地中海に面するトルコ最大の観光都市 アンタルヤ(ANTALYA)

港町として栄えたアンタルヤの歴史

アンタルヤの地には考古学的発掘によって4万年前から人が住んでいたことが分かっています。

この辺の地域の古代名はPAMPHYLIA (パンフィリア)と言い、東のCILCIA(キリキア)と西のLYCIA(リキア)に挟まれた土地でした。

パンフィリアの名が歴史上初めて登場するのが紀元前1200年頃のヒッタイト時代の文献です。

アンタルヤの名の由来は紀元前159年にペルガモン王国第4代国王アッタロス2世がこの地に都市を建設しATTALIA(アッタリア)と名付けられたことから始まります。

アッタロス2世は、兵達に「行け!私の為にこの地上での楽園を見つけるのだ!」と命令を出し、兵たちが何年もかけて探し出した楽園と言うのが、ここアッタリアの地とのことです。

ペルガモン王国の終焉(紀元前133年)後しばらくの間独立したままだったこの都市は、後に海賊の手に渡り、紀元前77年にローマ執政官プブリウス・セルウィリウス・ウァティア・イサウリクスによってローマの地として併合されました。

紀元前67年にはポンペイウスが率いたローマ海軍の基地となり、西暦130年に皇帝ハドリアヌスがアタレイアへ訪問したことにより、この地はより発展しました。

ビザンチン統治時代は司教の中心地として栄えましたが、西暦7世紀以降、この地域はセルジュークとビザンチンの間で頻繁に支配交代されながら1207年にセルジューク朝に支配されることになります。

これに続いて、テケ侯国(アンタルヤを都とした君侯国)、オスマン帝国、カラマン侯国(現カラマンを都とした君侯国)、そして再びオスマン帝国と主権が代わりました。

第1次世界大戦末期には一時イタリア軍に占領されましたが、1923年にトルコ共和国建国と共にトルコの手に戻り現在に至ります。

長い間アッタリアやアタレイヤと呼ばれていたこの地は、19世紀頃にADALYA(アダルヤ)、そして共和国になりANTALYA(アンタルヤ)と名前が変わりました。ちなみにアンタルヤは「アッタルヤ領」を意味します。

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