エリーズおば (Tante Élise)演技:ミレーユ・ペレー (Mireille Perrey)歌:クレール・レクレール (Claire Leclerc)

ローラン・カサール (Roland Cassard)演技:マルク・ミシェル (Marc Michel)歌:ジョルジュ・ブランヌ (Georges Blanes)

マドレーヌ (Madeleine)演技:エレン・ファルナー (Ellen Farner)歌:クローディヌ・ムニエル (Claudine Meunier)

西新井大師

總持寺は、東京都足立区西新井一丁目にある真言宗豊山派の寺で、西新井大師の通称で広く知られる。山号を五智山と称し、寺名は詳しくは五智山遍照院總持寺と称する。古くから「関東の高野山」とも呼ばれる。毎月21日には縁日が開かれている。

空海(弘法大師)が関東巡錫の途中、西新井を通った際に、本尊である観音菩薩の霊託を聞き、本尊の十一面観音を彫り天長3年(826年)に寺院を建立したことに始まるとされる。

江戸時代中期に建立された本堂は、昭和41年(1966年)火災により焼亡したが本尊は難を逃れた。本堂は昭和46年(1971年)に再建され現在に至っている。川崎大師などと共に「関東三大師」の一つに数えられ、毎年の正月には初詣の参拝客で賑わう。

境内には弘法大師によってもたらされたとされる加持水の井戸がある。この井戸が本堂の西側に所在することが当地の地名である西新井の名の由来とされている。中野区にある新井薬師と同じ真言宗豊山派の寺院。

  • 大本堂 – 前述のとおり昭和46年再建。堂内には十一面観音(秘仏)・空海自刻と伝える弘法大師像(秘仏)の他、四天王像・阿弥陀三尊像(旧三匝堂安置)を祀っており、護摩祈祷が毎日行われている。また、毎年10月の第一土曜日には、北斎会として、紙本着色弘法大師修法図が公開される。縦150センチ、横240センチの大作で、現存する葛飾北斎の最大級の肉筆画であり、弘法大師空海が祈祷をしている様子が描かれている。
  • 三匝堂(さんそうどう) – 明治17年建立。足立区指定文化財。都内に残る唯一の栄螺堂である。古くは登ることができたが現在は内部非公開。
  • 山門 – 江戸後期の建立。両脇に金剛力士像を祀る。足立区指定文化財。
  • 奥の院 – 高野山奥の院を江戸後期に勧請したもので弘法大師を祀る。

この他、塩地蔵、露仏の湯殿山大日如来坐像、十三重宝塔、水子地蔵、六角観音堂、光明殿(大師前駅に隣接する儀式用の堂宇)などがある。

国宝

重要文化財

  • 絹本著色弘法大師像 – 鎌倉時代
  • 絹本著色天台大師像 – 鎌倉時代
  • 絹本著色尊勝曼荼羅図 – 鎌倉時代
  • 銅鐘(梵鐘) – 高麗時代。遼の乾統7年(1107年)の銘あり。東京国立博物館に寄託。
  • 菊蒔絵手箱
  • 康保元年十一月勧学会記(綾本) – 平安時代、伝藤原忠通

所沢 狭山丘陵

「トトロ」の名前の由来は「所沢にいるとなりのオバケ」を縮めたものとされ、宮崎監督の知人の少女が所沢を「ととろざわ」と発音していたことに由来するとも言われている。

トトロの原型となっているのは、宮沢賢治の『どんぐりと山猫』である。劇中ではトトロについて、サツキが「絵本に出てたトロルのこと?」とメイに聞き、メイが「うん」と答える場面があり、そうみなす描写があるが、エンディングで姉妹にお母さんが「三匹の山羊 (やぎ) 」と題した絵本を読み聞かせている描写があり、この本をトロルの登場する昔話『三びきのやぎのがらがらどん』とする読み解きも行われている。

愛岐トンネル群 秋の特別公開 2023

三位一体の魅力=トンネル群、歴史遺産「玉野古道」、愛岐渓谷

  1. 近代化産業遺産「愛岐トンネル群」
    「三位一体の魅力」のトップバッターは、やはり赤レンガのトンネル群と廃線路です。
    トンネルをくぐり鉄道で運んだのは”もの”だけではありませんでした。物を運び、人を運び、夢も涙ものせて運びました。人がトンネルを特別な存在と感じるのは、 トンネルの漆黒を抜けたその向こうに時空を超えた何かがある、と思わせるからかもしれません。
    特に、愛岐トンネル群の100年を超えるで赤レンガのトンネルを眺めると、トラックも建設重機もない時代にこうしたものを造り上げた明治の人々の気概と苦労がしのばれます。トンネルのレンガに手をふれると、明治の人々の心意気が伝わってくるようです。

この愛岐トンネル群の3~6号のトンネル4基は、2009年に経済産業省「近代化産業遺産33」に認定されました。 2012年には文化庁の「NPO等による文化財建造物の管理活用事業」に選ばれ、文化庁から活用活動を受託しました。 また2016年7月には3基の施設が登録有形文化財(建造物)(※)に選ばれることが決まりました。「貴重で素晴らしい歴史 遺産」だと、公けに評価されたことになります。
(※3号4号トンネルと笠石洞暗渠の3施設が16年11月に登録有形文化財に正式登録)

  1. 歴史遺産「玉野古道」
    私たちは玉野古道も貴重な歴史遺産であると考え、整備を進めてきました。
    今では、年2回の特別公開時に大勢のお客様に玉野古道の 散策を楽しんでいただくことが出来るようになりました。

委員会ではさらに玉野古道の調査を進め、近い将来、玉野古道とトンネル(7号と8号)を併用し、古虎渓駅まで散策を楽しめる 「フットパス」を作り上げたいと考えています。それは他の観光地には類を見ないネイチャーロードになるはずです。 明治の人々の心に思いを馳せながら古道を歩くと、周りの景色も違って見えるかもしれません。

  1. 愛岐渓谷(玉野渓谷)
    愛岐渓谷(玉野渓谷)は愛知高原国定公園の西端に位置し、濃尾平野と東濃を隔てる山岳地帯への入口にあります。
    豊かな里山の自然を 残す庄内川のV字渓谷は、大都市近郊と思えない雄大な景観を楽しませてくれます。
    特に昭和初期から戦後しばらくの間は「名古屋の奥座敷」 として多くの観光客が訪れ、駅の下には食堂や旅館、土産物屋などがあってにぎわいました。

名古屋近辺に住む高齢者の方は、幼少の頃、小学校などの遠足で定光寺を訪れた方が多いようです。もちろん、観光バスのない時代のこと。 中央線のSLに乗って定光寺駅で降り、河原で遊んでお弁当を食べ、定光寺にお参りしました。愛岐トンネルに来て、懐かしいとおっしゃる高齢の 方が多いのはそんな理由があるのです。

時は移り、駅は無人となり、駅前銀座?は寂れ、大型ホテルは廃墟となりました。しかし、時代の移り変わりを眺めてきた玉野渓谷は、 今も変わらずそこに流れています。

庄内川は、上流の岐阜県では土岐川と呼ばれています。春日井市玉野町や定光寺駅付近は玉野川と呼ばれることが多いようです。

さっぽろホワイトイルミネーション2023

[大通会場] 11月22日(水曜日)~12月25日(月曜日)
[駅前通会場] 11月22日(水曜日)~2024年2月11日(日曜日)
[南1条通会場・札幌市北3条広場(アカプラ)会場・札幌駅南口駅前広場会場] 11月22日(水曜日)~2024年3月14日(木曜日)

万座温泉   パルコール嬬恋リゾート

万座温泉は海抜1,800m。
緑に囲まれた上信越高原国立公園内の中の高山温泉郷で、源泉は硫黄泉で約80度の高温で湧出量は1日に540万リットルに達している。
春は残雪と新緑、夏は避暑、秋は紅葉、そして冬はスキーと一年を通じて四季折々に楽しめる。


昔から、豊富な湯量に恵まれ、源泉は20種類を越え、名湯中の名湯といわれていた。
適応症も多彩で、昔から呼吸器病や胃腸病、リウマチや皮膚病に効能があるといわれ、難病を治したというエピソードも数多く伝わっている。さらに美肌効果も期待でき、女性にも圧倒的な人気を誇っている。

源泉は、姥湯(湯畑)、大苦湯、錫湯、鉄湯、苦湯、ラジウム北光泉、法性の湯などがあり、お風呂を巡りながらさまざまなお湯を楽しむことができる。

白川郷

世界遺産への登録経緯
日本は世界遺産条約を批准した1992年(平成4年)に、10件の文化遺産と2件の自然遺産を世界遺産の暫定リストに掲載した。

「白川郷・五箇山の合掌造り集落」は、そのうちの一つである。1994年(平成6年)9月に推薦書がユネスコの世界遺産センターに提出された。なお、史跡になっていた相倉集落と菅沼集落は、世界遺産登録を見据えて1994年(平成6年)12月に重要伝統的建造物群保存地区として選定された。

日本政府は推薦理由として、日本の木造建築群の中でもきわめて特異な要素、すなわち急勾配の屋根、屋根裏の積極的な産業的活用などを備えていることや、そのような集落が、それを支える伝統的な大家族制などとともに稀少なものになってきており、保護の必要性があることなどを挙げていた。

また、日本では「法隆寺地域の仏教建造物」「古都京都の文化財」に次ぐ3例目のシリアルノミネーションとなったことについては、それが合掌造りの地域的な広がりを示すものであるとともに、地域ごとの差異を示す上でも好適とした。

普通、世界遺産は推薦に当たって国内・国外の類似の物件との比較研究を行う必要があるが、日本政府は木を重んじる文化的伝統を持つ国内でも特殊なものであるとし、ブルーノ・タウトの評価などを引用してはいたが、他の物件との具体的な比較は示さなかった。

この点については、ICOMOSの評価でも最終的には問題とされず、そのまま受け入れられている[38]。なお、ICOMOSの勧告書は、ビューロー会議の時点では白川郷のみの登録を勧告していたが、ビューローで五箇山の登録も認められ、勧告書が修正されたという。

1995年(平成7年)12月の第19回世界遺産委員会(ベルリン)で初めて審議され、世界遺産リストへの登録が認められた。

人が住み続けている村落で世界遺産に登録されたのは、ホッローケー(ハンガリー、1987年)、ヴルコリニェツ(スロバキア、1993年)に続いて3件目だった。